ちょっと道草 210419  写真で Go to西表島14  別荘民宿車中泊たまに野宿 B

 

 

 

 

 

都市で仕合わせを実現しようとすれば、それなりに物入りです。だから田舎暮しに憧れ夢のような絵を描く人もいますが、下準備もなく田舎に入った人は、やがて異文化に戸惑い、後悔することになるでしょう。都市と田舎の良いとこ取りをして後半人生をたのしもうとお考えの方は、それなりの覚悟もって早めに構えをした方がよろしいというのが四国の山間で6年暮らしたぼくの結論です。

 

 

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西表島星立(干立)の保存家屋 140425

 

縄文時代の竪穴住居が

カッコよく立ち上がったような家です

障子と襖でゆるく仕切られた空間だから

家人の気配がビンビン伝わります

 

日が落ちたら炉端で鍋を囲み

魑魅魍魎が跳梁する闇に包まれ

子どもはお母さんにひっついて

みんなで寝ましょって設計ですね^^!

 

森の別荘

人生の一時期にドンと儲けた人が、別荘を建てようが、クルーザーのオーナーになろうが、どうぞご勝手になんですけど、別荘を持ったことのない者の空想でいえば、やめといた方がよろしいのではないかと、、理由は、別荘が持てるほどのカネ持ちは仕事が忙しくて別荘へ行く暇がない。やっと別荘が手に入って嬉しいという程度の金持ちだと自分が管理人になってしまう。自然の中で悠久の時間に身を任せようとか何とかいう土建屋のキャッチコピーに釣られて甘い夢を描き、確たる目的をもたずに別荘へ行っても、そこで何をしてよいか分からない。別荘には足がないのでご近所さんとトラブっても逃げられない等々まあ持てない者のやっかみなのでテキトーに読んでくだされば有り難いです。

 

 

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蛇口の受け皿は

シャコ貝の片割れ!

 

昭和30年代の農村を知る自分には

違和感のないつくりですが若い人が

住みたいかと問われたら

ちょっとでしょうね

 

 

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なんと礎石は

造礁サンゴ!!

 

夜が明るくなり

みんながスマホをもって

違う世界を意識する時代には

そぐわない設計ですが

 

ひとりになりたければ

家のまわりに森があり海があるから

イヤになるほど個人主義が味わえます

 

都市のマンションと田舎の在来家屋と

どっちか選べと言われたら

それはもう一も二もなく

 

民宿なら飯付きで7~8000円が相場だから仮に1日1万円とし丸1年プー太郎しても365万円⇒車1台買ったと思えば安いものです。ピンキリながら別荘と名が付けば車より1桁上の物入りなので、庶民よりちょっと上ていどのカネ持ちには覚悟が要ります。モノは考えようだし人それぞれ目的があるわけだから他人が意見するようなことではありませんが、そもそも遊び暮らして本当にたのしいかどうか、心の満足にはカネや別荘とは別の問題があるように思います。

 

 

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高知市浦戸湾 210318

むこうは湾と太平洋を同時に見渡せる浦戸大橋

 

海の別荘

拙宅の裏山を下りると紀貫之土佐日記した浦戸湾が広がります。向かいにマリーナがあり、ずらりと並んだ小船にびっくりするほど高いマストが波に揺られています。中には加山雄三が火事で失った船もこんなものかなと思われる立派なクルーザーがあり、所得ランキング最下位を低迷する高知にも金持ちはいることが分かります。

 

 

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浦戸湾のマリーナ 200222

 

しかし龍馬像が睨みを利かす桂浜沖が、ヨットやクルーザーで賑わっているかといえば、青い海にセールが揺れ、白い航跡が行き交う日はめったにありません。舟遊びは人生最高の時間ですが、せっかくの贅沢船が埠頭にもやう海の別荘では寂しいような気も、、オーナーはたまの休暇を盗んで訪れ、船室でパソコン叩いたりして「冬ごもり妻にも子にもかくれんぼう」 (蕪村)を決め込むのでしょうか。

 

 

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浦戸湾に咲く雑草の花 210318

 

遊ぶ訓練

どの国のヒトも法曹界でメシを食うには青春を犠牲にする必要があるらしく、以下はKoreaの友人弁護士が同業者について語った言葉です。「高校時代に必死で勉強し良い大学に入った。大学時代に徴兵義務を終え、死に物狂いで勉強し弁護士資格を得た。事務所を開き、人を雇い、それなりのトシになってやっと暮しが安定した。カネはある。ヒマもある。晴れて自由を鷲掴みしたけれど、さて何をして遊ぼうかと考えたとき、自分は遊びを知らないことに気がついた。だから用もないのに事務所に顔を出し、椅子に座って家に帰るのが日課だ」等々、それは弁護士仲間を指してのことか、あるいは問わず語りに自分を語ったのか、よく分からないところはありますが、学ぶことと遊ぶことが背中合わせの関係にあることは確認できました。たまの休暇に別荘へ向かっても遊ぶ訓練をしていなければ遊べないわけです。

 

心の別荘

ではKoreaにおける遊びとは何か? 観光産業が提供するフツーの遊びならなんぼでも思い付きますが、江戸期260年の町民文化が育んだ艶やかな遊び乃至オタク的趣味の数々を念頭に描き、それを彼の国に折り畳むとき、日本にあってKoreaにないもの又はKoreaにあって日本にない遊びとは何か、長く考えてきましたが、まだよく分かりません。写真は山ほどあるのでいずれ整理したいと考えています。

 

ロシアのメディアは根性があると見えプーチン大統領の秘密の別荘を写真付きですっぱ抜きました。森に埋もれた宮殿のような別荘のトイレのブラシ1本の値段がオレの月給と同じであることに気付いた庶民から不満の声があがったそうです。プーチンは自分が所有主であることを否定していますが、余所の国の話だから興味本位で思いますに、独裁国家の経営者には相応しい別荘なのかなと、それにしても、

 

 

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プーチン宮殿 *ネットより

 

なんぼ偉ろうても

こんな別荘を欲しがるもんかね(~~!

 

そのむかし中曽根康弘首相がレーガン大統領を茶室に招いて持てなしました。きらびやかな構造物を好む元ハリウッドスターが、ワビ、サビを旨とする茶室に坐らされて何を思ったかは知りませんが、茶であれ武であれ、道を極めた人の立ち居振る舞いは、それ自体が他を圧する文化力です。背骨を正しく伸ばした茶道家が、茶碗を回し、クッと傾けるカッコよさには惚れ惚れしますね。

 

 

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にじり口 *ネットより

 

腰を曲げて

狭い入り口から

覗き込むと

 

 

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茶室 *ネットより

 

びっくりするほど

広い空間が開けます

 

政治家に対する好悪はさておき、帝大法学部卒、内務省官僚という特殊な訓練をされた中曽根康弘氏は背骨がピンと立った人物ではありました。聖徳太子が「日出ずる処の天子」と称して以来13世紀を経た日本国は、建国169年の若い国と武で争って敗れました。ならば茶で圧倒しようと企んだかどうか(^^!  武と文化が外交の両輪であることは確かです。

 

 

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茶室 *ネットより

 

元はといえば

竪穴住居が進化し

ここまで来ました

 

飛び石の打ち方にさえ

雁掛け、千鳥掛け、大曲りと

様々な呼び名があります

 

 

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組立式茶室と夜桜 *ネットより

 

桜が美しいのは桜を

美しく見る文化があるからです

 

 

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新緑に包まれた組立式茶室 *ネットより

 

都市と地方が互いに関係するように

人為と自然も必要不可分の存在です

あれかこれかではなく

人間には両方必要なのでしょう

 

 

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西表島の民宿 170703

 

亜熱帯植物がつくる結界の向こうで

芭蕉が揺れる一棟貸しの民宿は

ひとときの別荘であり

茶室でもありました

 

