1ひとり旅 23112 特攻(6) ヒロシマ記念公園 ガンジー像 安倍晋三

 

 

 

 

平和の鐘を鳴らす白人  2023.10.02

 

 

平和の鐘楼  2023.10.02

 

鐘を撞くにはコツが要ります

うまく鳴らせた小学生は目と耳と体で

何かを捉えたことでしょう

 

 

マハトマ・ガンジー像  2023.10.02

 

見たことのある顔だなと思ったら

赤い絨毯の向こうはやはりあの人

モディ首相がG7サミットに招待された記念に

ガンジー像を贈ったそうです

 

平和を願うヒロシマ

広島生まれの岸田文雄首相が

非暴力と核廃絶を唱えて議長をしました

 

保有国を集めて核廃絶だなんて

冗談だろ?!という声もありますが、各国トップを

原爆資料館へ連れ込んだことは大成功でした

新館には理屈っぽい展示が並びますが

旧館の闇に浮かぶ絵画は感情に迫ります

 

インドを日米豪印QUADの枠組みに引き込み太平洋へ連れ出したのは故安倍晋三元首相の功績です。一方で安倍元首相はプーチン大統領と29回も会談し互いに名前で呼び合う関係をつくりました。中露の軍艦が示威行為として津軽海峡から大隅海峡を抜けた今、安倍・プーチンの友好は何の役にも立たなかったと揶揄するむきもありますが、国際間の大きな枠組みでいえばロシアまたインドとの関係構築は、野心を隠さなくなった中国を牽制する方策でもありました。

 

ところが日本メディアは、国際政治を大掴みに捉える安倍元首相の動向を全く報じず、目を凝らして探せばどこにでもある小事に延々とこだわったのはなぜか? 100兆円を審議する国会の場で数億程度しかもそれが違法な関与であるのかどうか証明できなかったにもかかわらずモリカケサクラ…をあたかも国家をゆるがす大事件であるかのように伝えた狂乱報道は、特定情報を連続的に注入し情報に酔わせて思考停止させる活動家のオルグに似ています。

 

党派にかかわらず政治家は原理的に灰色です。要はメディアがどこに焦点を当てるかの問題であり、議論すべきは現象の背後にある骨格です。瑣末事を局所拡大し、語るべき大事を語らなければ、情報の受け手は催眠術に掛けられたようなものです。

 

戦争より平和がよいのは当たり前で、ぼくらは如何にして平和をつくるかを議論せねばならないのですが「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し」という憲法9条は、自分が武器を捨てれば相手も捨てるはず、丸腰の自分を撃つ悪者はいないという自己中心主義的な平和論で構築されています。しかし「平和を愛する」と言ってもヒトの心は様々であるし、諸国民がみな「公正と信義」の持ち主であるとはかぎりません。国家は利害得失にあわせ必要とあらば他国に武力侵攻します。理不尽にも攻撃されたとき我々はどうすればよいのか?

 

訪ロ後の鈴木宗男議員は、ウロ戦争はロシアが勝つに決まっているのだからウクライナはさっさと降伏せよ、その方が人的損害は少ないという論法を展開しました。しかし戦う前に白旗を揚げてしまえば、長きに渡って支配され、いかなる悲劇がつくられるか、そのことについて鈴木宗男氏は論及していません。屈辱の果てにテロが生まれ、テロは武力で押さえられ、新たなテロが発生し...という図式を今ぼくらは中東で目撃しています。

 

人と人との関係においても、力なき者はいじめられ、反撃されるかもしれない相手には相応の態度をとるものです。井上尚也と喧嘩したい悪人はいないでしょう。非常時の防衛力を備えてこそ国民は矜恃を保てるのであり、その辺りをはき違えた議論は危険です。「平和安全法制」を戦争法案と言い替えて悪の烙印を押し、結果的に敵対国に有利な状況をつくろうとする人たちって何じゃろと思いますね。「非暴力」の国は核戦力さえもちます。

 

