いっぷく5号 200722 梛木の巨木 昭和天皇 室戸岬 海成段丘

 

   

 

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ご神木が道を分けた国道55号線 200716

 

やっと梅雨は明けたかなという空を見上げてバイクに乗ったらドシャ降りになりました。近ごろのカッパは優秀で雨が染み込むことはありませんが、眼鏡に水滴が残って先が見えないのは困ったものです。止まっちゃ拭き、止まっちゃ拭きして高知市から50㎞ほど行くと安芸市の国道を二手に分ける梛木の巨木がありました。

 

 

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梛木のご神木の由来 200716

 

昭和44年は戦後24年目です。 かつての道徳が日本社会に残存していたころ不動部落の漁師は浪切不動尊に二礼二拍手して出港したことでしょう。この辺りは海岸から山が立ち上がったような地形なので、平地は狭く、道路計画が突き当たったところに梛木のご神木があったわけです。言ってみれば日本古来の神が、新参の土建の神と争って、勝ったということなのでしょう。土佐市宇佐の県道には真ん中に小さな神社を残したところがあります。宮崎県の県道でも似たような状況を見たことがありますが、国道を割った神社は珍しく、境内に植わっていた梛木の木が中央分離帯として残り「日本唯一の名所」となりました。

 

言い方はナンですが、交通の邪魔をする神が今なお鎮座ましますだなんて嬉しい話じゃありませんか。経済合理性を極限まで突き詰めたらみな青息吐息で世を恨むようになった21世紀に、おれらの高知には梛木☞ナギ☞凪ぎの神様がいらっしゃるんだぜって自慢したくなります。コロナ禍と米中貿易戦争によってグローバリズムが終焉を迎え、資本主義国の人々がカネより大事なものがあるかもしれないと新たな哲学を模索し始めた今、ひょっとすると最終ランナーの高知がトップに立つことだってあるかも知れません。

 

 

 

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昭和天皇が巡行で滞在された民間の屋敷 200716

 

室戸岬に向ってバイクでトコトコ走っているとフツーじゃない石組みの塀があり、緑の向こうに和風のお屋敷が見えました。さてはここが噂のあれかと思ったらやはり、でした。天皇陛下ともあろうお方がビジネスホテルに泊まる訳にはいかないし、かといって室戸にそれらしいホテルはないので宮内庁の事務方は悩んだことでしょう。個人宅だから勝手に入るわけにはいきませんが、巨石を隙間なく組んだ石塀を見るだけで並のお屋敷でないことがわかります。見えるところから想像するに立派な日本庭園があり、あくまで和風のお屋敷があり、ついこの間まで生き神様であられたところの昭和天皇がお泊まりになるという綺麗な和音が作られました。

 

 

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室戸岬 / 看板の一部をコピー

 

お屋敷の裏手には石に刻んだ海しょう(口偏+蕭)=津波の記念碑があります。室戸の沖にはフィリピン海プレートが沈む南海トラフがあり、地震の度に隆起をくり返し、周辺の台地が盛り上がって海食崖を形成し、その上に見事な海成段丘がつくられました。ここ室戸ジオパークは地層時間で言えば猛烈な速度で大地が盛り上がる世界でも稀な場なのだそうです。

 

 

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24番札所最御崎寺ホツミサキジへ向う途中の展望所から見た行当岬 200717

 

海岸沿いの道を走りながら山を仰ぐと切り立った壁のように見えます。水が大地を削って流れるライン川の観光船から見上げたような風景です。足摺岬側にはない風景なので、プレートの何たるかを知らないときには変な山だくらいにしか思わなかったのですが、、

 

 

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はぜ(木偏+戸)山-西山台地 / 看板の一部をコピー

 

その海食崖の上に広がる海成段丘から太平洋を見渡すと、横一線に切れた台地の縁が、水平線に並びます。道が細いこともあって通常の室戸観光からは外されていますが、ここを見ずに世界ジオは語れないので、観光客の皆さまにはぜひお寄りいただきたいところです。

200722記 つづく

 

 

 

海事つれづれ五目めし 200719 いっぷく4号 世界ジオパーク 室戸の廃校水族館  

 

 

 

 

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 200717

ある日のこと

ランドセルを背負って

いつものように学校の階段を上がると

廊下でハリセンボンが泳いでいました

 

 

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マツカサウオもいました

手洗い場には水面から

イセエビのヒゲが突き出て

ワラジみたいなタビエビもいます

 

 

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教室に入ると先生が

ウツボに餌をやっていました

 

 

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怖くなって

2階の窓を開けるとプールで

シュモクザメが泳いでいるのでした

 

 

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水泳の時間に

一緒に泳いだ友だちは誰もいなくて

ハンマーみたいなサメの影がふたつ

水の底で揺れていました

 

 

 

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向こうは低学年の子が使うプールです

 

 

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そこはカメさんに占領されていました

ひょっとすると

悟空が背負って助けてあげた

迷い亀かもしれません

 