自然と文化がほどよく調和した

庶民の宿でしたが惜しいことに

今はありません

210419記 つづく

ちょっと道草 210413  写真で Go to西表島13  別荘民宿車中泊たまに野宿 a

 

210413 ちょっと道草 写真で Go to西表島13  別荘民宿車中泊たまに野宿(a)

 

 

 

ヒトはみな、カネさえあれば、宝籤が当たればどんなに仕合わせだろうと夢見ますが、本当に札束が降って湧いたらどうします? むかし株の神様=邱永漢が「年に1億円散財しよう。この指たかれ」と募集したところ、たちまち仲間が集まり、神様が旗振りをしました。

 

 

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マングローブ林に埋もれた仲間川 170630

この視野角で人工物が見えない風景は珍しい

 

遊び暮らして1年で1億円を使い果たすには27万円/1日の計算になります。それが2日や3日ならぼくだって愉しく遊べそうですが、毎日27万円使うことが義務化されたらどうなのか。風邪をひいて1週間も休めば翌週は189万円の追加消費が求められます。LCCなら10万円で乗れるヒコーキに100万円も払ってファーストクラスに坐り、星が3つも4つも付いたホテルで最高級ワインを開けたところで追いつきません。それを年がら年中やらねばならないのだからだんだん苦しくなって脱落者が続出し、参加者は「使うより稼ぐ方が楽だ」という教訓を得たようです。事業の1億は小さな資金ですが、暮しを担保した上での遊興費1億エンはとてもじゃないけど使えんよ、要らんワというレベルのお金みたいです。

 

 

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浦内川の遊覧船 140426

 

それでもヒトはカネを欲しがります。野球やサッカーの高所得選手は、どんな暮しをしているのか、下世話な好奇心ではなく、生きる意味をカネの流れから考えるため家計簿を見せてもらいたいものですが、そのようなレポートってないですね。噂によると新庄選手がとてもユニークなカネ人生を送っているようですけど進んでプライバシーを丸裸するバカはいないので本当のところはわかりません。

 

 

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浦内川で舟遊び 140424

手漕ぎのカヤックには森の音が届きます

 

巨万の富を得た個人は何をするか? いつかのブログに宝籤で1000万円当てた友人が何をしたかについて書きました。その程度のカネだと、飲み屋で配って、新車に替えて、ゴルフで握って…小遣いの延長線上にある夢を叶えてお疲れさまって感じです。ぼくの身近なところに億のカネがドンと降ってきた人が複数います。慎ましい暮しを立てていたところへ数字が0の行進を始めたので正気を失い、冷たく言えば、得た悦びより失った日常の方が大きいかも知れんなと、、カネは使う訓練をした人のところへ必要額が降りたとき最大の効果を発揮します。

 

 

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沢に沿った登山道140424

 

トロイの遺跡を発掘したドイツ生れのシュリーマンは、不遇な幼少期を経、南米北米を転々としたあと武器輸出で巨万の富を得ました。Wikiにはいくらか冷たい筆で人物評が置かれていますが、旅行家として日本を訪れ「シュリーマン旅行記清国・日本」講談社学術文庫をものにし、その8年後にトロイの遺跡を発掘したシュリーマンは、死の商人であったとも言えますが、考古学の功績を素直に認めれば、カネは有効利用されたと言えるのではないでしょうか。

 

 

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板根に沿って這い上がる蔓140424

 

フランスで生れ、世界を転々とした画家Pゴーギャンもまた幸せとはいえない幼少期を経、株式仲買人として稼ぎ、ゴッホとの共同生活を経て、タチヒへ向かいました。浮世絵に強い影響を受けたゴーギャンの随筆「ノアノア」には、見たこともない日本の二文字が、日本のように、日本のような、と美を象徴する修飾語として使われています。ゴーギャンは生涯の節々でカネを得たり、失ったりしながら画家として一時代を画したわけですが、いま少しフトコロに余裕があって来日していたら、新たな着想を得たかもしれません。

 

イギリスの旅行家イザベラ・バードは、容赦ない筆で「朝鮮紀行」「中国奥地紀行」を書きました。一方、明治期の日本を東京から北海道まで歩いた「日本紀行」では、その大半に称賛の言葉を置いています。もしもバードとゴーギャンが、日光あたりで落ち合って互いに刺激し合いながら、山形秋田北海道と股旅を続けたらゴーギャンは、タヒチ時代とは違う画風をものにしたことでしょう。幕末から明治にかけて白人どもが世界を荒し回った時代は、異文化が衝突しダイナミックな火花を散らした時代でもありました。

 

 

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マリユドの滝 140424

滝壺と呼ぶには大きすぎる池でした

 

株の神さま邱永漢は、戦後日本の経済成長期にドンと儲け、2001年に始まるChina経済の成長路線に乗って再び大儲けしました。得たカネ(と呼ぶより途方もない資金)をもって何をしたかと言えば、旅をする。旨いものを食う。新商売を発案する。カネにまつわる文を書き講演をして拍手喝采される等々 (傍目には)たのしい人生を送り「私は77歳で死にたい」という本を書いたにもかかわらず、Chinaで反日暴動が起こる2012年の春、88歳まで生きました。

 

台湾生れとはいえ氏の心の故郷はChinaにあったのだろうと推察します。その古き懐かしきChinaの街並みが、経済成長と引き換えにどんどん壊されることを悲しみ「Q天地」と称して旧市街の保存活動をしてもいます。「溜めたお金は使って完成」という名言を残したQ永漢は、日本とChinaの成長風に吹かれ、カネに遊ばれるのではなく、むしろカネを使い倒した人生でした。

 

 

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ピナイサーラの滝 170706

 

ハブを恐れず

蛭に献血したい方は

潮が満ちたころ

カヤックで向こう岸へ渡り

歩いて滝壺までどうぞ

 

正確な引用をするには本を100冊も読み返さねばならないのでご勘弁いただくとして、氏の箴言に「100億のカネをもてば100億の風景が見える」といった言葉があります。とすると邱永漢の弟子であり葬儀委員長でもあったUNIQLO柳井正社長には、その純資産438億ドルの風景が見えているのかどうか、まあぼくにはカンケイのない話ですが、逆にいえばサラリーマンには所得に応じた風景しか見えていないことになります。預金通帳を見つめ「この命なにをあくせく明日をのみ思いわづらふ」とうそぶくのがフツーの日本人なわけで、持つ者と持たざる者が同一の座標でカネを論じても無意味です。

 

 

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ヒルギ(マングローブ)の膝根 140422

膝を立てたような根っこで呼吸するのですと!?

 

では持つ者が持たざる者より多くのものが見えているかと言えば、認識の容量には限界があるので、必ずしも金持ち有利とは言えません。まばゆいばかりの金の光に愛された邱永漢が、野に咲く一輪の百合の花に目を止めたかと言えば、ぼくの読書記憶にそのようにしっとりとした文句は1行もありません。ものを書く日本人作家は例外なく身近の自然に眼差しを向けますが、Q氏は大陸由来の血が濃かったらしく、カネを稼ぎ、旨いものを食し、ロールスロイスに乗って、良い家に帰ることに人生のエネルギーを注力したかのようです。したがって「棒切れで球を打つ」スポーツには何の感心も持たなかったようですが、そこらあたりがカネ人生の限界だろうなとぼくは睨んでいます。博打の賭け金を吊り上げた世界で生きる人間が、この世の何もかも味わったことにはなりません。金持ちが見失った足元の世界は、フツーの人間が見損ねた金満世界と等量の空白なのでしょう。

 

 

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森の忍者サキシマカナヘビ 140420

 

長い前置きになりました この世には

持たざる者にしか見えない風景だってあるはずなので

わが後半人生はLCCと民宿と車中泊に捧げるだけで満足なのですが

それさえコロナで怪しくなりました

210413記 つづく

 

 

 

 

    # # # 高知の今 # # #

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高知市春野の梨園 210411

 

2020年12月31日号で紹介した井上正康医師は、

コロナは風邪だ

日本人は抗体をもっている

PCR検査には問題がある

鎖国をしても何の効果もない

桜のころには消える

風邪とインフルエンザの行方?