ブログで政治を語るのはまずいと承知していますが

そこから逃げては意味のない作文になるので

迷いながら思考整理しています

2023.11.21記 つづく

ひとり旅 231114 特攻5 ヒロシマ資料館  

 

 

 

広島平和資料館 2023.10.02

 

当日は白人客でごった返していましたが

誰もが押し黙り何かを考えている様子でした

 

 

原爆の模型  2023.10.02

 

左はヒロシマに落されたウラン型のファットマン

右はその3日後ナガサキを襲ったプルトニウム型原爆

人体模型と比較すれば大きさが分かります

 

ウランやプルトニウム

少しずつ燃せば原子炉になり

一挙に反応させれば原爆になります

 

 

英文を読む白人  2023.10.02

 

赤い線が

十字架のように交わる地点に

原爆ドームがあります

 

 

原爆投下予定地図  2023.10.02

 

次候補として小倉、長崎があったそうですが

その日のヒロシマは晴れていました

 

 

投下後の地獄図  2023.10.02

 

闇に浮かぶ絵は、ある意味

写真より迫力があるかも知れません

小学校の先生が入館前の説明のなかで

「見たくない人は無理しなくてもいいよ」

と注意していました

 

 

2023.10.02

 

 

2023.10.02

 

 

2023.10.02

 

 

2023.10.02

 

 

死屍累々  2023.10.02

 

 

2023.10.02

 

 

資料館の小学生  2023.10.02

 

目をキラキラさせトルクのある動きで

展示物を見てまわる好奇心のかたまりです

この時期の記憶が人生を決定づけるのでしょう

2023.11.14記 つづく

 

 

 

 

< 2023年の現在史 >

「あこがれるのはやめましょう」で始まった春から

「野球しようぜ!」で冬になりました

ネットの書き込みを飽きるほど見て感無量です

 

昨年バイクで奥州市を訪ねましたが

宮沢賢治の顔写真はあっても

ショウヘイ君を思わせるものは何もありません

本人もご両親も控えめな方のようで

そこがまたファンの心にジンと来るようです

 

もう一度あのころに戻れたら

野球やりたかったな...と母校の

廃校小学校のグランドに立って

思ったことでした

 

ひとり旅 231110  特攻4 ヒロシマ ハマス イスラエル ロシア ウクライナ  

 

 

 

 

 

平和資料館から慰霊碑を経て原爆ドームへ向かう道  2023.10.02

 

簡素なつくりの資料館から

巨石の筒を風が抜ける慰霊碑の向こうに

天蓋の骨組みが残る原爆ドームが重なります

舗装路の両脇に広がる芝生の空白が

道行く人の呟きを吸い込むかのようです

 

 

川を挟んで原爆ドームを見る  2023.10.02

 

人は黙して語らず

まれに子どものはしゃぐ声が

樹木の陰にあらわれて消えます

 

 

資料館に置かれた原爆ドームの模型  2023.10.02

 

いわゆる原爆ドーム

1915年にチェコの建築家が設計し

広島県物産陳列館として完工しましたが

被爆当時は官公庁の事務所として使われていたそうです

 

 

橋から見た原爆ドーム  2023.10.02

 

ドームの上空600メートル地点で核爆発が起こり、爆圧と熱線により半円形の鉄骨とレンガが残りました。碑文には「その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失われ半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した」とあります。

 

 

ヒロシマ  2023.10.02

 

核爆発により半径2㎞の円内が

灰になったヒロシマの中心街

 

これを高知市に当てはめ

はりまや橋から半径2㎞の円を描くと

高知港からイオンモールまですっぽり入ります

五台山から高知市街を見下し、頭の中に

巨大風船で火球をつくるとリアルです

 

その9年後にビキニ環礁で破裂した水爆は

核爆弾を起爆剤とし地上に太陽をつくりました

かりに東京都の上空2000メートルで爆発させたとすれば

人口1000万人の大都市は焼け野原になります

 