 

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そう、ここは高知県室戸市の廃校水族館なのです 200717

 

誰が発案したのか知らないけれど(たぶんアノ人だろうと、、)海沿いの廃校を水族館にするというアイデアは凄すぎて、きっと当初は胡散臭い目で見られたはずですが、そこを突破しちまったところがまた凄いです。2018年にオープンし広告費0で1年後に14万人、2年目の今は30万人の入場者を数えたそうなので今となっては反対する人などいないでしょう。

 

ネーミングがまた凄く、ぼくなど水族館に「廃校」という冠を被せたところに勇気を感じます。廃の字はモノの終末を示唆する忌み詞なので人は嫌がります。自分の経験で言えば、地元の人に「廃校は勘弁してよ。休校でどう?」と言われて目が覚めたことがあります。悪意などあろうはずもないのですが、余所者が土地の生活感覚を取り込むには時間がかかるものです。ところが「廃校水族館」は枕に堂々と忌み詞を置き、水族館という前向きの言葉と重ねてヒトの心をドキンとさせるわけです。これが休校水族館ではパンチがないですもんね。愛情さえあれば多少の行き過ぎはレトリックとして許容される実例かも、、

 

ご感心のむきにはぜひネットを探ってください。でもネットには写真しかないので事実の一部しかわかりません。なんと言ってもここは世界ジオパークなので地質、地形、強い海風に煽られた照葉樹の山肌、かつては捕鯨基地として栄えた室戸住民の暮しぶり等々それぞれの関心に合わせて話題提供できる歴史の幅を持っています。

 

近頃はユネスコも国連もえぐい話ばかりでとんと関心が薄れましたが、政治はさておきユネスコがなぜ室戸の地域全体を世界ジオパークに指定したのか、現場の雰囲気を知りたかったら行く他ありません。水族館の入場料600円ナリは室戸ジオ全体の入場料と捉えたら安いものです、、ぼくジオの回し者ではないので誤解なきよう(^^!

 

ちなみにこの海岸線は、和歌山県捕鯨の町太地に似て、行き交う車も少なくツーリングには最適です。東に太平洋、西に切り立った山を見、大昔のプレート運動とかを考えながら走るとたのしいです。

200719 記 つづく

 

 

 

某編集長どの。ご指摘のとおり、ちょっといっぷくは渚の原子力からの逃避行動です。事故は回り持ちみたいなところがありアメリカ、ソ連、日本と来れば次は大陸か半島の沿岸から放射能が襲って来そうでblueな気分です。もうちょっと逃げます。

 

 

海事つれづれ五目めし200716 ちょっといっぷく3号 芋 茗荷 苺 種牛 砂糖黍 電磁鋼板

 

 

 

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高知市春野の芋畑 200531

芋の植付けは蔓を寝かして土をかぶせます。

 

 

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39日目の芋畑 200714

 

むかしは頭にイモが付くと禄でもない譬えでしたが、近ごろの芋は品種改良され、コンビニの焼き芋も人気です。酒とパチンコが大好きな高知の人間も農業の基礎研究では地味に頑張っており、交配を繰り返して新品種を開発しました。ところがそこへ利に聡い県外のヒトが遊びにきて暫くすると名を変え「今は○○ブランドで売られている」と元園芸連のえらい人が不満顔でした。

 

 

 

ミョウガ

「ハウス茗荷」も高知県で生れたワザですが、これまた九州や関東から研修団がやってきてチヤホヤされて飲まされて気がつけば高知の特産ではなくなっていたというホントのようなウソのような話もあります。苦心惨憺して編み出したワザも大事なところを見せたらアウトです。だから秘匿すべしと黙契したはずが、お人好しなんでしょうね。むかし別の仕事をしていたとき県外の商人が訪ねてきて「いやあ高知の方にはお世話になっております。お蔭さまで本当にありがたいです」とか何とか丁寧なご挨拶をいただきました。おいおいって思いましたけど、、

 

ハウスミョウガの生産体制を整えた高知県須崎市は今もミョウガの大産地です。ネットには「みょうがの日本国内の生産量の約9割を高知県が占めており、県内でも約9割の生産量を誇るのが須崎市」という記述もあり、それが事実なら、必ずしも他県に技術と市場を奪われたということではなく、もともと香味野菜の市場は狭いので、作りすぎて飽和状態になったのかもしれません。須崎の茗荷ハウスを訪ねてお話を伺うと、昔の話をするときは嬉しそうですが「今はどんなことです?」と聴けば大概うかぬ顔をしますね。創業者利益がドカンと入るのは一時のようです。

 

 

 

【イチゴ】

国内でパクリ合いする分にはまだしも必死カッパで開発した苦心のイチゴが韓国へ渡り、2018年の冬季オリンピックカーリング美女5人組が、ソダネーとか言いながら「もぐもぐ」した韓国イチゴは、実は盗用され、ロイヤリティを払うことなく使用された日本品種であるから、けしからんという声がネットに広がりました。