外食産業は濡れ衣を着せられた

人類が初めて経験する遺伝子ワクチンは様子を見るべし

感染症指定2類を5類に落とせば医療崩壊はただちに解消する

等々の見解を述べました

 

 

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梨の実 210411

 

4月13日現在その予想はほぼ当たっているように思われますが「桜のころには消える」はずのウィルスが変異し拡散し大騒ぎです。ぼくなどウィルスは変異しつつ弱毒化するものだと聞きましたが、本当のところはどうなのでしょう。メディアとしては話を膨らました方が得策だし、製薬会社ももうひと頑張りしたいであろうから煽りっぽい感じもしますけどね。ニュースで見た日本医師会会長の談話には、では医師会は何をしてきたのか、何をしたいのかという具体策が全くありませんでした。

 

井上正康医師によると「政府の決断を促した小池都知事に加え、専門家会議の(尾身)会長が『感染経路の大半は不明だが、飲食店が怪しいと思う』などと耳を疑う非科学的発言をされたことで、”本当に彼らが都政の責任者や政府を指導する専門家なのか? 自分が何か悪い夢でも見ているのではないか? と言い知れぬ不安が脳裏を横切った」そうです。(末尾に全文引用しました。ご興味のある方はどうぞ)

 

4月9日に高知でも8人の感染者が追加されました。しかし「全員が軽症」とのことですから鼻水たらして1週間も寝込んだら完治するのではないでしょうか。高知では過去19人のコロナ死がカウントされていますが、県人口76万人中わずか19人という数字は大騒ぎするほどのことなのかどうか、しかもその殆どが高齢者のはず、年寄りが「風邪をこじらせて」逝っても珍しいことではありませんが、コロナという言霊がかぶさるとニュースにされます。

 

ならばインフルエンザはどうなんだ? 肺炎は?

と誰もが疑問に思うことをさっき届いた大前研一のメルマガが

クールに指摘しているので全文添付します。ご参考までに。

 

 

 

 

大前研一のメルマガ 210409

▼結果だけを見れば、日本は新型コロナによって生き延びた人が多かった1年

日経新聞は先月29日、
「コロナ禍、超過死亡なし」
と題する記事を掲載しました。

2020年の1年間の死亡数が、
欧米では死亡数が平年を上回る
「超過死亡」となった一方、
日本は11年ぶりに減少しました。

マスクの着用や手洗いの徹底などで
季節性のインフルエンザが激減したことなどが
要因と見られる一方、
国内の新型コロナによる死亡数の9割は
高齢者であるほか、
集団感染の発生も高齢者施設が最も多く、
急所を突いた対策への転換が
急務としています。

日本人が様々な「言いつけ」を
律儀に守った結果だと言えるでしょう。

手洗い、マスクの着用を徹底し、
インフルエンザのワクチン接種も
積極的に行ってきました。

海外の論文によると、
インフルエンザのワクチンでも、
新型コロナウイルスに効果が見られた例も
あるとのことです。

日本では、2020年の
新型コロナによる死亡数は1673人でした。

感染性胃腸炎による死亡数よりも少ないのは驚きです。

また、インフルエンザの死亡数が
前年の3281人から941人に激減しているのも
驚異的だと思います。

呼吸器系疾患による死亡数を見ると、
肺炎による死亡数は7〜8万人ですから、
新型コロナによる死亡数とは
比べものになりません。

この結果だけを見れば、新型コロナ対策よりも、
肺炎対策に力を入れたほうが良いという
意見が出てもおかしくありません。

新型コロナウイルス感染が拡大し、
その対策をしたことで、
日本は結果として
「超過死亡」がマイナスになるという
世界的に見ても非常に珍しい国になりました。

欧米では新型コロナによる死亡数が多く、
「超過死亡」になっています。

すなわち、結果だけを見れば、
新型コロナウイルスによって、
日本では「生き延びた人が多い」と言えます。

 

 

井上正康医師の

▼医者いらず健康長寿処方箋87

「マスク依存症と自粛強要社会の不条理」

 

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康

先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー

代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究され

ている国際的研究者です。現在、多くの府県医師会主催の公開講

座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!!

ご連絡はURLより。http://www.inouemasayasu.net

 

本年も早々に新型コロナ緊急事態宣言が発動され、その

延長と飲食業界をスケープゴートにした自粛時短強要が続い

ている。政府の決断を促した小池都知事に加え、専門家会議

の会長が「感染経路の大半は不明だが、飲食店が怪しいと

思う」などと耳を疑う非科学的発言をされた事で、“本当に

彼らが都政の責任者や政府を指導する専門家なのか?自分が

何か悪い夢でも見ているのではないか?”と言い知れぬ不安

が脳裏を横切った。メディアも相変わらず無意味なPCR陽性

者数を発表し続け、スパコン富岳の呼気画像が“口内はコロ

ナの巣窟!”との印象操作で国民を震え上がらせてマスク依

存症を増悪させている。今では大都会から田舎の過疎地に至

るまで、マスク姿が屋内外の異様な日常風景と化してしまっ

た。他者に感染させない“鼻出しマスク”で排除された受験

生や不着用で搭乗を拒否された方々はマスクヒステリーの被

害者である。“幽霊の正体”ではないが、ヒトの脳は得体の

知れないモノに恐怖を感じて忌避行動を起こすようにデザイ

ンされているのである。

 

吸気と供に侵入するコロナウイルスをマスクで排除する試

みは“鶏小屋の金網で蚊の侵入を防げ!”と主張するに等し

く、“竹槍でグラマンを落とせ!”と根性論で叫んでいた大

戦中の大本営発表と大差がない。一方、鶏が金網で逃げら

れない様に、咳やくしゃみで飛散する唾液中のウイルスは多

少トラップされるので、発症時にはマスクも意味があり、手

で顔を頻繁に触る人ではウイルスの移動も減少するかも知れ

ない。しかし、デンマークで行われた大規模比較試験では、

“新型コロナの感染予防にマスクは無効である”と報告され

ている。

 

実は、食事の度に口腔粘膜には無数の小さな傷が生じてお

り、ここから病原菌が入らない様に唾液中にIgA抗体や様々

な感染防御因子が分泌されている。しかも、傷口から毎日

数千万個もの活性化された白血球が出てきて口内を常時パ

トロールしている。戦闘モードの彼らは活性酸素や一酸化窒

素(NO)を常に放出しながら病原体を分解排除しているの

で、不安定なRNA遺伝子などは簡単に断片化されてしまう。

 

日本のPCR検査では40サイクル以上も増幅して感染力のない

RNA断片を検出して多数の偽陽性数を出している。熾烈な攻

防戦を1週間近く繰り返した末に傷口から侵入したコロナウ

イルスは血管壁のACE2受容体に結合して感染する。一方、

インフルエンザは気道粘膜のシアル酸を介して感染して短い

潜伏期で発症する。インフルエンザとコロナの感染特性の差

を理解することが感染予防策の鍵となる。

 

ACE2を介して感染する新型コロナの病態の本質は血管炎

血栓症である。従来のコロナ風邪もこじらせると重症化し

血栓症などで高齢者の命取りとなっていた。“風邪が万病

の源”と言われる所以である。

 

新型コロナは突然変異で感染

力が従来の6倍に増強し、インフルエンザよりも感染しやす

くなった。感染防御に重要な自然免疫系は、活性酸素やイン

ターフェロンなどでウイルスを排除するので後続のウイルス

は感染しにくくなる。

 