それにしても、です

戦艦大和ひきいる軍艦の特攻が行われたのが1945年4月7日の出来事でした。8月時点ではB29を迎撃する戦闘機とてなく米軍はもはや日本に継戦能力がないことは分かっていたはずなのに敢えてヒロシマナガサキを核攻撃した理由は何か? 核を空中で点火すれば市民が巻き添えになることは分かりきっています。うがった見方をすれば戦時の現場で行った人体実験であり、その後の冷戦を見越した対ソ戦への見せしめであったのかもしれません。

 

アメリカ人に「なぜヒロシマナガサキをやったのか?」と問えば「日本は強かった。戦争を終わらせるためには仕方がなかったのだ」という返答が戻ってきます。が、それが10万とも20万とも言われる市民の犠牲を省みない理由になるのかどうか…通常爆弾と核爆弾では桁が違います。

 

1945年3月9日の東京大空襲ではB29の編隊300機が都民の逃げ道を塞いだ上で「11万5千人以上wiki」の一般市民を焼き殺しています。原爆はいいぞ、あれは一瞬で殺してくれる。おれらは逃げまどって大変だったとヤケクソ気味に回顧する人もいます。戦争は命のやりとりをする場だから多少の行き過ぎはあって当然でしょう。しかしそれが万を超える単位で(兵士ではなく)民間人を殺傷するとなれば話は別です。

 

ハマス戦闘員が無抵抗のイスラエル民間人を虐殺し

SNSで拡散されたハマスイスラエルの争いから鑑み

他者を言葉で「悪」と括った瞬間、回路のスイッチが切れ

人は憎悪の対象となることが分かりなります

 

ソ連時代は同胞だったロシアとウクライナ

血みどろの闘いをつづけるのも同じこと

宗教、政治、土地争いといった何かのきっかけで

人は憎しみの感情を爆発させ

結果に道徳的な痛みを感じなくます

2023.11.10記 つづく

 

ひとり旅 231104 特攻(3) ヒロシマ1  丹下健三 ル・コルビジェ

 

 

 

 

 

呉港から広島港へ  2023.10.02

 

残り少ない休養期を惜しみつつ

原付110㏄をフエリーに乗せました

秋は水平線と天の高さが格別で

小さな旅でも海を渡ると心が華やぎます

 

 

広島平和記念資料館  2023.10.02

 

久しぶりに見た資料館は

左右に通路が併設され

どこか昔と様子が違いました

 

 

設立当初の平和記念資料館  2023.10.02

 

丹下健三が設計し

戦後7年目1952年に竣工した

平和記念資料館の写真です

 

コンテナをつないだような建築を柱で浮かすと

貨物列車が空を漂っているようにも見えます

不要な装飾を極限まで剥ぎ取ったモダニズム空間です

 

コンクリート空間にピロティーを持ち込んだのは

サポア邸を設計したル・コルビジェかもしれませんが

高床式の住居はラオスにもインドネシアにもあるし

東大寺正倉院の床下もピロティーと呼べそうなので

丹下健三が誰かの真似をしたというわけではありません

誰が先にやったかを探るより

その作品が良いかどうかを問う方が有益です

 

あたうかぎり無駄な装飾を省いた空間は

とりたてて自己主張することもなく

むしろ人々の思念を誘い込むような気がします

 

 

ピロティーに集合した小学生  2023.10.02

 

床が天井になると

雨の日には屋根になり

夏は日陰をつくります

 

“これから入る展示室には

恐ろしい絵や写真があるので

見たくない人は無理しなくていいよ”

と先生が注意していました

 

 

ピロティーの柱  2023.10.02

 

単純に見えてもコンクリート打ち放しの列柱には

さりげなく曲線が置かれたり直線の窪みがあったりします

これが真ん丸の円柱や四角四面の柱だと野暮ったいですね

 

モダニズムを機能主義と捉えると

安くて便利であればよしって感じになりますが

それなら丹下健三でなくてもできるので、ひょっと

探せば黄金比や何やが隠れていたりするのかも?