 

へえ~そんなこともあるのかと改めてスーパーに並ぶイチゴを観察したところ今どきのイチゴは、色も形も甘さも大きさも、ここまでやるかというほど進化しています。新種開発には多大の情熱を注いだにちがいありません。新たに命名された品種名も様々で、とよの香、さちの香、さがほの香、えちご姫、やよい姫、とち乙女、、かわいい名前のオンパレードです。福岡S6号は「あまいまるいおおきいうまい」の頭文字を取ったから甘王ではなく「あまおう」が正式名称なのだそうです。

 

20年ほど前、友人に連れられて韓国のイチゴハウスを訪ねたことがあります。寒さ対策のためハウス内部にビニールを二重に張り、地下水を汲み上げ、上から散布していました。ボイラーの燃料代を倹約するため地下水の熱を利用するという日本では見かけない仕掛けで、国の内外を問わず、風土に合わせて様々な工夫を凝らしているものだと感心しました。

 

世界が情報と流通でつながった今は、施設内部の小道具まで、おっとこんなアイデアがあったのかと驚くばかりです。ウチのハウスの水回りはイスラエルの部品を使っています。ちかごろ高知に立ち上がった大規模施設はオランダ由来の設計思想で造られたハイテクハウスです。そこへ中国から肥料が入り、ベトナムの若者が働き、、といつの間にか農業も国際化しました。

 

 

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西表島で肥育中の黒牛( 本文とは関係ありません)170707

 

宮崎日日新聞200712に「種雄牛精液を県外に転売、授精師2人、県要領違反し40本」という記事がありました。「精液は県内で使うことを条件としているが、計7道県の授精師に転売したとみられる」とあり、ネットには「これが中国や他の諸外国に流れて安価な霜降り牛が輸入されでもしたら」といった類の書き込みがどっさりあります。何年か前に家畜の疫病が流行ったとき真先に避難させたのは種牛であり、その遺伝子は秘中の秘なので関係者はやきもきしていることでしょう。

 

 

 

【電磁鋼板】

日経新聞200714一面に「トヨタ、中国から特殊鋼板 / EVモーター用、日本勢を追い上げ」とあります。記事では触れられていませんが、電気モーターの心臓部にも使われる電磁鋼板は、元はといえば日本の資本と技術協力で建設されたポスコが、新日鉄から技術盗用したものです。裁判は「ポスコの機密情報を中国メーカーに流したとされるポスコ元社員が『技術は、もともとは新日鉄のものだ』と衝撃的な発言を行った」ことでケリが付きました。

 

そんなことにはお構いなくChinaに入れ込んだトヨタは、コロナの渦中にあった春先にも天津の新工場建設を推進し、精華大学には共同研究所を創るそうです。一昔前なら良い話だなあ頑張れと応援したかもしれませんが、習近平主席の不穏な言動と、尖閣南シナ海、インド国境、チベットウイグル内モンゴル、直近では香港、香港に鋭く反応した台湾等々ここに来てChina政治の本音が露わになった今、ネットではトヨタ大丈夫かと不安の声が漏れています。

 

そのむかし喜多郎シンセサイザーに乗ってNHK新疆ウイグル自治区の砂漠をロマンチックに描いたころから、大陸特有の超長期戦略が打たれ、それがいま日本の政財界の取り込みに高速回転し始めた、と昨今の情況を見れば、フツー誰だって考えるのではないでしょうか。薬師寺の特設会場には平山郁夫が描いた砂漠のラクダが目の前一杯に広がります。会場のほどよい暗さと絵画面積の迫力にやられて観客は感動させられる仕掛けになっており、自分もその一人でしたが、2020年の目で振り返れば、あれは世界中に仕掛けられた罠の一つではなかったかと思うわけです。

 

1980年代に2度、香港から珠江を渡ってChinaに入りました。文化大革命で破壊され尽くしたと言われる寺院が所々に残ってはいましたが、当然のことながら生きた仏教活動は見かけなかったですね。宗教を否定した国と平山郁夫がなぜ薬師寺でつながるのかと、、話が逸れました。今次のテーマ、溶け合う技術に戻ります。

 

 

 

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奄美大島大和村170719

 

高知と愛媛に跨がる足摺宇和海国立公園は複雑に入り組んだ美しい海ですとクニの自慢をした上で、四周を海に囲まれた奄美大島の渚はまた格別でした。そこをバイクでトコトコ走っていると、この沖で台風に遭い中国福建省に漂着した人物の碑に出くわしました。

 

 

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奄美大島大和村  直川智翁顕彰碑脇の看板 170719

 

碑文には「当時、中国では製糖技術を外国人に教えることは禁止されていましたが(大和村出身の直川智翁は)サトウキビの栽培技術と黒糖の製法をひそかに学び、帰国の際には、衣類箱の底を二重にして、命懸けでキビ苗3本をかくして持ち帰り~」とあります。

 

