ひとり旅 201121 China 6  1984年の監視社会から2020年のスマホ社会へ

 

 

 

 

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北京駅にて 1984

 

北京のドミトリーで中国残留孤児と実の親との面会風景を撮りに来た写真家と出会い、駅前でぼろカメラを渡したときの一枚です。このボケようだと誰だかわからないのでホッとしますね。しかしここが北京駅であることは分かるので記念写真の役目は果たしています。おカオに自信のないヒトには程よいテクノロジーです^^!

 

今どきのChinaには億の単位で監視カメラが設置されています。「せ~の」で逃げる鬼と追う公安に分かれ、鬼ごっこみたいな実験をしたところ、大都市の人波に紛れた鬼さんはあっという間に位置特定されたというから恐ろしい社会になったものです。ソニーのレンズやNECの顔認証技術も使われているらしく、もはや都市の持つ匿名性は失せました。

 

 

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田舎の路地 1984

 

エンジン音が響かない細道には

たまに鶏や豚の鳴き声が聞こえます

車が入れない京都先斗町の路地の静謐を連想しました

 

奇しくもぼくが初めてChinaを歩いた1984年は、ジョージ・オーウェルBig brother is watching youというフレーズで監視社会を描いた「1984年」でした。1950年没の作家が予言した「独裁」「思想警察」、拷問と洗脳のための「101号室」、自分の考えと矛盾する思考の押しつけを受け入れて心の平衡をとる「二重思考」、思考の幅を狭くし人間をロボット化するために言葉を単純化した「ニュースピーク」等の支配の構図は20世紀の情況から導かれた管理思想といえるでしょう。恐ろしいのは21世紀に入って情報技術が急激に進展し、ジョージ・オーウェルにも架空できなかった管理社会が現実化したことです。「1984年」から36年後の今Chinaを筆頭別格として、どの国にも管理監視システムが造られました。

 

関空の入管は、飛行機を降りてだらだらと歩いているうちに顔認証を済ませるらしくディスプレイにパスポートを置くだけで通過させてくれます。台北バンコクの入管には愛想というものが全くない係官がいて、両手の人指し指で電子的に指紋を取られ、小さなカメラを指さしあっちを向けと言われてお終いです。

 

ぼくのiPhone6sは指紋認証ですが、ちかごろのiPhoneは開けた途端に人相チェックされるようです。便利といえば便利ですが、指紋や顔は警察も欲しがる個人情報だから、それがインターネットでApple本社へ届き、その気になればティム・クックは6sからオレの指紋を、(お店で触っているうちにだんだん欲しくなってきた)iPhone mini^^ から顔情報を抜き取れるのだろうか、そんなことが可能だとすれば、もしもヤツがオレの銀行預金に興味を持ったりすると危ねえぞと心配になって某氏に問い合わせたところ、

 

iPhone指紋認証、顔認証等のいわゆる生体認証は完全にiPhone内部で完結しております。時々勘違いされる人がいますけど、iPhoneは顔や指紋をそのまま画像データで保管してるのではなく、Appleが決めたいくつかのポイント(特徴点と言います)の位置を数値化してるだけですので、それが万一漏洩しても元の生体情報を復元することはできません。しかもその特徴点のデータはiPhone内のSecure Enclaveという特殊なチップに保持されており、外部に送信されないどころか、実はバックアップすらされておりません。この辺、AppleGoogleなんかに比べてかなり真面目にセキュリティ考えてるなと思ってます」という返信が届きました。

 

とはいえ「なんせAppleですから、自分とこで作ったデバイスに、その辺のヲタクごときには見破れない巧妙なバックドアを仕込んでても不思議ではありません。iPhoneの脱獄ツールを開発してるハッカーたちが、その腕を見込まれてよくAppleにスカウトされたりするのですが、これもある種の口封じととれなくもないですしね(笑)」とのこと。そういえば (野球の球筋ではないところの) バックドアという聞き慣れないプログラム用語を流布せしめたのはハーウェイを攻めたトランプ大統領でした。

 