 

それにしてもピカピカのコンクリート肌です

竣工以来せっせと磨いてきたのかなとも思いましたが

21世紀に入って化粧直ししたようです

展示物もリニューアルされていました

 

 

原爆死没者慰霊碑 2023.10.02

 

碑の中央部には

安らかに眠ってください

過ちは繰り返しませぬから

と加害者と被害者の関係性を無化した

不思議な文言が記されています

 

四角い資料館とは打って変わって曲線が使われ

その向こうには頭上からの爆圧に耐えた

原爆ドームの丸い鉄骨が見え隠れします

 

埴輪をイメージしたという石の屋根には

設計者による細かな指示があったはず

石工は持てる技術の粋を尽くして設計者に応えたことでしょう

この御影石丹下健三の故郷香川県の庵治石かもしれません

 

 

東京都代々木競技場  ネットより

 

同じく丹下健三の代表作である東京都代々木競技場は、二本の支柱がつくる吊り橋の曲線を複雑にまわし、どこかサザエの貝殻を連想させて愉快です。資料館、慰霊碑、競技場の三者に共通した原理は、直線であれ曲線であれ、空間を極限まで単純化するとこうなるというモダニズムの実例と言えるのではないでしょうか。

2023.11.04記 つづく

 

 

 

 

補記

高知市はりまや橋にある土産物屋はル・コルビジェ

「ロンシャンの礼拝堂」をイメージしたものだと

工業高校建築科の先生が教えてくれました

う~んロンシャンか…

 

 

はりまや橋の交差点にて  2023.11.04

 

 

本物のロンシャンの礼拝堂  ネットより

 

 

上野公園の国立西洋美術館  ネットより

 

世界遺産に認定された

ル・コルビジェの設計ですが

ピロティーがなければ只の箱ですね

 

 

ル・コルビジェの別荘⇒終の住処  ネットより

 

世界の名建築を訪ねる旅ができるなら

どうしても見たいのがこれ

巨匠が建てた小さな別荘(小屋)は

今となっては建築家の聖地らしく

これも世界遺産に認定されています

 

思いますに公共建築には

大きさと美しさが求められますが

個人の居宅は狭くても問題なく

“起きて半畳、寝て一畳”

目をつむれば同じことです

 

 

ル・コルビジェの終の住処  ネットより

 

小屋の窓には地中海が広がります

巨匠は海水浴をたのしんでいるとき

心臓発作で逝去したとか

享年77歳でした

 

ひとり旅 231015 特攻(2)  「人間爆弾」関行雄大尉  高知の掩体壕 

 

 

 

 

 

関行雄大尉  wikiより

 

大正10年生まれの関行雄大尉(23歳)は昭和19年5月渡辺満里子(22歳)と結婚、わずか5カ月後の10月25日にフィリピンはルソン島マバラカット基地から出撃し「世界最初の正式人間爆弾」として米空母に突入、散華しました。霞が関予科練第42期飛行学生に宛てた遺書には「教え子は散れ山櫻 われの如くに」とあります。

 

石鎚小中学校跡の立て札には特攻後「軍神」と呼ばれて称賛を浴びたが、敗戦後は「戦争犯罪人」の汚名を着せられ海軍消滅により母への「遺族年金」も止まったとあります。▼大正7年生まれのぼくの父は朝鮮北部(今の北朝鮮)の鉄工所で働いており招集されて満洲ハルビンの西方チチハルで従軍し引揚げ後76歳で逝去しました。しかし現在95歳の母は今も軍人恩給を受け取っていることから陸軍だって消滅したのになぜという疑念がなくもありません。それはさておき、

 

軍神から戦争犯罪人へ転落したのはなぜか?