それって泥棒じゃねえの、運良く助けてもらったのに門外不出のキビ苗を持ち帰ったらいかんやろとぼくなど思うわけですけど、パテント?何それとでも言いたそうな、あっけらかんとした文言から南の国のとてもジコチュウなおおらかさが伺えます。

 

 

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日照りが続く徳之島の痩せたサトウキビ畑 170716

 

どこの誰でも心の中にはナショナリズムが潜むわけで、直川智が身の危険も省みずキビ技術を盗んだのはクニの仲間を喜ばせるためであったろうし、盗ったり盗られたりは時として主語が入れ替わり、かくて技術は溶け合い、社会は進化するとしたものでしょう。盗られる側にしてみれば、たまったものではありませんが、被害者だけを強調すると視座のバランスを見失いそうです。

 

文化は伝播先で独自進化するというのが文化人類学のセオリーです。「長く戦争をしていると戦い方が似てくる」とうまいことを言う人もいます。その辺りをおおらかに捉えた上でなお江戸期から一貫して持続する「職人」ワザを大事にしないと、大陸とほどよい距離を保ってきた東シナ海の防塁が、ネットと航空機で突破された今、ヤマトの歴史がひっくり返るもしれないぜとぼくなど思うわけです。

200716記 つづく

 

 

 

 

海事つれづれ五目めし200713 ちょっといっぷく2号 よさこい鳴子踊り 震洋秘匿壕 加計呂島

 

 

 

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御畳瀬漁港 200602

 

みませ見せましょ浦戸を開けて♪と唄われる

月の名所の桂浜 ♫ はすぐそこですが、、

 

 

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よさこい鳴子踊り 190811

 

リオのカーニバルも青ざめそうな

ヨッチョレヨ! の掛け声が

今年は聞けなくなりました。

 

 

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御畳瀬漁港の船揚場 200602

 

ここは横浪桜丸☞わがゴムボートの出航地でもありますが、

仕事はある雨はふる、とんとご無沙汰しています。

梅雨明けの青空がほしいです。

 

 

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厳島神社 200124

 

どの港にも必ず神社があります。板子一枚下は地獄の漁師が最後に頼れるのは神様だからでしょう。たかがゴムボートに乗っただけであれこれ言うのは気が引けますが、何かの拍子に空気が抜けたら、沖でエンジンが止まったら、携帯が使えなくなったらとそれなりに不安はあるものです。

 

九州が大洪水の日にゴムボートで沖釣りに出てオールが折れて救助を呼んだというニュースに対し、バカな奴だと一蹴するカキコ諸氏の評は容赦ないものでした。しかし港を離れて船外機のプロペラを傷め、風上に向けてオールを漕いだことのあるぼくには、ヒトはみなバカを背負った不安定な存在だから、ちょっとくらい大目に見たれやという気持ちもありますネ。むろん土下座と経費負担は覚悟してもらわねばならんのですけど、、

 

 

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厳島神社から少し離れた深浦神社の参道 200124

 

海から陸を見て気づいたことですが、半島や小島には神社の参道が桟橋のように伸びて途切れたところがあります。船の舳先を参道の高さにぴたりと合わせて参拝客を降ろすには、釣り客を磯に渡す船頭くらいのテクニックが要りそうです。磯の散歩道2つ目の神社に作法通り二礼二拍手一礼させてもらいました。

 

 

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秘匿壕 200124

 

この洞穴は、250㎏爆弾を積む1人もしくは2人乗りの高速特攻艇「震洋」の秘匿壕です。終戦までに6,197隻が建造され全国に配備されました。高知県で言えば香美市夜須、高知市御畳瀬、須崎市野見、土佐清水市、大月町柏島に基地の名残があります。

 

 

 

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高知県香南市夜須の手結港に置かれた震洋隊殉国慰霊塔 180820

 

 

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慰霊塔裏面の殉国者一覧 180820

 

碑文には「呉鎮守府第23嵐部隊第9震洋隊は本部を須崎に置き、竹中清作大尉の率いる160名の隊員は、本土決戦を期して当住吉に駐屯、昭和20年8月16日午後6時作業中、火薬爆発、一瞬にして散華す。ここに殉国者111勇士の名を録して永遠に弔はん」とあります。

 

犠牲者の出身地は「北海道、青森、岩手、宮城、山形、福島、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、新潟、富山、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、大阪、兵庫、奈良、和歌山、鳥取、島根、岡山、広島、山口、徳島、香川」と全国29都道府県に及びます。ここに高知がないのは不思議ですが、それはたまたまのことでしょう。鹿児島県知覧の特攻記念館にはしっかり高知出身者の名も刻まれています。それよりも終戦の翌日8月16日に通常はありえない事故が起きたことに何かしら得心できないものが残るのです。

 

 

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奄美大島本島の軍用観測所から見た加計呂島 170720

 

