ちょっと道草 210401 写真で Go to西表島(11 イリオモテヤマネコ 素人写真

 

 

 

 

 

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イリオモテヤマネコ 140419

大原から大富口ヘ向かう東部縦断道にて

 

40㎜マクロ標準レンズで撮った写真なので空間の幅はヒトの目に近い感覚です。たぶんこの距離がヒトとヤマネコのぎりぎりの間合いなのでしょう。シャッター音が届いたかヤマネコは身を翻し左の茂みに消えました。

 

イエネコとヤマネコの外見上の違いは、耳が丸い。目の周りに白い隈がある。尻尾が長い。腰の筋肉が発達している等々にあります。後ろ足に強いバネを持つヤマネコは重力を無視するかのようにジャンプし茂みにスルリと溶け込みました。

 

その優雅な放物線を見て以来ぼくは飼い猫が飛び上がる瞬間を注視する癖が付きました。イエネコだって元は野生だからたくましさを持っていたはずですが、ヤマネコとはプロ選手と素人くらいの差があります。飛ぼうか飛ぶまいかと迷う程度の塀の高みにジャンプし前足を引っかけておろおろする飼いネコを見るにつけヒトもネコも安穏と暮らしていると堕落することがわかります。

 

島の食堂で飯を食っていたら隣の席でネコ話に花が咲き、ヤマネコを目撃した地元の人間が「いやあオレ山道で初めて見て感動したよ。カメラもってたらなチッキショ」というような話を長いことやっていたのを聴きぼくはムヒヒ、、でした。白浜で泊まった民宿の女将さんも森のヤマネコは見たことがないそうで「クニに帰ったら写真を送ってよ。壁に貼るから」とのこと、

 

ところが世の中にはえらいヒトがいるもので、星立(干立)の民宿の女将さんによると「昔はシシでも魚でも獲れたら部落のみんなで分けて食べたものでした。ある日ネコが獲れたって言うから箸とお椀をもって行ったら、ネコって小さいでしょ、ちょっとしかないのよ」と掌でお椀をつくって残念そうでした。

 

1965年(昭和40年)本土復帰前の沖縄でイリオモテヤマネコの標本を入手した動物作家、戸川幸夫が聞いたら顔色が変わるような話ですが、作家と地元民では目的がちがうからネコに向ける眼差しがちがうのは当たり前のことです。当時イリオモテヤマネコは島の独立種であるとされ、とすれば動物学界を超える分野にも影響する大発見なので日本中が沸きました。新種は発見した人に命名権が与えられます。ヤマネコの名前をどうするかの段で、トガワヤマネコもしくはイリオモテヤマネコが候補にあがり、どちらか選べと言われた戸川幸夫氏は謙虚な判断をしたというわけです。

 

遺伝子分析によりイリオモテヤマネコは、ベンガルヤマネコの亜種とされ、学術的価値はややランクが下がりましたが、天然記念物のカンムリワシセマルハコガメと並び島人のidentityを支える重要動物であることに違いはありません。

 

 

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中央部拡大

 

この写真は、ずっと前のプログで使いましたが

これきりの一枚なのでしつこく置かせてもらいます

夜行性のヤマネコが昼間の道にあらわれるのは珍しいそうです

 

わずか2度目の訪問で運良く島のVIPを写真に収めたワタクシは、西表野生生物保護センターめがけてバイクを走らせ、所長さんに見てもらいました。昔の一眼NikonD300sはモニターの液晶画面が小さく、拡大してもネコの姿ははっきりしませんが、プロ中のプロは、場所や時刻を問い、ためつすがめつ、見つめたあと「間違いありません」とのお墨付きを呉れました。そのような次第で下のワッペンはネコ情報の提供者に与えられた勲章なのです。えっへん^^

 

 

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センターで貰った記念のワッペン

しかし少しばかり苦情を言わせてもらえば

絵がとても下手なのですね

なんかネズミみたいな…

 

 

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イリオモテヤマネコ発見捕獲の地」碑  舟浮140423

 

「国の天然記念物イリオモテヤマネコは1974年(昭和50年)3月17日午前3時頃この地にて鶏を襲って小屋に入ったところを池田稔によって発見捕獲された」とあります。1974年は小野田寛郎少尉51歳がフィリピンはルバング島より帰還した年であり、Chinaでは文化大革命という血なまぐさい権力闘争が進行中、ベトナム戦争におけるサイゴン陥落の前年でもあります。大戦の余波さめやらぬころ日本では新種のネコを生け捕りして大騒ぎになりました。

