平和の鐘を鳴らす白人 2023.10.02
平和の鐘楼 2023.10.02
鐘を撞くにはコツが要ります
うまく鳴らせた小学生は目と耳と体で
何かを捉えたことでしょう
マハトマ・ガンジー像 2023.10.02
見たことのある顔だなと思ったら
赤い絨毯の向こうはやはりあの人
モディ首相がG7サミットに招待された記念に
ガンジー像を贈ったそうです
平和を願うヒロシマで
広島生まれの岸田文雄首相が
非暴力と核廃絶を唱えて議長をしました
冗談だろ?!という声もありますが、各国トップを
原爆資料館へ連れ込んだことは大成功でした
新館には理屈っぽい展示が並びますが
旧館の闇に浮かぶ絵画は感情に迫ります
インドを日米豪印QUADの枠組みに引き込み太平洋へ連れ出したのは故安倍晋三元首相の功績です。一方で安倍元首相はプーチン大統領と29回も会談し互いに名前で呼び合う関係をつくりました。中露の軍艦が示威行為として津軽海峡から大隅海峡を抜けた今、安倍・プーチンの友好は何の役にも立たなかったと揶揄するむきもありますが、国際間の大きな枠組みでいえばロシアまたインドとの関係構築は、野心を隠さなくなった中国を牽制する方策でもありました。
ところが日本メディアは、国際政治を大掴みに捉える安倍元首相の動向を全く報じず、目を凝らして探せばどこにでもある小事に延々とこだわったのはなぜか? 100兆円を審議する国会の場で数億程度しかもそれが違法な関与であるのかどうか証明できなかったにもかかわらずモリカケサクラ…をあたかも国家をゆるがす大事件であるかのように伝えた狂乱報道は、特定情報を連続的に注入し情報に酔わせて思考停止させる活動家のオルグに似ています。
党派にかかわらず政治家は原理的に灰色です。要はメディアがどこに焦点を当てるかの問題であり、議論すべきは現象の背後にある骨格です。瑣末事を局所拡大し、語るべき大事を語らなければ、情報の受け手は催眠術に掛けられたようなものです。
戦争より平和がよいのは当たり前で、ぼくらは如何にして平和をつくるかを議論せねばならないのですが「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し」という憲法9条は、自分が武器を捨てれば相手も捨てるはず、丸腰の自分を撃つ悪者はいないという自己中心主義的な平和論で構築されています。しかし「平和を愛する」と言ってもヒトの心は様々であるし、諸国民がみな「公正と信義」の持ち主であるとはかぎりません。国家は利害得失にあわせ必要とあらば他国に武力侵攻します。理不尽にも攻撃されたとき我々はどうすればよいのか?
訪ロ後の鈴木宗男議員は、ウロ戦争はロシアが勝つに決まっているのだからウクライナはさっさと降伏せよ、その方が人的損害は少ないという論法を展開しました。しかし戦う前に白旗を揚げてしまえば、長きに渡って支配され、いかなる悲劇がつくられるか、そのことについて鈴木宗男氏は論及していません。屈辱の果てにテロが生まれ、テロは武力で押さえられ、新たなテロが発生し...という図式を今ぼくらは中東で目撃しています。
人と人との関係においても、力なき者はいじめられ、反撃されるかもしれない相手には相応の態度をとるものです。井上尚也と喧嘩したい悪人はいないでしょう。非常時の防衛力を備えてこそ国民は矜恃を保てるのであり、その辺りをはき違えた議論は危険です。「平和安全法制」を戦争法案と言い替えて悪の烙印を押し、結果的に敵対国に有利な状況をつくろうとする人たちって何じゃろと思いますね。「非暴力」の国は核戦力さえもちます。
ブログで政治を語るのはまずいと承知していますが
そこから逃げては意味のない作文になるので
迷いながら思考整理しています
2023.11.21記 つづく