いっぷく5号 200722 梛木の巨木 昭和天皇 室戸岬 海成段丘

 

   

 

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ご神木が道を分けた国道55号線 200716

 

やっと梅雨は明けたかなという空を見上げてバイクに乗ったらドシャ降りになりました。近ごろのカッパは優秀で雨が染み込むことはありませんが、眼鏡に水滴が残って先が見えないのは困ったものです。止まっちゃ拭き、止まっちゃ拭きして高知市から50㎞ほど行くと安芸市の国道を二手に分ける梛木の巨木がありました。

 

 

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梛木のご神木の由来 200716

 

昭和44年は戦後24年目です。 かつての道徳が日本社会に残存していたころ不動部落の漁師は浪切不動尊に二礼二拍手して出港したことでしょう。この辺りは海岸から山が立ち上がったような地形なので、平地は狭く、道路計画が突き当たったところに梛木のご神木があったわけです。言ってみれば日本古来の神が、新参の土建の神と争って、勝ったということなのでしょう。土佐市宇佐の県道には真ん中に小さな神社を残したところがあります。宮崎県の県道でも似たような状況を見たことがありますが、国道を割った神社は珍しく、境内に植わっていた梛木の木が中央分離帯として残り「日本唯一の名所」となりました。

 

言い方はナンですが、交通の邪魔をする神が今なお鎮座ましますだなんて嬉しい話じゃありませんか。経済合理性を極限まで突き詰めたらみな青息吐息で世を恨むようになった21世紀に、おれらの高知には梛木☞ナギ☞凪ぎの神様がいらっしゃるんだぜって自慢したくなります。コロナ禍と米中貿易戦争によってグローバリズムが終焉を迎え、資本主義国の人々がカネより大事なものがあるかもしれないと新たな哲学を模索し始めた今、ひょっとすると最終ランナーの高知がトップに立つことだってあるかも知れません。

 

 

 

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昭和天皇が巡行で滞在された民間の屋敷 200716

 

室戸岬に向ってバイクでトコトコ走っているとフツーじゃない石組みの塀があり、緑の向こうに和風のお屋敷が見えました。さてはここが噂のあれかと思ったらやはり、でした。天皇陛下ともあろうお方がビジネスホテルに泊まる訳にはいかないし、かといって室戸にそれらしいホテルはないので宮内庁の事務方は悩んだことでしょう。個人宅だから勝手に入るわけにはいきませんが、巨石を隙間なく組んだ石塀を見るだけで並のお屋敷でないことがわかります。見えるところから想像するに立派な日本庭園があり、あくまで和風のお屋敷があり、ついこの間まで生き神様であられたところの昭和天皇がお泊まりになるという綺麗な和音が作られました。

 

 

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室戸岬 / 看板の一部をコピー

 

お屋敷の裏手には石に刻んだ海しょう(口偏+蕭)=津波の記念碑があります。室戸の沖にはフィリピン海プレートが沈む南海トラフがあり、地震の度に隆起をくり返し、周辺の台地が盛り上がって海食崖を形成し、その上に見事な海成段丘がつくられました。ここ室戸ジオパークは地層時間で言えば猛烈な速度で大地が盛り上がる世界でも稀な場なのだそうです。

 

 

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24番札所最御崎寺ホツミサキジへ向う途中の展望所から見た行当岬 200717

 

海岸沿いの道を走りながら山を仰ぐと切り立った壁のように見えます。水が大地を削って流れるライン川の観光船から見上げたような風景です。足摺岬側にはない風景なので、プレートの何たるかを知らないときには変な山だくらいにしか思わなかったのですが、、

 

 

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はぜ(木偏+戸)山-西山台地 / 看板の一部をコピー

 

その海食崖の上に広がる海成段丘から太平洋を見渡すと、横一線に切れた台地の縁が、水平線に並びます。道が細いこともあって通常の室戸観光からは外されていますが、ここを見ずに世界ジオは語れないので、観光客の皆さまにはぜひお寄りいただきたいところです。

200722記 つづく