高知競馬場入り口 201122
地方競馬場が四国にひとつ、九州は佐賀にひとつあります。島根県にもありましたが2002年に休止⇒今は場外「勝馬投票券」発売所となりました。カッコ付けても競馬は博打なんだから「馬券」売場でいいんじゃないのって思いますけど当節の競馬愛好家は「投票」するんですと^^! 福ちゃん新聞に赤ペンを入れたおっさんが投票所にならんでいました。
バイクで通りかかったついでに入場門をくぐると観客席に客の姿はまばらでした。島根競馬場が休止したころ高知競馬も経営危機にあったことだし今はコロナ禍で経営は以前にも増して大変なのだろうと思いきや意外なことに今年4月の段階で「年間売り上げが500億円を超え右肩上がりの高知競馬*」とあります。コロナの巣籠もりでネット需要が増えたそうです。
*高知新聞2020.04.04
高知競馬場 出走前の顔見せ201122
高知市のまんなかに競輪場があり、仕事場へ行く途中に場外舟券売場があり、拙宅は競馬場の近くにあり、パチンコ店は数えきれず、土佐の高知は賭博のパラダイスです。が、どう考えても自分にギャンブルの才はなく、競馬場には夏の夕涼みか遠路おいでくださったお客さんをミニ観光にご案内するくらいのことです。
その昔パチンコに熱中していたころ先輩がパチンコ店を立ち上げ成功路線に乗せました。店の裏手に事務所があり戸を開けると山と積んだ千円札の束をせっせと数えていたので手伝ったことがあります。他人のカネを数えても嬉しいものではないし札束を動かすと風が鼻にさわって独特の臭いがするものです。銀行員の気持ちがちょっとだけわかりました。「ところで今ぼくは勝っちょうがよ。今月は5万円くらい稼いだぜ」てな話をすると背中を丸めて札束を数えていた先輩は手を止め、医者のように冷静な目でぼくを見上げて「ほんとに?」と低く呟きました。そのシチュエーションであの顔をされたら余程のばかでないかぎり言外の情報が読み取れます。その日を境にパチンコには興味を失いましたが、不思議なことにやめてしまうと憑物が落ちたように心が静かになり仕事が済んでも日が落ちてもそわそわすることはありません。障りのある譬えですが、その対象が何であれ宗教的熱狂から醒めた人はあの時の気分に似ているのではないかと思ったりします。
100万円が降って湧いた⇒学生のころ競馬好きの同級生がつまらなさそうな顔で寄って来て問わず語りに「おれさ昨日万馬券を当てたんだけど結局儲からねえんだよな」と話しかけてきました。バイトに明け暮れ小さなおカネをいただいていた自分は知らない世界がいきなり開けたように気がしたものです。「100円が100万円になるんだろ? すっげ!」と言ったら、その瞬間に至るまでの投資があるし、勝ったらまた勝ちそうな気がして次のレースに注ぎ込んだのでそんなに残っていないというようなことでした。だったら喋んなよと思うわけですが、自慢はしたい、人には聞いてもらいたかったようです。
宝籤1000万円が当たった⇒確率で考えてみろ、当たるわけねえだろ、あんな紙切れを買う奴は馬鹿だとぼくは今でも思う者ですが、確率論も仕事のうちの数学の教師と久しぶりに出会って、しょうもない話をしていると奴は突然両手で口を塞ぎ「丸1年誰にも言わなかったんだけど今日はどうしても言いたい。実は、、」と瞳の奥に押さえ切れない喜びをひそめ「宝籤が、、」というから「よし分かった。話は聞いてやるから高めの飲み屋へ行こう」と誘い、支払いはむこう持ちで、きらきらしいお店に入りました。いつものように高知市薊野の店で買った。長い数字をずっと追っていると仕舞いまで同じ数字が続くのでどきどきした。にわかに信じられなくて何度も確認した。当選番号と同じだった。「で不労所得の1000万円を手にしてまず何をした?」美味いものを食って飲み屋をはしごして車を替えた。「それで?」ハワイに行ってゴルフをした。「それで?」また当たりそうな気がしたので宝籤を買ったが当たらなかった。「あたりまえだろバカやろ、でそのあと?」あんまり残っていない、というようなことでした。
以上の事例は嘘偽りのない聞き書きです。この拙文を読んでくださった皆さまはある日突然税務署も知らないお金が100万円、1,000万円という単位で降ってきたらどうなさるのでしょうか?
賭け麻雀、握りゴルフ、野球賭博は法の下に禁止されていますが、競輪、競馬、競艇、宝籤、サッカー籤、桁外れのカネが動くパチンコが合法というのもよくわからない話です。もとより人間は矛盾に満ちた存在であり、それを守る警察検察が法解釈の幅を広くとりたがるのは分からないでもありませんが、そこに恣意的解釈が入り込んだら大変なことになります。
賭博の罪の存在理由は「射幸心が煽られてしまうと怠惰で浪費な風潮が蔓延し、健康で文化的な勤労の美風を害するばかりでなく、暴行、脅迫、殺傷、窃盗、強盗等を誘発したり、国民経済の機能に重大な障害をあたえたりする恐れすらある」からだそうですが、
この法文を文学系の文字感覚で読むと、人の息づかいが全く伝わって来ず、しらじらしい印象を受けます。索漠として抽象的な文言は官権のさじ加減でどうにでも解釈できるわけだし、法を挟んで検事と判事がやりあう法解釈において初めて人間くささが露になるのかな、法の面白さは判例を人間的(文学的)な視座をもって読むことから始まるのかなと思ったりします。比喩の達人三島由紀夫が大蔵省の上司に「お前は文章が下手だ」と言われて腐ったそうですが、なんか分かるような気がしますね。
日高の牧場151014
で、射幸心を煽られ競馬にのめり込んだおっさんは哀れな末路をたどるほかないのかといえば競馬場には「公営競技ギャンブル依存症カウンセリングセンター」なる施設があり、ウチで面倒みるから安心してご投票くださいという親切ぶりです(~~、
新冠町151014
オンロードバイクは道の先を見るマシンですが
オフロードなら背骨を立てて風景を愉しめます
どちらもバイクではありますが
目の高さが変わると風景は一変します
馬と連れ立ってパリを出ピレネー山脈を越え
スペインはサンチャゴの道を歩いた友人から
紅葉の石鎚山へ登るとの電話がありました
仕事がつかえて今次の合宿はパスしましたが
折りをみてじっくり馬の話を聴いてみます
馬の背の高さから見た風景ってどんなでしょう?
201127 つづく
# # #アメリカの今# # #
一日中テレビの前に張りついている93歳の母が「トランプ大統領はどもならん。奥さんが辞めれというのに、どひたち言うことを聞かん」と憤っていました。もう長いことテレビを見たことがないぼくは、あれはメディアのフェイクであり、夫人の言葉はこれだという事実列挙の別ニュースをネットで見ました。
11月3日以来ずっと大統領選の行方を追っていますが、まだ決着は付いていません。バイデン候補は組閣を始めておりメディアもそれを当然のごとく報道しています。一方メディアの陰で女性弁護士シドニーパウエルが不正投票、ドミニオン投票システムといったキーワードで動き始めました。
情報があふれ何が正しくて何が嘘であるのか訳のわからない時代ですが、この選挙結果が日本に強い影響を与えることは間違いなく、成り行きによっては歴史の転換点になるだろうという恐ろしい思いで注視しています。