鹿児島の特攻基地であった鹿屋、知覧、万世の平和資料館を訪ね

確定した死と向き合う若者の心を思ったことでした

 

 

高知空港近くの掩体壕  2021.10.18

 

「この掩体は、旧高知海軍航空隊所属の飛行機を攻撃から守るための格納庫である。昭和16年から20年の終戦直前まで飛行場からの誘導線に沿って、鉄筋コンクリートのものが9基、木や竹、土のものがいくつか造られた。現在コンクリートのものが7基残っている」

 

 

掩体壕の解説看板  2021.10.18

 

「ここは予科練(飛行予科練習生)卒業者のうち偵察搭乗員の実技教育をする飛練(飛行術偵察専修練習生)本科の練習航空隊であった。その練習機が『白菊』である。昭和20年5月から白菊に爆弾を2個のせて『神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊』として沖縄へ悲劇の出撃をするのである」とあります。

 

訓練を終えた練習生は高知の空から

鹿児島県の鹿屋、知覧、万世あるいは

台湾、フィリピンへ渡り水盃を交わしたのでしょう

知覧特攻平和会館には全国から参集した特攻兵の中に

高知出身者が(たしか)2名おりました

(撮影禁止のため記憶曖昧)

 

ちなみに令和の今「白菊」は仙頭酒造

「菊水」は菊水酒造の銘柄となり

われわれは平時の盃を愉しんでいますが

たまには幸せの意味を振り返ることも必要かと…

 

 

水盃で出撃 左から三人目が関行男大尉   ネットより

 

 

敷島隊の出撃   ネットより

 

腹に抱いた250㎏爆弾もろとも

敵艦に突っ込むという壮烈な死です

 

 

敷島隊の出撃    ネットより

 

出撃、未発見、帰還を繰り返した5日目の

10月25日にエンジン不調の1機を残し、敷島隊は

死と引き換えの大戦果を挙げました

 

 

関行男大尉の両親への遺書

父上様、母上様

西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけ致し、不幸の段御許し下さいませ

今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以って君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐるものはありません。鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき 其の御恩に報ゆる事も出来ずに行く事を御許し下さいませ

本日 帝国のため 身を以って母艦に体当たりを行い 君恩に報ずる覚悟です

皆様御体大切に

 

妻・満里子(新婚三カ月)宛の遺書

満里子様

何もしてやる事も出来ず 散り行く事はお前に対して誠に済まぬと思っている

何も云わずとも 武人の妻の覚悟は充分出来て居ると思ふ 御両親に孝養を専一と心掛け生活して行く様 色々思出をたどりながら出発前に記す

恵美ちゃん坊主も元気でやれ  

 

むろん検閲を経た遺書であり、去りゆく者の心象を

はばからず描いたものではありませんが、むしろ

そのことが読み手の想像力を刺激します

2023.10.15記 つづく

 

 

 

ひとり旅 231010  神風特別攻撃隊第一号 関行雄大尉   ハマスvsイスラエル

 

 

 

 

愛媛県西条市より石鎚山方面を見る 2023.10.05

 

愛媛県西条市から石鎚山の登り口へ向かうと道が二手に別れ、日帰り登山のロープウェイ方面と麓で一泊し諏訪神社を経て登る旧道があります。旧道はスギ、ヒノキの植林に覆われた小道ですが、山の斜面に石組が残っていることから、かつてここには段々畑があり人の暮らしがあったことがわかります。

 

 

 段々畑の積み石   2023.10.05

 

積み石は層によって方向が異なり

行って戻るから「イッテコイ積み」なのだと

土建業の社長さんが教えてくれました

 

その石垣に樹齢50年は下らないと思われる杉の巨木が並ぶのは、村人が山里を捨てる前に植林したからでしょう。同じ植林でも手入れが行き届いた京都の北山杉は美しい景観をつくりますが、概して四国の山々は事後の手入れがなされておらず、植え捨てと言えば失礼ながら人工の森に踏み込むと荒れ放題です。森に暮らしがあったころ麦や芋が植わっていたはずの段々畑にスギの巨木がデンと坐って天に向かうと何かちぐはぐな感じがします。

 

 

石槌小中学校跡 2023.10.05

 

その道路脇に

小学校と中学校の門柱が残り

中央に立て札が置かれています

 

 

立て札 2023.10.05

 

立て札には

大東亜戦争時、特別攻撃隊第一号として

自らの生命を投げ出し、国を護られた西条市大町ご出身

関行雄大尉のご母堂サカエ様のご終焉の地…とあり

 