小説家の島尾敏雄は「第十八震洋特攻隊隊長」として加計呂島に赴任していた「1945年8月13日に特攻作戦が発動され、出撃命令を受けたが、発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎え」ました。当時、島尾と恋仲にあった小学校教師の大平ミホは、そのことを上等兵曹から聞き「島尾が出撃したら自分も短剣で喉を突き海中に身を投げる覚悟で入り江の浜に正座して」いました。

 

 

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観測所の外から見た加計呂島 170720

 

終戦後「二人は(上京し)夫婦となったが、子どもが生れて平凡な毎日を送っていた中、トシオの浮気が発覚し」「両親の深い愛情と穏やかな南島の環境で育ち、嫉妬や憎悪の感情を知らずにきたミホ」の「思いは裏切られ激しい嫉妬心で精神のバランスが崩れ」「家庭は修羅場と化した」が、やがて二人は奄美に移住し「郷里の環境に身を置くことで、ミホの神経症状は次第に回復していった。その闘病記録は小説『死の棘』として完成する」(引用はwikiより)

 

高知と奄美大島の特攻隊員には、時代に翻弄され、生きながら死の淵を見、そのまま冥府へ逝った者もあれば、たまたま生還した者もいます。終戦詔勅を経た翌16日の爆発事故がなければ高知に集まった隊員には、その後の人生があったはずです。もともと身体強健、頭脳優秀な若者の集まりですから解散後は戦後復興に一役買ったであろうことが容易に想像されます。

 

しかしながら8月15日を境に、死を賭して信じたものが失われ、価値が180度転換した世界に放られて人は正気を保てるものでしょうか? 死ぬと決めた翌日、回り舞台の裏が表になり、負けた、と言われても新たな状況に合わせた振る舞いができるものでしょうか?爆発事故はその精神性の齟齬に起因するものでなかったかと、勝手な物語が、ぼくの頭の中で回ります。

 

ちょっといっぷくにしては

堅苦しい文になりました

200713記 つづく

 

 

海事つれづれ五目めし200710 ちょっといっぷく号

 

 

 

 

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浦戸湾の渚200702

「アルバイトして買ったカヤックで~」のUチューバーがアカメを釣った渚です。ルビーのような赤い目をしたアカメはモンゴルのイトウ、アマゾンのピラルクーと並ぶ淡水・汽水の怪魚です。でかいのは1m半もあり、ここ浦戸湾と四万十川河口および宮崎県に棲息しています。アカメに惹かれて苦節十年、人生を踏み違えた人もけっこういるようなのに、昨日今日の若造に易々と釣られたのではオレの人生は何だったのかと、藤井7段にしてやられた中年棋士のような悲しみを背負ったヒトも、、ちなみに拙宅からこの渚まで歩いて3分ほどです。

 

 

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向こうは三里の造船所200303

あのUチューバーはこの木の間にハンモックを吊り、渚に温泉をつくり、釣った魚で自炊して夜釣りでメートル級のアカメをやっちまったのですが、それがオレんちの裏の渚の軽い出来事であったことが妙に納得できないのです。

 

 

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干潮時には歩いて渡れる渚200124

風と海流の関係か、ゴミひとつない渚と、山のようにプラゴミが集まる渚があります。ここ浦戸湾は生活域に隣接した渚なので、ある意味仕方のないことかもしれませんが、南の果ての西表島日本海隠岐島、おそらく地球上のあらゆる孤島の特定の渚に世界各国の文字が印刷されたペットボトルや何やらが吹き寄せられています。

 

 

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別地点にある温泉君のおたのしみの跡200124

遊んだあとはちゃんと片づけられていました。

 

 

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裏の渚でゴミ拾いする釣師さん 200702

 

ある日90リットルのゴミ袋とトングを持って裏の渚でゴミ拾いをしていると、ルアーを投げちゃ引き、投げちゃ引きしていた釣師がシーバス=スズキを掛け、軽くのされた穂先の向こうにエラ洗いの飛沫が見えました。彼は、引き寄せた魚をメジャーの上に置き、写真を撮り、そっと海にリリースしました。

 

スズキはセイゴ→フッコ→スズキと名を変える出世魚です。この日の獲物はセイゴとフッコの間くらいの大きさでしたが、聞けば今のは恥ずかしいほどの小物であって目下70㎝超えに挑戦しているのだそうです。「ラインは何号? ルアーは? 色は? 形は?」と質問しているうちに意気投合し「この辺りにはアカメもいるようですが」と水を向けると「実は自分も何年か前ここでアカメを掛けた。そろそろ帰ろうかと思って糸を巻いていたときガツンと来た。1メートルを超えていた」等々やおら能弁になって盛り上がったことでした。

 

ひとしきりお喋りしたあと彼はぼくが持つごみ袋に目をやって「ボランティアですか?」と聞くから「まあそんなもんです」と応えたら思うことがあったらしく一緒に拾ってくれました。4~5日通えば渚はピカピカになりますが、九州に大洪水をもたらした大雨の翌日には、新たに流れ着いたゴミが散乱し、元の木阿弥でした。

200710記 つづく

 