“ウイルス干渉”と呼ばれるこの現象

のお蔭で今年はインフルエンザが世界的に激減し、小児の手

足口病なども1%以下に抑制された。新型コロナはインフル

エンザよりも感染力は強いが、風邪と同様の病原性なので大

半は無症状で経過するが、免疫力の低下した高齢者ではこれ

までよりも注意が必要である。

 

繰り返される非常事態宣言と不毛な自粛強要により疲弊

した国民は平常心を失い、ワクチンに対して過剰な期待を抱

く様になった。従来のワクチンは病原体を用いる死菌ワクチ

ンや生ワクチンなどであるが、今回は大半が遺伝子ワクチン

である。遺伝子ワクチンの開発は米国の9.11同時多発テロ

に起こった炭疽菌テロ事件に端を発している。これに危機感

を強めたペンタゴンが軍事物資として開発を始め、米国、中

国、ロシア、フランスなどで密かに進められてきた。

 

遺伝子ワクチンは

どの様な病原体に対しても短期間に低コストで大

量生産可能であるが、何故か20年以上も陽の目を見ること

はなかった。何億人もの健常者に接種するワクチンには極め

て高い安全性が要求され、何年もの開発期間が必要である。

しかし、今回はパンデミックで世界中がパニックに陥り、安

全試験が無視されて一気に表舞台に躍り出た。この為に安全

性が不明の遺伝子ワクチンをいきなり無数の健常人に接種す

る非常識な人体実験が世界中で進められている。

 

昨年秋にEUで新型コロナがミンクに感染し、強毒株の誕

生を心配したベルギーなどで全頭が殺処分された。動物のコ

ロナワクチンは古くから研究されてきたが、特に猫コロナで

の研究が進んでいる。猫コロナでは腹膜炎が起こるが、ワク

チンを接種された全例が2年以内に死亡する事が判明してい

る。18年前のSARSでもコロナワクチンが注目されたが、変

異しやすいRNAウイルスでは抗体依存性感染増強(ADE)と

呼ばれる致死的副反応が起こり、サイトカインストームで死

亡する事からワクチン開発が凍結された。同様の理由からエ

ボラ、エイズC型肝炎などのRNAウイルスでも安全なワク

チンは未だに開発されていない。

 

遺伝子ワクチン開発の製薬

企業はその情報を熟知しており、これが動物実験を省略(或

は既知情報非公開で)してイキナリ接種を強行した理由かも

知れない。現在、短期間での副反応が少ないとして接種が継

続されているが、血栓症の症例や死者が出て北欧では接種を

中断する国が増えている。これが修羅場的副反応への序曲で

ない事を祈りたい。

 

日本では土着コロナによる毎年の免疫軍事訓練に加え、昨

年春までに大量の中国人旅行者と共に入国した新型弱毒株で

早期に免疫強化訓練を済ませている。日本人は既にワクチン

を数度接種したのと同じ免疫状態にあり、ウイルス干渉でイ

ンフルエンザの死亡者を激減させて超過死亡数を世界一少な

くする事ができた。新型コロナの無症候性感染者ではIgG抗

体の体内半減期が約36日であり、感染した1年後には抗体価

が測定限界以下になる。

 

しかし、免疫記憶が保存されている

ので大半の日本人では再感染しても防御反応が速やかに活性

化される。この様な理由から、安全性が不明な遺伝子ワクチ

ンを慌てて接種する医学的必要性はどこにも診られない。百

歩譲ってワクチンを接種するなら、冬型コロナが元気づく11

月頃が意味のある投与時期である。海外でのワクチン争奪戦

で安倍前首相が大枚を叩いて購入した遺伝子ワクチンの入荷

が大幅に遅れているが、これは国民にとって大いなる福音と

なるかも知れない。どちらに転んでも販売企業には濡れ手に

泡のドル箱となるであろう。

 

多くの国民はワクチンさえ接種すれば元の生活に戻れると

期待しているが、接種の有無に関わらず新型コロナは感染を

繰り返しながら人々の生活に溶け込んでいくであろう。しか

し、それまでに人々が失うものはあまりにも大きい。この不

条理に対して医学関係者が口を閉ざして渦中の栗を拾わない

事は、己の存在意義を無いに等しくするものであり、近代医

学史での拭い難い汚点となるであろう。

 

 

 

▼引用者注

以上は、井上正康医師が、昨秋来主張していることをご本人がまとめたものであり、その指摘は「桜のころ」のいま実証されつつあります。ぼくは氏の説を正しいと思う者ですが、あえて疑念を申せば「大量の中国人旅行者と共に入国した新型弱毒株で早期に免疫強化訓練を済ませている」ことが医学的に正しいにせよ、発生地の責任を問わない氏の姿勢が気にかかります。「香港風邪」「日本脳炎」のように通常、新しい病気には発生地の名称が被せられますが、当初「武漢肺炎」「中国ウィルス」と呼ばれた感染症が、WHOではCOVID19、日本では新型コロナとイミフな名称に置き換えられ、責任の所在が曖昧にされています。井上正康医師は、あたかも「中国人旅行者」のおかげで日本人は安全が担保されたかのような物言いをし、書いてもいますが、それは何なのか? Chinaに対する忖度かとつい邪推してしまうのです。”いやいや、それは政治の話でしょ? 医学とは関係がありません”と反論されればそれまでですが、、

 

 

 

 

ちょっと道草 210407 写真で Go to西表島(12 イリオモテヤマネコ プロ写真

 

 

 

 

 

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ヤマネコ注意看板 170707

 

この角度この構図で森に棲むヤマネコの写真を撮るのは至難の業です。軽い望遠レンズを使っているようなので近場から狙った一枚すなわち保護されたイリオモテヤマネコを飼育場で撮った写真でしょう。

 

 

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横塚眞己人氏が撮ったイリオモテヤマネコ

西表島フィールド図鑑」2011年実業之日本社発行の表紙

 

 

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「日本遺産№25」2003年朝日新聞社発行の表紙

 撮影 横塚眞己人

 

 

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「日本遺産№25」p14より 

 

被写界深度が浅いのは大砲みたいな望遠レンズのせい。ピントは瞳にジャンと合っています。ハブと蛭とマラリア蚊が守る太古の森を大砲と三脚を抱えて歩き回っただけでも恐れ入りますが、地元民さえ滅多に見ることのないヤマネコの居場所を突き止め、テントを張り、夜を徹してねばった一枚なのでしょう。丸い耳、白いアイシャドー、毛並みの色艶、肉体改造を終えた大谷翔平選手のようにたくましい腰まできっちり捉えています。

 

横塚眞己人氏が西表島に滞在したのは1985~1994年の間だからまだデジタルカメラは出回っていません。当節のデジカメはISO感度10万超というほとんど赤外線暗視装置のようなものまで発売されていますが、この写真が撮られたころのフィルム感度はISO1600あたりが限度ですから木の下闇でブレのない写真を撮ろうと思えばそれなりの設定が必要です。しかもチャンスは一度きり。プロは汗を見せないのが原則なので氏は撮影に関する説明も弁明もしませんが、「西表島ヤマネコ騒動記」小学館文庫を読めば、この一枚を撮るために費やした時間とエネルギーが想像されます。

 

 

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西表島フィールド図鑑」p72より

 

イエネコだって木に登る

ぼくもちょいちょい柿の木の上で

爪を研ぐハナちゃんを撮ります

が、どうやっても緊張感が乗りません

 

これは森で撮ったプロの絵

構図よしピント露出もドンピシャ

必要にして充分な条件が揃っています

 