関行雄大尉のご母堂サカエ様は、大尉が海軍兵学校(士官学校)在学中にご主人を亡くし、大尉が23歳で特攻、散華なさると、孤独になられました。報道機関は戦意高揚のためサカエ様を「軍神の母」と賛美し、散々報道で利用しました。

 

 

息子の特攻後、弔問客を迎える母サカエ様

 

ところが敗戦が決定的になると、社会はその鬱憤をサカエ様に向け「戦争加担者」として迫害しました。さらに大尉までも、生命をかけて守り抜いた郷土の人たちから「戦争犯罪人」と汚名を着せられました。

 

サカエ様は海軍消滅で大尉の遺族年金が止まると、草餅を行商する困窮した生活を余儀なくされました。その様子を見かねた知人のつてで、ここ石槌中学校の用務員に採用され、55歳で一生を終えられました」...とあります

 

 

敷島隊の出撃  wikiより

 

敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花   (本居宣長)

 

江戸期の国学者本居宣長は、朱色の葉とともに咲く山桜に事寄せ、漢心(からごころ)に対する大和心を淡く美しく詠んだわけですが、戦意高揚のため大和心は「大和魂」となり軍歌として勇ましく歌われました。神風特別攻撃隊は「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と別れ、上記のごとく関行雄大尉の「敷島隊」は出撃5日目にして敵艦隊と遭遇、低空から敵艦に迫ったあと高空へ舞い上がり250㎏爆弾を抱えたまま再び海上の一点を目指しました。

 

昭和19年10月19日 神風特別攻撃隊「敷島隊」の指揮官発令

昭和19年10月21日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月22日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月23日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月24日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月25日 出撃、米空母セント・ローに体当り散華(享年23歳)

 

 

敷島隊の突入で爆沈する護衛空母セントロー   wikiより

 

敷島隊10機(爆装6、直掩4)のうち1機はエンジン不調のため引き返したとあるので、5機の突入を4機の直掩隊が見届けたことになります。しかし命懸けの三次元空間においてどの機がどの艦に突入したかを目視するのは至難の業らしく空母セントローを撃沈したのが誰であったかは確定しがたいようです。ともあれ人類初の「人間爆弾」によって「空母1に2機命中撃沈確実、空母1に1機命中大火災、巡洋艦1に1機命中撃沈wiki」という大戦果を挙げたことは事実であり、それは関行雄大尉を隊長とする隊全体の戦果と捉えるべきでしょう。5名の特攻隊員と引き換えに149名の米兵が命を失いました。以下その経緯をwikiより抜粋します。

 

「そこに関が率いる敷島隊5機が急降下してきたが、各艦のレーダーには多数の機影が映っており、日本機の接近に気づくものはいなかった。敷島隊の先頭の1機が、戦艦の巨砲の命中でいくつもの傷口が開いていたカリニン・ベイめがけて突入し、飛行甲板に数個の穴をあけて火災多数を生じさせたが、搭載していた爆弾は不発であった。この最初にカリニン・ベイに突入した機が関の搭乗機であったという説もある。カリニン・ベイにはもう1機が海面突入寸前に至近で爆発して損害を与え、2機の突入により5名の戦死者と55名の負傷者が生じさせたが、カリニン・ベイは栗田艦隊との海戦で15発以上の命中弾を浴びていたにもかかわらず、沈没は免れた。

 

 

護衛空母ホワイト・プレインズに迫る敷島隊の零戦  wikiより

 