 

 

高知の今

 

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高知市春野甲殿川200705

土手の向こうは太平洋の甲殿川河口で

セイゴ?フッコ?スズキ×を掛けた瞬間の釣師

レンズはキャノンM6用22㎜単(旧レンズ換算35㎜)

 

 

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200705

釣ったスズキはエラ洗い

スズキ料理は洗いが一番とつい駄洒落が、、

レモンや何やと一緒にアルミに包んで焼き

バターを落せば美味いという人も

ここから10分ほど走った仁淀川河口には

橋の上から文句なしの大きさのスズキが見えます

 

 

 

海事つれづれ五目めし200707 渚の原子力7 霧島から上野原遺跡へ(中)

 

 

 

 

 

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ネットで見付けたカルデラの列(問題があれば直ちに削除します)

 

火のクニ熊本、阿蘇カルデラの南には、図のごとく加久藤・小林カルデラ姶良カルデラ、阿多カルデラ、鬼界カルデラと火山の噴火口とは桁違いのカルデラが連なります。両手で九州を押さえ親指に力を入れたらとパキンと折れてしまいそうなほど見事に並んだカルデラ=鍋底の列です。

 

 

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錦江湾北側にある酢の製造所から見た桜島 180723

 

何も知らずに眺めたら小ぶりの富士が遠景をつくる綺麗な海だくらいに思って通りすぎるところですが、この丸い入り江は海域カルデラ=巨大噴火口なのです。地下に溜まった膨大なマグマが一挙に噴出し、空っぽになったところで大地が沈み、スキヤキ鍋みたいな地形に海水が流入して湾になった! 年がら年中噴火を繰り返す桜島は外輪山の一部に過ぎないというから壮大な地球物語ではあります。

 

その姶良カルデラは、29,000年前に大噴火し、火山灰は遠くわが高知県宿毛市に何と20mも降り積もり、圧縮されて2mの地層を形成しました。宿毛桜島北部が火山灰でつながっているとは俄かに信じられないことですが、火山灰にも個性があり見る人が見れば分かるのだそうです。

 

その地層が確認された場所はどこかと探し回った挙げ句、宿毛市錦西谷川河口であることを突き止めました。ひょっと工事跡の崖などに地層が露頭しているのではないかと期待しましたが、ボーリング調査の結果というから目で見ることはできないかもしれません。帰省時に訪ねてみます。

 

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桜島から見た鹿児島市180723

 

元はといえばプレートの沈み込みがマグマ生み、

カルデラが大暴れした跡に美しい風景を残してくれました。

以下は、その風景の中の人間模様です。

 

天が落ちたらどうしようと心配したChina人が杞憂という熟語を生みました。では地が落ちたら何なのか、残念ながらJapanの先人が大地陥没を説明する熟語を編み出したという話はないようです。ともあれ3.11以来ぼくら日本人は短い人生の中でも天変地異が起こることを知りました。

 

 

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展望所から見上げた桜島 180723

 

天は落ちないけれど砲弾が落ちることはあり、坂本龍馬が神戸海軍操錬所の塾頭として4年の人生を残した1863年、薩英戦争が勃発し「生麦事件の報復として、イギリス艦隊7隻が錦江湾に現れ、事件の実行犯の処罰と賠償金を要求しました。薩摩藩がこれを拒否したために、(イギリス艦隊は)薩摩藩船3隻を捕獲し焼き払い、薩摩藩砲台と砲撃戦を展開し ~ これをきっかけに『敵に勝つには敵から学べ』とイギリス留学生を派遣する契機となりました」と、美しい錦江湾を見渡す案内板にあります。

 

 

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谷の切れ方がフツーじゃない桜島 180723

 

ぼくらはいま残された文書というタイムマシンに乗って過去を振り返っています。後出しジャンケンみたいに余裕を持って、錦江湾で展開された薩摩対英戦を鳥瞰しているわけですが、歴史の節々でちょっとしたボタンの掛け違いがあったら日本は文化の根底から姿を変えたはずです。日清戦争で負けていたら、日露戦争で負けていれば、タラレバでつなぐ歴史こそ歴史家の想像力を掻き立てるはずなのに、歴史にifはないなどと嘯いて事象の細部に逃げこんではいかん。歴史家よ! 人格を賭してあるべき国の姿をオレらにも分かる言葉で語れと、まあぼくなど思うわけですけども、、

 

 

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大正3年(1914年)の噴火で3mの鳥居が頭だけ残した黒神埋没鳥居180723

 

1840~42年の阿片戦争で弱体を曝し、香港を盗られ、1894~95年の日清戦争で負けるはずのない日本に負けたChina清は、イギリスと争って事実上敗北し「敵に勝つには敵から学べ」と方針を変えた薩摩(日本)と同じ航跡を描きます。日本が留学生を欧州へ送ったようにChinaは留学生を日本に送り、近代技術を取り込むには不備であった言語改革に勤しみ、1949年に中華人民共和国成立、文化大革命の混乱を終え、鄧小平の大決断によって世界との交渉を取り戻したところまではしおらしかったのですが、国力を蓄えた2020年のいま米中対決を迎えました。

