ひとり旅 201208 China 7 台湾の故宮
「中国人が商人なら日本人は職人だ」と喝破したのは台湾生まれの「株の神様」邱永漢です。日本人が職人であることは疑いありませんが、しかしChineseが商人にとどまるかどうかは疑問です。
台湾の故宮博物院入口 171015
大陸で蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が争ったとき蒋介石は、北京の故宮に置かれていた69万点に及ぶ宝物をひとつ残らず台湾へ運びました。だから2017年に習近平主席が貸し切りでトランプ大統領を歓待した北京故宮は広いばかりで中身は空っぽなわけです。
清時代にヒスイでつくられた翠玉白菜171015
台東市のみやげ物屋に置かれていた
肉形石のイミテーション 171021
台湾故宮の本物は出張中でした
白菜にしては痩せていますが、硬い翡翠を白と緑⇒茎と葉に色分けし白菜に仕立てた職人は大した想像力の持ち主です。葉にイナゴだかキリギリスだかの足が見えるのは縁起物とか。そもそも宝石を削って野菜や豚肉を作ること自体ユニークな着想で、どこかコミカルな面白さも人気の秘密かもしれません。
その宝物を移転した台湾故宮に2日通い、展示品の数々を見ては休み、休んでは見ながら、Chinaの職人が本気を出したら凄い精密度でやってのける。ろくな道具もない昔水晶に匹敵するほど硬い翡翠をどうやって加工したのか、その情熱はどこから湧いて来たのかと呆れつつ、どうやらChineseは商人のみならず職人でもあるぞと思いました。
白菜といえば韓国のオリジナル食品キムチが連想されます。もしもこれが韓国で作られていたとすれば国の宝となることは間違いありませんが、残念ながらKoreanは翡翠でキムチを作ろうという着想を得なかったし、仮にへそ曲がりの職人が一心不乱に翡翠を磨き、ひと工夫凝らして唐辛子の赤も鮮やかな宝石キムチを創出したとして、その努力が当時の人々によって真っ当に評価されただろうか、どうなんだろという疑念が脳裏をよぎります。
実はさきほど高知県梼原町は「鷹取キムチ」のメンバーが、苦心惨憺して作り出したヤンニョンを届けてくれました。ぼくは長いこと日韓交流の裏方をしてきたのでキムチに関しては色々な思い出があります。ネットで伝えられる韓国は、じめじめした政治話や華やかなステージにまつわる根のない話題ばかりですが、当然のごとく韓国にも中国にも虚構ではないところの庶民のあたりまえの暮しはあるわけで、実はその一点に興味があってあれやこれやと手を出してきました、という記憶から白菜⇒キムチと飛躍しましたが、戻ります。(かの国の写真は山ほどあるので自分のためにもいつか整理せねばと思っています)
これは一体何なのか、なんで球の中に球があるのか、どうやって入れたのか、どうやって彫ったのかと散々考えましたが分からぬままでした。今にしてネットを開いたところ、たまたま翠玉白菜と並んで紹介されており「職人親子3代が100年に渡って彫りあげた多層球」であり「もはや神業としかいえない超絶技巧の象牙細工」とあります。長いこと生きて色々な細工を見てきましたが、これには全くもって恐れ入りました。
「親子3代が100年に渡って」とあるからには、100年に渡って政治が安定し、安定した社会が富の余剰を生み、その余剰部が職人文化を支えたはずです。China4,000年?の歴史はやや法螺っぽいとして、紀元前221年に秦が統一国家を形成して以来今年で2,241年になります。歴史の節目たる王朝交代劇を強調すると大陸の人々は争いばかりしていたように見えますが、逆にいえば安定と安定の間に短い戦争が挟まれたと捉えることもできます。
戦争があってもいずれ終わる。終われば新たな皇帝があらわれる。その皇帝ないし周辺の権力は宝物を欲しがる。宝物の所有は美的な悦びにとどまらず他者に優越する威信財として必須の存在だ。需要はつづく。何より大事なことは抜群の品質であること「2番じゃいけないんですか?」などと間抜けなことを言ってた日には生き残れない。権力の求めに応じて職人は良いものを創らねばならず、需要と供給⇒お上と職人の緊張関係がかくも精緻な造形を創り出したのではなかったか、、
日本の官窯「鍋島」の精密度は素晴らしいものですが、製作にあたって職人は、背中にお上の視線を過剰に意識し、製作者自身が愉しむことを忘れているような気がしてなりません。鍋島に込められた労力は凄く、その完成度は100点ですが、だからといって芸術度が高いわけではありません。作品が人間に与える悦びには遊びの要素も必要で、職人の真剣な眼光の後ろにどこか緊張のほぐれた余裕がなければヒトは辛くなります。
では遊びの要素が過剰になったらどうなのか。滅びゆく朝鮮半島の文物を惜しむ柳宗悦は、暮しの用具を買いあさり、これを「民藝」と名付けました。韓国の友人に「君は柳宗悦を知っているか?」と尋ねたら「当然だ。韓国では高く評価されている」と応えましたが、それは芸術論というより政治に傾いた返答であったようです。
柳宗悦という権威を畏れず、あくまで芸術の観点からジコチューにもの申せば、柳宗悦が切ない思いで買い集めた朝鮮半島の文物は暮しの用具にすぎなかったのではないか、芸術と言い切るには完成度が低く、どちらかと言えば日常の用具、道具に傾いたものであったからこそ柳宗悦は「民藝」という言葉を発明したのではなかったかと思うわけです。歩き回った韓国でぼくが見つけた、かの地独特の発明は、土木建築にまつわる「酔拳」的な遊びでした。
遊びを徹底追及したところに生まれるKoreanのあっけらかんとした明るさはJapaneseにはないもので、皇帝の目にとまることを夢見つつひたすら神経を尖らしたChineseにもないものだろうと思われます。ひょっとするとその辺りに大陸と半島と列島の美学をさび分ける何かがあるのかもしれないと、、なんせ半島南部とは長い付き合いなもんでつい、いらんことを考えてしまうのです。
清時代の壺 171015
いやになるほど土を捏ね、釉薬を塗り、長い時間をかけて絵付けし、懸命に火の番をして窯から取り出したら一点の曇りがあった。それは一級品ではないから献上品にはならない。もったいない話ですが、立派な作品の背後には無残な瓦礫の山が残ります。
ここまでやるかというくらい精緻な文様の壺? 171015
唐時代の水差し 171015
豚の置物 年代不明171015
Chineseは豚が好き
宝石で豚の角煮をつくるほどの豚好きで
豚と一緒に暮らしてきたから
おのずと形はリアリズムになる
この豚くんがオレの小遣いで買えるものなら
欲しいなあとバカみたいなことを考えました。
201208記 つづく