 

 

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点滅灯付きのネコ注意看板130920

 

学者の推論によるとヤマネコの棲息数は100匹ていどのものだろうと言われます。それが島を半周する道路で事故に遭うのは忍びないので、頻繁にヤマネコ情報が寄せられる山と道の境にネットを張り、看板を置き、車の到来を音で知らせたり、交雑を避けるためイエネコに規制を掛けたり、あの手この手で保護対策を打っています。

 

 

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よく見ると看板の提供者は沖縄県建設業協会です。本当にネコを守るのであれば道路は造らない方がよいのですが、そこはまあ痛し痒しとしたもので、西表島でもヒトとネコの共存を図って議論がつづき最終的に環境庁の一存をもって島を一周する道路は建設中止となりました。だからバスも車も島を半周する大原・白浜間の短い距離を行ったり来たりしています。

 

 

                 

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失礼ですがこの絵も下手すぎ 130919

豹が化けて猫又になったのかよと(~~!

 

話は跳びますが

徒然草に化け猫が登場します。「ネコの経ヘあがりて猫又になりて」「人を食ふなると人の言ひけるに」とあるから長く生きた猫は犬ほど太り、人食い猫になるという恐ろしい言い伝えです。月も灯もない昔の夜は真っ暗闇、今でも新月の森に分け入ると目と鼻の先に何があるか見えず闇の中を泳ぐような気がします。全方位をぐるりと闇に取り巻かれた連歌好きの法師が、わずかな明かりをたよりに帰り道を急ぎました。

 

 

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佐脇高之(草冠の高)絵  *wikiより

目を閉じ三味線の音に耳を澄ます猫又

 

連歌好きといえば優雅な趣味の持ち主みたいですが、やはりそこは人間なので、勝った負けたでカネを賭けねば本気になれないところがあります。四角四面の検事長だって雀卓を囲んで遊ぶには多少の掛け金は要るわけで、そんなことで大騒ぎする今の日本は、文化的に劣化したか又は深い悪意があってのことでしょう。

 

連歌好き→賭け事好きの坊主が、懸賞の品物を手に、闇に怯え、妄想で頭を一杯にして家へ向かうところを巨大な化け猫に襲われました。夜道で搔きつかれた拍子に、小川へぶちこけ「助けよや猫またよやよや」とわめき騒いだという挿話ですが、その末尾で「飼ひける犬の暗けれど主を知りて飛びつきたりけるとぞ」と落とすところなどマジなフリしてバカを描く兼好ペンの真骨頂です。

 

この話は高校古典の教科書にも登場し、笑ってお終いという段なのですけども、よくよく考えれば抽象的な近代用語を使わず、やまと言葉に深い哲学を乗せたという意味において兼好法師は只者ではありません。

 

付け加えれば

ラブレターの代筆をしたこともあるらしい兼好法師の女性論は秀逸です。徒然草107段「女の物言ひかけたる返事カエリゴト」冒頭部で、男をめろめろにする女の美しさを描き、女性を意識するからこそ男のダンディズムはあると説いたあと筆は反転します。「かく人に恥ぢらるる女、如何ばかりぞと思ふに、女の性は皆ひがめり」「人我の相深く、貪欲はなはだしく ~ 深くたばかり飾れることは男の智恵にもまさりたるかと思へば、あとよりあらわるるを知らず、すなほならずして拙きものは女なり」と辛口の論評を畳み込みます。フェミニズムの信奉者が読んだら目を吊り上げそうですが、心ある女性なら幾ばくかの自省とともにあらあらと思いながら読み終えるであろう段です。

 

東京オリパラ組織委員会会長の森喜朗元総理大臣が「女性の話は長い」発言をしたトガで非難を受けました。その発言をフツーの国語感覚で読むかぎり、昔のオッサンがよく口にした軽い洒落にすぎず、悪意など伺えませんが、ここぞとばかり飛びついたメディアの餌食にされました。小さなことを大きく膨らまし、あたかも全世界の女性が怒り狂っているぞといわんばかりの報道でしたが、であるなら国体を揺るがす外交問題に全く触れないお前ら記者は何なのよと逆に問いたいほどです。記者(ないし下ッ端を顎で使うデスクあるいはダークサイド)の故郷はどこにあるのかとフツーの日本人ぼくは考え込みました。

 

素人のネコ写真から脱線しました

次回プロのネコ写真にもどります

210401記 つづく