護衛空母ホワイト・プレインズに向かって急降下していた零戦1機がホワイト・プレインズの対空機銃が命中し損傷したため、目標をセント・ローに変更し、セント・ローの艦尾1,000mに迫ると、そこから高度30mまで下げてまるで着艦でもするような態勢で急接近してきた。セント・ローの乗組員たちは搭載していたMk.IV20mm機関砲とボフォース 40mm機関砲で応戦したが、零戦はそのまま発見1分後に、飛行甲板中央に命中した。零戦が命中した瞬間に航空燃料が爆発して、猛烈な火炎が飛行甲板を覆い、搭載していた250kg爆弾は飛行甲板を貫通して格納庫で爆発した。その爆発で格納庫内の高オクタンの航空燃料が誘爆し、連鎖的に 爆弾や弾薬が次々と誘爆した。手が付けられないと判断したフランシス・J・マッケンナ艦長は特攻機が命中したわずか2-3分後の10時56分に総員退艦を命じ、その後も何度も大爆発を繰り返して30分後に沈没した。114名が戦死もしくは行方不明になり、救助された784名の半数が負傷したり火傷を負っていたが、そのうち30名が後日死亡した。このセント・ローを仕留めた零戦が関の搭乗機だという説が広く認知されているが、このセント・ローに突入した零戦の製造プレートは沈没直前に回収されており、製造番号2968、製品番号9306の表示が刻印してあるが、これが関機のものであったかは不明である。

 

他にも護衛空母キトカン・ベイに1機が突入し、艦橋を掠めて飛行甲板外の通路に命中したが、爆弾が艦を貫通して海上で爆発したため大きな被害は与えることができなかった。このキトカン・ベイに突入したのが関の搭乗機であるという主張もあるが、いずれにしても、敷島隊のどの機がどの空母に突入したかを特定するのは困難である。さらに、ホワイト・プレインズ直上で特攻機が爆発して同艦に火災を生じさせた。

 

この様子は直援機の「ラバウルの魔王」とも呼ばれたエース・パイロットの西沢広義曹長によって確認された。西沢は関らの突入を見届けたのち、12時20分ごろにセブ島に帰還した」以下略(wiki他に長文の関連記事あり) 戦争終結10カ月前の出来事でした

2023.10.10記 つづく

 

 

 

< 2023年の現在史 >

かつてイスラエルの首都テルアビブに居をかまえ

ヨルダン川西岸のパレスチナで仕事をした友人に下記の

メールを送ったところ長文の返信が届きました

 

ハマスイスラエルがあのようなことです。今ごろガザ地区は大反撃を喰らって死屍累々ではないでしょうか。ぼくの頭にある図式では、大戦後パレスチナ人の住処にユダヤ人が侵入した。パレスチナの先住民が土地を返せと物申すのは当たり前だ。しかし戦後は78年目に入った。イスラエルにも言い分はある...程度のことしか考えられません。テルアビブでのご経験から今次の争いをどのように見ますか? 

2023年10月9日(月) 6:06

 

返信の要点

今次の攻撃は南部ガザ地区武装集団「ハマスが独断でやっており、ヨルダン川西岸のファタハパレスチナ政府)は”あの野郎、何やっているんだ”と罵声を上げているかもしれない」「ファタハイスラエルは裏で繋がっている」

 

この争いを「ハマスイスラエルの関係だけで見ることはできない」「アメリカ、ロシア、中国、ヨーロッパ、そしてサウジアラビア、イランと繋げていかなけれは理解できない」

 

アメリカはサウジとイスラエルのつながりを強くするために躍起だ」「サウジを取り込めばインド・サウジのラインを強くし、中国の一帯一路に歯止めをかけられる」

 

「(一方で)ハマスを支援するイランの存在がある」「(イランが)資金だけでなくミサイルの技術供与や軍事訓練などを積極的に行っているのは(イランと)仲の悪いアメリカ、サウジ、イスラエルが密になること断ち切りたいからかもしれない」

 

「今回のハマスの攻撃にはイランの意向があったのではないか」今後ハマスは「人質を盾に(イスラエルと)交渉していくだろう」しかし「(イスラエルの)ネタニヤフ首相は人質すなわちユダヤ同胞の犠牲を払ってでも攻撃する可能性は十分ある」

 

つづめて言えば

「大国の意向で世界が動いている」

ことになります

 

2023年10月9日(月) 着のメール一部抜粋

要約の文責はもちろん私にあります

ひとり旅 231001 日本所々(29)  処理水 核汚染水 報道各社

 

 