若き横塚眞己人氏は西表島で写真集をつくろうと思い立ちます。思うだけなら誰でもできますが、宿は? 期間は? 費用は? 出版社と交渉し、ツレを説得する殺し文句を考え、村人の不作法な目に耐える強い精神を養い、成功した今なら何とでも言えるが海のものとも山のものとも付かない当時は、気の利いたピッピー程度にあしらわれたこともあったはず、まあ青春とはそのようなものであり、なればこその若い力で切り拓いた写真集なのだろうと拝察します。ヤマネコに限らず「西表島フィールド図鑑」に置かれた鳥、虫、樹木、草花の一枚一枚が、よくぞこの瞬間を、この光、この構図で捉えたものだと感心します。世によくある誰が撮ったとも知れない写真を欠伸しながら散らした図鑑とは一線を画しています。

 

 

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西表島フィールド図鑑」p70より

 

 

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水に入ったヤマネコ

「日本遺産№25」p15より

 

イエネコは水を怖がりますが

ヤマネコは川を渡ります

 

浦内川観光船の船長さんによると、

この仕事を10年ほどやっているが

ヤマネコを見たのは1回きり

「子連れで泳いでいた」そうです

 

そのヤマネコが水に入る瞬間を狙って

シャッターを切った写真家の執念に敬服します

観光旅行でたまたまヤマネコに出会うことはあっても

偶然を定着させたプロの絵は別次元です

 

 

 

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西表島フィールド図鑑」p71より

 

尻がたくましく尾の長い

イリオモテヤマネコ

気配を察し振り向いた瞬間

 

上下の木部が緊張感をつくり

読者はヤマネコの瞳に誘導されます

ヒトとネコの視線がぶつかり

散った火花が芸術としたもの

 

写真に絵画性がなければパラパラめくってハイおしまい

じっくり目を止めて考える気にはならないでしょう

図鑑だから観察条件が揃えばよいとするのは

安物図鑑ないし学校教科書に見られる低い文化です

 

息を詰め、一瞬のチャンスに人指し指で反応した写真集をゆっくり捲っているうちにふと、写真ってレンズを透かした俳句だなと思い至りました。松尾芭蕉は、和歌も連歌も絵も茶も通底するところは同じ→「西行が和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」と断じました。とすれば横塚眞己人は認識の道具としてカメラを追加したことになります。

 

 

 

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横塚眞己人著「新装版イリオモテ島」p72より

新日本教育図書㏍2002年版

 

この仕種をみればイリオモテヤマネコ

ウチのネコと変わらんなと思いますネ

 

蛇足ですけど

2011年刊「西表島フィールド図鑑」はすげえ! と思いながら本棚から上記1987年初版の「新装版イリオモテ島」を取り出したところ意外にも素人っぽい写真が散らかっているので、あれッと思いました。プロ写真家だって初めは素人です。編集方法を含め横塚眞己人30歳の作品が若いのは当たり前かも知れません。(上の樹上で顔を洗うヤマネコは別ですが)

 

 

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ヤマネコバッグとツーショット^^

ワケありで耳がげじげじの

ハナちゃんでした

210407記 つづく

 

 

 

どーでもよいことですが

2001年に買ったHondaのナンバーを51にしたら

知らない人が寄って来て野球話で盛り上がりました

いつしか年は過ぎ車も選手も世代交代し再び

はるか昔の歴史が掘り返されています

次のToyotaは17番にしようかなと…

 

ちょっと道草 210401 写真で Go to西表島(11 イリオモテヤマネコ 素人写真

 

 

 

 

 

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イリオモテヤマネコ 140419

大原から大富口ヘ向かう東部縦断道にて

 

40㎜マクロ標準レンズで撮った写真なので空間の幅はヒトの目に近い感覚です。たぶんこの距離がヒトとヤマネコのぎりぎりの間合いなのでしょう。シャッター音が届いたかヤマネコは身を翻し左の茂みに消えました。

 

イエネコとヤマネコの外見上の違いは、耳が丸い。目の周りに白い隈がある。尻尾が長い。腰の筋肉が発達している等々にあります。後ろ足に強いバネを持つヤマネコは重力を無視するかのようにジャンプし茂みにスルリと溶け込みました。

 

その優雅な放物線を見て以来ぼくは飼い猫が飛び上がる瞬間を注視する癖が付きました。イエネコだって元は野生だからたくましさを持っていたはずですが、ヤマネコとはプロ選手と素人くらいの差があります。飛ぼうか飛ぶまいかと迷う程度の塀の高みにジャンプし前足を引っかけておろおろする飼いネコを見るにつけヒトもネコも安穏と暮らしていると堕落することがわかります。

 

島の食堂で飯を食っていたら隣の席でネコ話に花が咲き、ヤマネコを目撃した地元の人間が「いやあオレ山道で初めて見て感動したよ。カメラもってたらなチッキショ」というような話を長いことやっていたのを聴きぼくはムヒヒ、、でした。白浜で泊まった民宿の女将さんも森のヤマネコは見たことがないそうで「クニに帰ったら写真を送ってよ。壁に貼るから」とのこと、

 

ところが世の中にはえらいヒトがいるもので、星立(干立)の民宿の女将さんによると「昔はシシでも魚でも獲れたら部落のみんなで分けて食べたものでした。ある日ネコが獲れたって言うから箸とお椀をもって行ったら、ネコって小さいでしょ、ちょっとしかないのよ」と掌でお椀をつくって残念そうでした。

 

1965年(昭和40年)本土復帰前の沖縄でイリオモテヤマネコの標本を入手した動物作家、戸川幸夫が聞いたら顔色が変わるような話ですが、作家と地元民では目的がちがうからネコに向ける眼差しがちがうのは当たり前のことです。当時イリオモテヤマネコは島の独立種であるとされ、とすれば動物学界を超える分野にも影響する大発見なので日本中が沸きました。新種は発見した人に命名権が与えられます。ヤマネコの名前をどうするかの段で、トガワヤマネコもしくはイリオモテヤマネコが候補にあがり、どちらか選べと言われた戸川幸夫氏は謙虚な判断をしたというわけです。

 

遺伝子分析によりイリオモテヤマネコは、ベンガルヤマネコの亜種とされ、学術的価値はややランクが下がりましたが、天然記念物のカンムリワシセマルハコガメと並び島人のidentityを支える重要動物であることに違いはありません。

 

 

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中央部拡大

 

この写真は、ずっと前のプログで使いましたが

これきりの一枚なのでしつこく置かせてもらいます

夜行性のヤマネコが昼間の道にあらわれるのは珍しいそうです

 

わずか2度目の訪問で運良く島のVIPを写真に収めたワタクシは、西表野生生物保護センターめがけてバイクを走らせ、所長さんに見てもらいました。昔の一眼NikonD300sはモニターの液晶画面が小さく、拡大してもネコの姿ははっきりしませんが、プロ中のプロは、場所や時刻を問い、ためつすがめつ、見つめたあと「間違いありません」とのお墨付きを呉れました。そのような次第で下のワッペンはネコ情報の提供者に与えられた勲章なのです。えっへん^^

 

 

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センターで貰った記念のワッペン

しかし少しばかり苦情を言わせてもらえば

絵がとても下手なのですね

なんかネズミみたいな…

 

 

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イリオモテヤマネコ発見捕獲の地」碑  舟浮140423

 

「国の天然記念物イリオモテヤマネコは1974年(昭和50年)3月17日午前3時頃この地にて鶏を襲って小屋に入ったところを池田稔によって発見捕獲された」とあります。1974年は小野田寛郎少尉51歳がフィリピンはルバング島より帰還した年であり、Chinaでは文化大革命という血なまぐさい権力闘争が進行中、ベトナム戦争におけるサイゴン陥落の前年でもあります。大戦の余波さめやらぬころ日本では新種のネコを生け捕りして大騒ぎになりました。

 

 

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点滅灯付きのネコ注意看板130920

 

学者の推論によるとヤマネコの棲息数は100匹ていどのものだろうと言われます。それが島を半周する道路で事故に遭うのは忍びないので、頻繁にヤマネコ情報が寄せられる山と道の境にネットを張り、看板を置き、車の到来を音で知らせたり、交雑を避けるためイエネコに規制を掛けたり、あの手この手で保護対策を打っています。

 

 

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130919

 

よく見ると看板の提供者は沖縄県建設業協会です。本当にネコを守るのであれば道路は造らない方がよいのですが、そこはまあ痛し痒しとしたもので、西表島でもヒトとネコの共存を図って議論がつづき最終的に環境庁の一存をもって島を一周する道路は建設中止となりました。だからバスも車も島を半周する大原・白浜間の短い距離を行ったり来たりしています。

 

 

                 

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失礼ですがこの絵も下手すぎ 130919

豹が化けて猫又になったのかよと(~~!