さらに「私のiPhoneは脱獄してありますので、勝手に外部に情報を送信しようとすると通知が来るのですが、少なくとも写真、文書、生体認証等のパーソナルデータに関する限り(iCloudにあげてる場合は除いて)Appleがあやしい動きをしてる気配はない…ように思います。むしろ、FacebookInstagramなどのSNSアプリは、写真へのアクセスを許可した途端、ガバガバ抜き取ってるようなのでサードパーティの方を警戒するのが先決だなと思ったり」

 

「それでも現状ではファーウェイやサムスンAndroid軍団より、まだ多少は信用できると思ってます。どのみちスマホを捨てて、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らすサリンジャーみたいな生き方は無理なので、ある程度のリスクは背負っていくしかないのかなとも思います」という現実的な結びも置かれていました。

 

 

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上海 1984

 

善男善女が朝な朝な表通りに繰り出し

太極拳で体をほぐします。それは期せずして

仲間意識がつくられる場でもあるのでしょう

他者との交渉の場を失った日本の街暮し

高知の団地住まいの孤独者には

なつかしくも羨ましい風景です

 

ぼくはiPhone3Gs 4s 5s 6sと4代持ちですが、5年前から機種変更が止まっています。スポーツの世界大会で選手の背中にChina資本の4G 広告が入り、情報端末が本格的にパソコン機能をもったころ時代は新たなステージに入りました。日本のみならず、たぶん世界の老若男女がバスの待合、電車の中、ときとして授業中の机の下で掌をすりすりしています。5Gの次は6Gだという声まで聞こえてきた今、端末とサーバーが結ぶ網の目は、仕事や遊びを超え、ヒトを支配する神の領域に入ったようにも見えます。もはやスマホは幸せを呼ぶ道具であるより、その暗部において技術の暴走であり、人間が監視社会の不幸に落ち込む折り返し点ではないかとさえ思われます。

 

2020年現在の技術でヒトは十二分に管理され、監視され、特定の価値に向けて誘導されています。それが露に見えたのが今次アメリカ大統領選におけるメディアの異様な振る舞いでした。今の世にはハーメルンの笛吹き男と愚かなネズミ集団の二者が居り、笛吹き男は神になろうとしてコンピュータ室に座り、ネズミ集団たる大衆はひとりひとりが自由意思を持つかのように錯覚してスマホ歩きしています。ひょっとするとぼくらは気付かぬうちに崖ッぷちへ連れて来られた悲しいネズミなのかもしれません。

201121記 つづく

 

 

 

 

# # # 高知の今 # # #

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御畳瀬 201111

 

♪みませ見せましょ浦戸を開けて♫ と唄われる土佐の高知のカーニバル⇒よさこい鳴子踊りは戦後復興を目論んで気合付けに作られた祭りだそうです。「よさこい⇒夜は早よう来い」どこへ?「飲み屋に決まってるじゃない」と飲み屋の女将が教えてくれましたが、私などもっと色っぽい解釈をした方が情緒があってよろしいかと思う者です。ということはどうでもよくて、

 

「月の名所は桂浜」と唄われる港町の賑わいは今となっては歴史の彼方、少子高齢化という行政用語も何やら白々しく、自転車でやっとすり抜けられるほど狭くジジババと猫しかいない路地をCanon M6+22㎜の単レンズを提げて散歩していると、おっとこれがたまるかと腰を抜かすほど美しい櫺子窓に出くわしました。たまたま当家の奥様が水に漬けたブラシで年輪に沿って丁寧に磨いているところだったので話を持ちかけると、このお屋敷は150年ほど経っているらしく「代々受け継がれて私の代になり手間隙かかるけれどやめるわけにもいかないし」とやや愚痴っぽく呟きながらも言葉の端々に深い愛着が感じられました。

 

かりに1代30年として5代遡った150年前は幕末から明治にあたります。少年時代の坂本龍馬鏡川で泳ぎ、1867年33歳の年に京都近江屋で斬られたころの話なので、それから5代も続いた水拭き作業はたいしたものです。中には手抜きの誘惑にとらわれた奥様もいたのではなかろうかと、いらんことを考えながら了解をもらってシャッターを切り、磨き抜いた年輪に触れると指紋のあたりにほどよい抵抗が残りました。この窓を切り抜いて京都の町屋に置いたら都人さえ喜ばしめるかも、、

 

 

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御畳瀬 201111

よく見かける花?葉?に

夕日がドンピシャ