 TBS 9/28(木)配信 

国慶節と日中平和友好条約締結45年を祝う行事に出席した自民党元幹事長二階俊博氏は、原発処理水の海洋放出に中国が強く反発していることについて「お互いに科学的かつ理性的に問題を処理しなければならない」と述べ、コメント欄で猛反発を買いました。

 

「お互いに?ですか? 日本にも問題があるとでも言いたいのでしょうか? さすが、親中派のドン。中国に対して、謙虚で少し忖度した言葉を選んだのでしょうけど、そんな謙虚さは海外では特に中国には通用しないんじゃないですか?」「福島原発処理水の海洋放出を開始した直後にも尖閣諸島周辺海域や太平洋で、中国の漁船団が漁を行っていたことは事実であり、言い換えれば、日本周辺海域は安全であることを中国の漁船団が証明しているのではありませんか」といった論調が反発のホネです。中国が主張する「核汚染水」に乗じ、媚中外交に対する不満が一挙に吹き出た観があります。

 

 

Digital朝日新聞よりPC画面撮影後転載  2023.09.28

 

Digital朝日新聞 9/28(木)配信

一方、同じ行事を取材した朝日新聞の見出しは「中国大使、処理水問題には触れず 友好条約締結45周年の記念行事で」とあり、二階氏の発言については「(日中)両国の平和は、アジアの平和、ひいては世界の平和につながるという信念を持ってお互いに努力をしていかなければなりません」「両国間の問題の解決のために”賢い知恵”が必要だと強調した」とあります。

 

TBSさえ触れた「お互いに」発言をカットし、いかにも朝日らしく中国に忖度し、中日和平友好条約締結45周年を祝いました。この記事に読者のコメントを求めれば異論正論が山盛りになるはずですが、案の定コメント欄は封鎖されています。当たり障りのない記事にはコメント欄を開放しているにもかかわらず、批判が予想される記事は書き込み禁止だなんて、いかがなものかと思いますね。おれの言うことは聴け、お前たちは語るなという専制のにおいがします。2014年に従軍慰安婦記事が誤報であったことを認めた頃からまあそういう新聞だとあきらめていますけど…

 

 

夕刊フジ9/26配信

高市早苗氏、処理水問題で中国に毅然 真正面から反論 “最後の一滴まで安全性確保”〝親中派〟去り岸田政権に変化?」と題した夕刊フジは (社の体質として当然のことながら^^) 朝日新聞とは正反対の論調です。本文中「高市氏の演説は、林芳正前外相のあいまいな発信と異なり、堂々と明確でしっかりした反論だった」と処理水問題を逸脱し、政治家論にもちこんだ一文もあります。

 

ただしコメント欄は開放しており「何で太平洋側でサンマ獲ってる中国漁船のことを言わないのかな」という分かりやすい中国批判もありました。「同じ海域の日本漁船が採ったものは危険だから禁輸、中国漁船団が採ったものは問題無し」では奇怪しいという指摘です。

 

 

 FNNプライムオンライン9/26配信

高市大臣、中国への反論は”急きょ入れた”処理水めぐりIAEA総会で激しい応酬 、突出した輸入規制は中国のみ」には、高市大臣をフォローした引原大使が「中国にはトリチウムの年間排出量が福島第1原発の5倍から10倍の原発もあると再び反論した」とあります。

 

関連各紙を眺めての印象ですが

高市大臣と引原大使の発言

とりわけ引原大使の詰めの一発は強烈で

そこに踏み込まなければ「処理水・核汚染水」記事は

ほぼ意味がないと思われます

 

結論的に言えば、あなたは今の中国

習近平体制に賛同するのか、それとも

頼りなくはあるけれど真面目な日本を肯定するのか

どっちなんだ? という問いに発した議論です

 

この稿だらだらと長く書いていましたが

ぼくの私的な思いを載せるより

下記のやりとりをご覧になる方が有益かと思いました

(安芸高田市議会のチマチマした応答よりずっと面白いです)

 

吉村洋文府知事の記者会見 処理水をめぐる対中国観

https://www.youtube.com/watch?v=-clzSjbZ4fI

 

2023.10.01記 つづく