 

話は跳びますが

徒然草に化け猫が登場します。「ネコの経ヘあがりて猫又になりて」「人を食ふなると人の言ひけるに」とあるから長く生きた猫は犬ほど太り、人食い猫になるという恐ろしい言い伝えです。月も灯もない昔の夜は真っ暗闇、今でも新月の森に分け入ると目と鼻の先に何があるか見えず闇の中を泳ぐような気がします。全方位をぐるりと闇に取り巻かれた連歌好きの法師が、わずかな明かりをたよりに帰り道を急ぎました。

 

 

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佐脇高之(草冠の高)絵  *wikiより

目を閉じ三味線の音に耳を澄ます猫又

 

連歌好きといえば優雅な趣味の持ち主みたいですが、やはりそこは人間なので、勝った負けたでカネを賭けねば本気になれないところがあります。四角四面の検事長だって雀卓を囲んで遊ぶには多少の掛け金は要るわけで、そんなことで大騒ぎする今の日本は、文化的に劣化したか又は深い悪意があってのことでしょう。

 

連歌好き→賭け事好きの坊主が、懸賞の品物を手に、闇に怯え、妄想で頭を一杯にして家へ向かうところを巨大な化け猫に襲われました。夜道で搔きつかれた拍子に、小川へぶちこけ「助けよや猫またよやよや」とわめき騒いだという挿話ですが、その末尾で「飼ひける犬の暗けれど主を知りて飛びつきたりけるとぞ」と落とすところなどマジなフリしてバカを描く兼好ペンの真骨頂です。

 

この話は高校古典の教科書にも登場し、笑ってお終いという段なのですけども、よくよく考えれば抽象的な近代用語を使わず、やまと言葉に深い哲学を乗せたという意味において兼好法師は只者ではありません。

 

付け加えれば

ラブレターの代筆をしたこともあるらしい兼好法師の女性論は秀逸です。徒然草107段「女の物言ひかけたる返事カエリゴト」冒頭部で、男をめろめろにする女の美しさを描き、女性を意識するからこそ男のダンディズムはあると説いたあと筆は反転します。「かく人に恥ぢらるる女、如何ばかりぞと思ふに、女の性は皆ひがめり」「人我の相深く、貪欲はなはだしく ~ 深くたばかり飾れることは男の智恵にもまさりたるかと思へば、あとよりあらわるるを知らず、すなほならずして拙きものは女なり」と辛口の論評を畳み込みます。フェミニズムの信奉者が読んだら目を吊り上げそうですが、心ある女性なら幾ばくかの自省とともにあらあらと思いながら読み終えるであろう段です。

 

東京オリパラ組織委員会会長の森喜朗元総理大臣が「女性の話は長い」発言をしたトガで非難を受けました。その発言をフツーの国語感覚で読むかぎり、昔のオッサンがよく口にした軽い洒落にすぎず、悪意など伺えませんが、ここぞとばかり飛びついたメディアの餌食にされました。小さなことを大きく膨らまし、あたかも全世界の女性が怒り狂っているぞといわんばかりの報道でしたが、であるなら国体を揺るがす外交問題に全く触れないお前ら記者は何なのよと逆に問いたいほどです。記者(ないし下ッ端を顎で使うデスクあるいはダークサイド)の故郷はどこにあるのかとフツーの日本人ぼくは考え込みました。

 

素人のネコ写真から脱線しました

次回プロのネコ写真にもどります

210401記 つづく

 

ちょっと道草 210326 写真で Go to西表島(10  猪 牛 鷺 蛇 青鳩からシルクロードへ  

 

 

 

 

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リュウキュウイノシシ 140420

 

ヒトの気配を察した猪は、一定の距離を置き

体を真っ直ぐこちらへ向けてジッと見つめます

相手が敵対するものであると認知すれば、こちらが

安全圏を超えたところで森の中に逃げ込みますが

 

 

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40㎜マクロの標準レンズを使用 140420

 

惜しむらくは

リュウキュウイノシシは

逃げ足が鈍臭いのです

 

四国の山中で出会った鹿の成獣は、バイクの前を

映画で見るスローモーションのように跳び

駆け込んだ森の樹木の隙間から

丸い胴体の上にすらりと細い頸を伸ばし

ふたつの集音マイクが付いた小さな頭をこちらに向け

バイクを停めたぼくにピントを合わせました

こちらも鹿と眼を離さず

懐に忍ばせたカメラの電源を入れ

取り出そうとしたところで姿が消えました

 

北海道は夕暮れのサロベツ原野で

エゾシカの群れが先を急ぐ姿もまた

強い腰のバネがつくる半円の影を残して優雅でした

煎餅をねだる奈良の鹿とは

まるで違う野性そのものです

 

猪にも種類があるようでデカいのもいます

岡山県山中の民家近くで深夜に出会った猪は子牛ほどもありました

愛媛県佐田岬で車の前照灯に浮かび上がった猪は

振り向きざま憎々しげな瞳をこちらに向け

「なんでえこの野郎!」とでも言わんばかりのツラで睨み

たくましい尻を見せて茂みに消えました

 

五島列島の森の中を走っていたとき突然

目の前を大きな黒い影がよぎりました

もしもあれがバイクにぶつかっていたら

誰も通らない道で転倒し足の骨でも折って

えらい目に遭ったはずです

 

シシのモモ肉を丸ごともらって

煮て食ったことがありますけど

堅いの何の! この肉があの瞬発力を生むのかと

顎が痛くなる思いでした

 

 

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囚われのシシ 140420

 

リュウキュウイノシシは小振りながら

西表島では最大体型の野生獣です

もちろん愛玩用に飼っているのではなく

シシ君は遠からず厳しい人生に直面することになります

そのことを知ってか知らずか

間近に見る獣の眼は敵対的でした

ふと「もののけ姫」を思い出しました

 

 

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肥育牛とサギ 140426

 

土を掘り返すトラクターや

牛の後に付いて行ったら

おこぼれにあずかれるらしく

ウシとサギが織りなす長閑な風景です

今は仕合わせな黒牛でした

 

 

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南風見田の海岸近く140421

 

長さが分からない写真で恐縮です

1メートル半ほどありました

将棋名人と同じ名をもつ三角頭の蛇は危険ですが

こいつは人畜無害の森の捕食者です

 

 

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アオバト 140426

 

ミドリ色でもアオ信号とは?これ如何に

青鳩の羽毛は緑色です

四国にも棲息しているようですが

見たことはありません

でも食べたことはあります

 

美味しんぼ」に触発されたか、折に触れ仲間を集め

自作料理を振る舞ってくれるセミプロの友人がいます

どこで手に入れたのかは知りませんが

山海の珍味を並べた中にアオバトがありました^^!