 

過去行きのタイムマシンはずっと前から実用化されていますが、残念なことに未来行きタイム列車は開発途上なので、現在から先はいかなる歴史家も空想する他ありません。そして未来予測はまず当たりません。たまたま当たったにせよ、それは多分に偶然であり、その偶然を手柄のように繰り返し自慢する評論家もいますが、まあ世の中には運のよい人もいるわけで、、

 

臆病な歴史家が過去を向くのに対し、博打好きの評論家はあり得る未来を堂々と広げて見せます。本屋で手に取るのは恥ずかしいほど品性に欠ける標題のビジネス本は、このような未来も可能かなという熱を残した冒険の書ではあります。アマゾンの1円本を一山買い込んで片端から捲れば、新聞に置かれた個々別々の記事が、一定の文法に乗っかって意味をもち始めます。どれかが当たって、どれかが外れるわけですから読者も博打を打つようなものです。

 

武漢コロナが猛威を振るう2020年7月現在、米英豪他の対中包囲網にドイツを中心とする欧州白人国がどう反応するかは不明ですが、日本の新聞がコロナの出所を問わず、国際法を無視した戦狼外交を語らず、ひたすら押し黙っていることに対し、白人国の怒りは直接Chinaに向けられたように見えます。毎日更新される世界のコロナ罹患表をフツーの目で見れば、被害国は圧倒的に白人国であるのだから白人が怒り狂うのは当然のことでしょう。とはいえ真先にChina資本に取り込まれたイタリアのような欧州国は、もはや身動きできない状態かも知れません。

 

で、日本はどうすべきか。白人国連合に身を寄せるのか、それともChinaの朝貢国になるのかがいま鋭く問われているわけです。もしも日本がアメリカのような軍事力を持ち、90年代前後のように世界を席捲した経済力を今でも持ち続けているのなら、米中いずれにも与せず孤高を誇ることも可能でしょうが、所詮国家は他国との関係性の中で平和を模索せざるをえず、そのために中央官庁の頭脳優秀な人たち及び人徳豊かな政治家が日本国の未来を全力で模索していると信じたいところです。

 

この文脈に登場いただくのは不謹慎かも知れませんが、やられたらやり返すけれども自分から先に手を出すことはない平和主義者「ドラゴンボール」の孫悟空は見事に日本国憲法を体現しています。孫悟空を取り巻く世界は「平和を愛する諸国民の公正と信義」の持ち主ばかりではないので、次々と現れる悪に敢然と立ち向かい、長い闘いの末に日常を取り戻してくれます。

 

物語は、専守防衛を理念とし、自由と尊厳を守るためには武力行使が必要であることを教えてくれます。悪い奴はやっつけろ。ただし手を出すのは一発殴られてからだというのが原則です。それが戦後日本の美学に合致したこともドラゴンボールが桁外れに売れた理由かと思われます。もしも日本国に新弟子に胸を貸す横綱のような余裕があれば、敵は攻めて来ないであろうし、悪くない相手を日本が攻める理由もありません。惜しむらくはその設定が今どきの武器にはそぐわないことです。

200707記 つづく

 

 

 

 

 

高知の今

 

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仕事を終えて土手を歩いていたら 200704

橋のまんなかをタヌキのような動物が歩いていました

ハクビシンでした

 

 

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するとこっちから軽トラがやってきたので

ハクビシンは立ち止まって下を見ましたが、

増水した川に飛び込むのはちょっとなという感じでした

 

 

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崖っぷちというか橋の桁っぷちでおろおろする

野性のハクビシンを間近に見たのは初めてのことです

鼻の頭に白く太い線が入っているから白鼻芯です

 

 

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何とか橋詰までたどり着いたとき足の裏が見えました

ヒトの赤ちゃんの足の裏のように生々しくて

おい靴はけやと思わず心の中でつぶやきました

長い尻尾は飼い猫くらいあります

たまにウチの庭へ遊びにくるタヌキとはまるで違う生きものでした

 

 

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やれやれ

びっくりしたぜい、、

 

 

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土手の向こうでは今日も  200704

ヘリ型ドローンが農薬散布しています

 

 

海事つれづれ五目めし200704 渚の原子力6 霧島から上野原遺跡へ(上)

 

 

 

 

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鹿児島県霧島妙見温泉近くの山道130723

四国の山に迷い込むと「空が三角に見える」とうまいことを言った人がいます。山と谷が交互に入れ代わり見晴らしが利かない四国山地と、阿蘇や霧島が裾野を広げる九州は、同じ山村でもどこか雰囲気が違います。友人と熊本で落ち合い、霧島は妙見温泉の近くまでやってきました。

 

 

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霧島130723

そのむかし坂本龍馬とお龍夫妻が日本初の新婚旅行で訪れたのもこの霧島です。ふたりは錦江湾に流れる天降川沿いを妙見温泉、犬飼滝と渡り高千穂峰1573mに登っています。

 

 

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犬飼滝(陰見滝)130723

龍馬は姉の乙女宛てに「この世の外かと思われ候ほどのめずらしき所なり。此処に十日計も止まりあそび、谷川の流にて魚をつり、短筒をもちて鳥をうつなど、まことにおもしろかりし」と手紙を送っています。してみれば高知市桂浜の高いところで懐に隠し持つ拳銃は狩猟に使われたことになり、ヤキトリにしたか鍋に入れたか、ともあれ飛び道具の平和利用ではありました。名前からして美しい霧島を足で訪ねた若夫婦はさぞや愉しい日々を過ごしたことでしょう。その翌1867年、大政奉還の前年、龍馬は京都の近江屋で暗殺されます。

 

 

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滝口の節理が印象的な犬飼滝130723

何を以てテロリストと呼ぶかは歴史家の拠って立つ座標によりますが、近江屋で龍馬に刃を向けたテロリスト対し「短筒」で応戦することもなく龍馬は31歳の生涯を閉じます。その龍馬も元はといえば勝海舟を狙ったテロリストでした。龍馬が通常のテロリストと違うのは、テロ行為に及んだにもかかわらず、現場で勝の話に耳を傾け、たちまち思想信条を覆して勝門下に参入したところにあります。勝と龍馬が命を張って対峙した絵になる風景がどこまで歴史の真実かは不明ですが、龍馬が聴く力を持っていたことは確かでしょう。

 

ぼくら高知の住民は、売らんかな、稼がんかなの商標に使われる龍馬ブランドには食傷気味です。高知空港は正式に高知龍馬空港と改名されましたが、もしもこれが高校国語の作文の時間だったりすると漢字を6つも並べてどうすんだと先生に叱られたかもしれません。その龍馬ブームは司馬遼太郎の「龍馬がゆく」から始まったものです。

 

いつもの居酒屋で飲んでたら龍馬はこう言ってたぜ、というノリで描かれる司馬小説を物語として愉しまれる分には何の異議もありませんが、博覧強記の司馬遼太郎を神格化し、その創作に疑念を抱く言論を封じた上で、小説上の龍馬の振る舞いをあたかも歴史の真実であるかのように思い込まされるのは勘弁してもらいたいなと、、歴史とは、語り得る範囲で事実を置き、解釈の幅を残し、あとは読み手の想像力にゆだねる他ないのではないか、映画のように生々しく皮膚感覚に迫られるとウソだろと思ってしまうわけです。

 

 

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龍馬も入った? 道端の温泉130723

石で囲っただけの湯には

目隠しも料金表もありません

勇気ある女性はどうぞって感じです

 

 

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薪を使う羽釜の飯はうまい130723

台所の主役はスイッチポンで勝手に炊きあげてくれる電気釜ですが、その電気釜の開発者は例外なく羽釜で焚く飯のうまさを目標にしています。とすれば技術の進化って何でしょう?

 

 

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丸太を彫った流し130723

もちろん妙見温泉には立派なホテルもありますが、ぼくらが泊まったのは昔ながらの湯治場、農閑期に骨休めする自炊宿でした。誰に気兼ねすることなく食べたいものを作り、本を読むなり散歩するなりご自由に。ウソ偽りのない温泉にはいつでも何度でも只でどうぞというわけです。泊料は3,000円少々だから龍馬みたいに「十日計も止まり遊び」候ひても財布はまあまあ大丈夫です。その手の湯治場が九州の温泉地には今でも結構ありますね。

 

 

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流し130723

もちろんお金持ちは高級ホテルでどうぞごゆっくりなんですが、ああいう所はたまに泊まるから贅沢が身に沁みるわけで、贅沢ばかりしていたら喜びが限界効用に達してちっとも嬉しくないというのもヒトのサガです。旅の自由度、情報量の多さという意味では湯治場のカチだとぼくなど思いますけど、、

 

 

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夕食を頼んだ日の食卓130723

昭和30年代の農村を知る自分はこの種の空間に郷愁以上のものを感じますが、今どきの若い子はどうなんだろうと思い、ヒノキの俎板を見せ、片端から「こんな板で壁とか床が葺かれていたらどう思う?」と質問したところ、例外なくコンクリートやペンキの壁より木がよいという反応が得られてほっとしました。

 

 

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木造下路式アーチ橋130723

橋には様々な形があり、ちょっと意匠を勉強するだけで興味津々の世界に変貌します。木材で長スパンを取るにはどうしてもこの形になるようです。▼この段、添景人物を置かないと風景に空間がつくれないので後ろ姿の友人に登場してもらいました

200704記 つづく

 

 

 

高知の今

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稲に花が咲きました 200701

 

 

 

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おじさんたちはラジコンで遊んでいるのではなく

ヘリ型ドローンで農薬散布しているのです 200701