 

トリと聞いてスーパーの精肉売場を連想する人は

野鳥の肉の歯ごたえを知らない人でしょう

今は様々な規制が入って窮屈な世の中になりましたが

昔の子どもは裏山に「クビッチョ」をかけて遊んだものです

羽をむしって火にかけたら野鳥の肉は小さな塊になります

みんなで囲めば一口でおしまい

コリコリしとったなという印象しか残りません

 

鳩を食うとは何事かというご意見もありましょう

白鳩と平和を結びつけたのはピカソのようであり

娘にパロマ(鳩)という名を付けた鳩好きでもあります

しかし鳩と平和の間に取り立てて因果関係はないようです

 

白地に赤丸は戦争の象徴

オリーブの枝をくわえた白鳩は平和の象徴

とぼくら日本人は戦後教育の中で刷り込まれたので

鳩を狩猟の対象とは考えません、のみならず

鳩の名をもつ元日本国首相は友愛の海を標榜しました

その海域が今どうなっているかは中学生でも知っています

 

イギリスから来た青年と雑談したときハトの話題になり

日本人は鳩が好き、豆をやると幸せが寄ってくる

というような話をしたところ、彼は

鳩は撃って毟って焼いて食うものだと

身振り手振りで教えてくれました

齧っていると散弾が歯に当たる

それをペペッと飛ばして食ったら旨いぞ

と親指を立ててニヤと笑った顔が

ぼくの脳味噌写真館に残っています

 

大英帝国の末裔は戦争についても

われわれ日本人とは違う概念をもっていました

しどろもどろの英語で聞いた話なので

深いところは分かりませんが

米英が有り余る力のやり場を探して

中東に無理やりつくったような戦争に関し

「あれってどうなの?」と問うたら

「ノープロブレム。文明はそのようにして融合し進化する」

と肯定的に捉えていました

帰国後は入隊すると言っていたから

そう考えなければやって行けないのかも知れませんが

談笑後ひとりでじっくり考えているうちに

彼の言葉はリアルな戦争理論であることに気付きました

 

平和ボケと言われる日本人もわずか76年前には

似たような理論をもって世界展開したわけです

ところが昭和20年8月15日を境に

その理論は対極に振れ、武を捨てた日本人は

平和空間の内部で平和を唱える不思議な思考に陥りました

 

平和と戦争は二項対立の関係式でしか捉えられません

中国語に「和平」はあっても「平和」という熟語はないそうです

力と力が拮抗した状態が束の間の安定であって

武力均衡が崩れたとき戦争が起こります

 

しかるに恐らく世界で唯一日本人だけが

平和の中で平和を希求するという

(たぶん)数学的にも物理学的にも

ありえない理論を信じたわけです

 

たまたま世界が、戦争をやりまくってダレこけ

非戦の方向を向いたので

日本的おとぼけ平和理論の矛盾が

鋭く指摘されることはなかったのですが

よくよく考えれば大戦後も戦争は延々と続き

米ソ冷戦は1991年をもって途絶したものの

それから30年後の今ふたたび

米中冷戦が危ぶまれています

 

ぼくがChinaを歩いた1980年代に

あの貧乏な中国経済がここまで進展するとは思いもしませんでした

いずれ民主化するから今は堪えてくれ

と騙すようにして西側の技術と市場を取り込み

西側がルールとする競争原理に従うことなく

国内市場を統制し「世界の工場」として猛進したわけです

 

かくて人類史上最速の足どりで経済発展したChinaは

中華民族の偉大な復興」を称揚し軍事力を強化させ

ここに来て態度を豹変させました

 

その突然の変貌ぶりが何を意味するか

武漢発コロナ禍を経て西側諸国はやっと気付きましたが

すでに欧米アジアのみならず世界全域の政治経済に深く浸透した

Chinaとの関係が今後どう展開するかは予断を許しません

 

旅行者は言葉が分からない代わりに

五感を研ぎ澄まして歩きます

見る側の主観→思い入れの問題ではありますが

社会主義の中国、ラオスベトナムの人々の表情には

自由主義のタイや台湾で見た無防備な笑顔が

少なかったような気がします

 

日本はどうかと言えば

かつては原発、防衛、天皇制あたりが3大タブーでした

タブーと言っても喋ってはいけないということではなく

言論の自由は過剰なほど保障されていました

が、ここに来て微妙に変容した感があります

 

自分の表情は相手がつくります

自国の態度は他国がつくります

 

ネットの書き込みに

朝鮮半島南北の悪口は書き放題ですが

China Russiaの記述はひどく少なく

報道されて然るべき事実さえ伏されています

それをぼくらはテレビや紙新聞ではないところの媒体で

かろうじて知ることができるわけですが

忖度したか隠したか、伝えるべきことを伝えない

日本メディアに不信がつのります

牙を剥いて振り向くことのない弱者の私生活は暴いても

ヤバイ相手のことには触れない新聞テレビ雑誌って何だろう?

彼らは何を恐れているのか?

 

と思いながら昨秋来の米大統領選を追いかけました

Chinaが日本メディアに深く浸透していることは

メディアが何に触れなかったかを想像すればすぐにも分かることです

昨秋来の米大統領選挙を通じ、あのアメリカにおいても

民主党共和党の報道バランスが崩れ、間接的に影響する

China不利の報道をしないことに驚き恐れました

民主主義の総本山たるアメリカが必ずしも

原理原則にのっとった立派な国ではないことが露にされ

恐らくは世界の多くの人々と同じようにぼくの心も冷えました

 

自由主義はカネのジャングルです

社会主義は人間の理想です

 

経済絶頂期の日本では、行政が規制をかけながら

両者のバランスを取ってきました

日本を訪問したRussiaの高官が

これは我々が理想とする状態だと発言したのは

まんざら冗談でもリップサービスでもなかったはずです

しかし社会主義と背中合わせの独裁主義はどうなのか?

 

あくまで自分なりの直感ですが、

ジョージ・オーウェルが描いた「1984年」から37年後の今

監視カメラとスーパーコンピュータを武器とする

独裁社会が完成し、世界を覆い、やがて西側の人々は

屈託ない笑顔を失うのではないかと恐れます

LINE問題はその破片的一部でしょう

 

蛇足ながら

3/25日付け日経新聞「春秋」に「シルクロード」の平山郁夫と夫人が訪ねた新疆ウイグル自治区の記述があります。そこから「言論弾圧」「強制収容」「強制労働」を導き(さすがにその次に来るおぞましい話題は避けていますが)  EUによる「制裁」アメリカが主張する「ジェノサイド」といった言葉が置かれ、末尾は「画伯の描いたウイグルの人々の風貌が、深い悲しみを宿して見える」と情緒的に結ばれています。

 

奈良の薬師寺には平山郁夫のためのごっつい立派なコーナーが特設され入館者の目前に「シルクロード」が広がります。これを完成させるには大変な労力が必要であったろうことは想像できますが、予断を排して絵に向かっても、ガンと来る芸術の力を感じないのです。絵のうまさや活力感でいえば鳥山明が描いた漫画のひとこまの方が上等だ、と言えば叱られるかも知れませんが、ぼくは芸術という取り止めもない価値を読むのは自分の感性以外にないと信ずる者ゆえ、いつかの号でピカソが鳥山センセと出会ったら弟子入りを願うかもと書きました。ぼくはだいぶ前からシンセサイザー喜多郎平山郁夫は政治利用されたのであろうと思っています。絵にも音楽にも、そこにあるのは砂漠の観念的な美しさであり、醜の部分が丁寧に除去されているからです。影をもたない光は光ですらありません。

 

生きものシリーズが

あらぬ方向に来てしまいました

次回イリオモテヤマネコに戻ります

210326記 つづく

 

ちょっと道草 210320   写真で Go to西表島(9  民家の門 学校の門

 

 

 

 

 

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トックリヤシと赤い花の門 西表島大原170703

 

門は何のためにあるのだろう?

門扉を閉めて泥棒を防ぐというのは

必ずしも間違いではありませんが

さみしい答です

 

門はウチとソトを切り分け

ソトの人に対しては

ここから先に入ったらいかんよという境であり

ウチの者にとっては

出入りするたびにハレとケを確認する結界でもあります

それが花のアーチであったら

清々しいでしょうね

 

 

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船浦中学校正門 140426

 

門柱のシーサーが睨みをきかせ

出入りする者の邪気を祓う

 

赤い狛犬が立ってるだけじゃん

とも言えますが2頭のシーサーと

自分との位置関係がつくる

無言の通関でもあります

 

 

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西表小中学校正門 140426

 

ディゴの巨樹が半アーチを架け

玄関先に緑の傘が広がります

 

武家屋敷や城郭の門は門自体が威圧の言語であり

パリのエトワール凱旋門に至っては圧倒的な高さ力強さ

軽飛行機さえ通過させた幅を持つ武の顕彰碑でもあります

 

充分な質量をもつこの学校の門柱もまた

無言のメッセージを送ってきますが、さて

「部外者立入禁止」のがさつな文言はいかがなものか

門に拒否され、命令形で拒絶されると

道行くオレは泥棒じゃねえんだがとムカつくのです

ある意味学校の本質をよく示す看板ではありますが

子どもの情操にはよくないです

 

 

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西表島干立(星立) 140425

 

石を積み上げた門柱に

オオタニワタリが葉を伸ばし

両脇からせり上がったフクギがアーチを架ける

 

人の姿は見えず

木の葉が音を吸い取るので

あたりは不思議な静謐に包まれています

 

 

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星立の海岸 170706

 

地質地層が読める人は地球のどこを歩いても退屈しないでしょう。目前の縞模様から途方もない過去が見えるのは学問した人の特権です。そのような知識があれば旅の価値は一変するはずですが、縁なき衆生は、この層のどこかに石炭層が挟まれているのだろうかくらいのことしか想像できません。

 

 

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ドラゴンフルーツ 170710

 

とんでもない値札を付けたデパ地下のドラゴンフルーツはご存じでも、それが地べたに生えるか木に成るかは知らない人が多いのではないでしょうか。なんと赤いドラゴンはサボテンの実なのでした。切ってよしジュースにしてよし南国の味です。

 

 

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タコノキ 140421

 

西欧でタコとイカは悪魔の魚だそうですが

日本のタコは鉢巻きをして愛嬌を振りまきます

足で蛸踊りするからタコノキ

タコのマイケル・ジャクソンです

 

 

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これはパイナップル 170701

 

 

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これはアダンの実 140421

 

なんで森の木にパイナップルが成る?

と思わず目をこすりました

初めてアダンの実を見た人はみな

そのように錯覚するみたいです

 

 

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西表島にも田んぼはありますが 130910

農家の伜の目でみれば

その辺に農機を放っぽらかしてたりして

どうも気合が足りないのです

 

「なんで?」と訊いたら泡盛くさい息で「ダッカラヨォ」と応えるのが沖縄流、Korea語だと「ケンチャナヨ」、アラブ世界では「アッラーアクバル」すべては神の思し召しのままにと他者へ責任転嫁するのが世界の常識です。むしろ仕事は美徳だ、頑張らねばと必死カッパで通勤電車に乗るヤマト人の方が変わっているのかも知れません。

 

某氏某女史につくってもらったこのブログも気がつけば今日で丸1年です。この世にデジカメというものがあらわれた2002年以来たぶん10万枚を超える写真が眠っており、こんな調子で過去を振り返っていたらぼくの人生は終わってしまいそうです。劇画「ジパング」に「生きることは見ることだ」という箴言があります。見たものを繋ぎあわせたら個人史になるのかなと思いながらせっせと作業しました。

西表島編はもうちょっと続きます

210320記

 

 

 

ちょっと道草 210315   写真で Go to西表島(8  いのちいろいろいりおもて

 

 

 

 

 

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ギランイヌビワ140420

 

幹に実が成るとは何事じゃ?

とびっくりしましたが

探せば高知の海岸沿いにも

小ぶりの幹生果はありますね

 

不思議なことに

これは実ではなく

花だそうです

 

花の中では小さな虫と樹木との

神秘的な交歓がおこなわれ

それぞれの生存戦略が展開されています

つくづくいのちの不思議を感じます

 

 

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クワズイモ140420

 

里芋の葉に似ていますが

名前の通り食えない芋です

雨の日は傘になります

 

 

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ヒカゲヘゴ 170709

 

南西諸島で好きな木を

一本だけ挙げよと言われたら

迷わずこれ!

 

葉陰で恐竜が首を伸ばしたり

モスラが飛んで行ったりします^^

 

 

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電線で羽を乾かすカンムリワシ 140426

 

空の天然記念物と文明との

どこか漫画っぽい共存です

 

 

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亀仙人や~いと道を急ぐセマルハコガメ170630

 

可哀相にも車に踏まれ

ぺしゃんこにされた

地べたの天然記念物を見ました

 

 

 

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巨大なハサミを持つシオマネキ170706

 

砂浜にずらりと並んだ蟹さんが

海に向かって一斉に手を振ると

潮を招いているように見えます

 

それにしても何のために

これほど大きな手が要るのだろう

生きるためなら左のちっこい手で足りそうですが

 

 

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浜辺で動くものがあるので 130919

何じゃろと思ったらヤドカリでした

 

なんだヤドカリかよとフツーは

捨ておかれる存在ですが

よくよく見れば不思議な顔形をしています

 

彼は何のために存在し、いかなるメカニスムで駆動するのでしょうか? 生命科学はその遺伝子の配列を説明できますが、じゃあ4つの塩基を順序通り並べたらヤドカリが作れるかといえば作れないでしょう。なんで、どうして、いったい誰がと訊ねたとき総ては神の采配だとでも応える他なく、科学の尖端にいる研究者は時として「神が見える」などとおかしなことを呟くのだそうです。

 

 

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Perseverance が開いたパラシュート  *ネットより

 

2012年に火星探査機Curiosity が見事ランディングに成功したとき隣の席にいたアメリカ人が握り拳で悦びの声を挙げました。新たなフロンティアに挑戦するアメリカと彼の笑顔に100%共感し拍手したことを覚えています。2021年2月19日にはPerseverance が開いたパラシュートに謎を籠め(それはただちに解読されましたが)カッコよく着陸しました。1976年に着陸したViking1号以来9機目になります。

 

NASAの目的は「生命の痕跡」を探し「証拠となりうる有機物」の探索を目指すことだそうです。ハッブル望遠鏡が宇宙の彼方を覗くのも最終的には生命のルーツを訊ねてのことであり、タヒチ島ゴーギャンが「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とみずからに問うたことと符号します。

 

欧露の火星探査はコロナ禍もあり2年後の2023年に持ち越されましたが、Chinaの探査機はみごと火星の軌道に乗りました。着陸は7月になります。三菱のロケットで打ち上げられたUAEの探査機も火星周回軌道にのりました。Indiaは2014年の段階で火星探査機の軌道投入に成功しています。すべての国が文化的な欲求充足のため火星を目指したわけではなく軍事開発の付録でもあるのでしょうが、夜空に輝く一点の星で生命の痕跡を見つけたとすれば「宇宙強国」として国威発揚の大宣伝にはなります。しかし、まあそのようなプロパガンダはどっか別のとこでやってくれやってことで、

 

ぼくの興味は宇宙の彼方に存在するであろう地球生命のご先祖さまと足元のヤドカリ君が重なります。なぜか煽りたがるマスメディアは、色付きコロナウィルスの写真でおれらを不気味がらせますが、その極小ウィルスでさえ生存の意志をもってヒトとの折り合いを求めているようであり、つくづくこの世はいのちの不思議に満ちています。

210315記 つづく