ひとり旅 221201 日本所々(7) 秋田県大潟村 会津磐梯山 山都そば 天安門事件

 

 

 

 

 

秋田県大潟村 蕎麦の花 2022.07.26

 

路傍にひっそりと咲くペンペン草に目をとめ

「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」

と詠んだ芭蕉

 

山の畑の救荒作物にも心が惹かれたらしく

「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」

と蕎麦の花から「おもてなし」を受けています

 

 

秋田県大潟村 2022.07.26

 

道路脇には街路樹が付き物ですが

緑の絨毯に白い花を散らした蕎麦畑は珍しい

 

 

秋田県大潟村 2022.07.26

 

ここは秋田の旧八郎潟

かつて琵琶湖に次ぐ大面積の湖沼でしたが

大半が干拓され、ぼくが中学生のころ習った

八郎「潟」の面影はありません

Google mapを拡大すると区画された農地が

半導体の顕微鏡写真のごとくです

 

クニは戦後の食糧難時代の発想で

農地確保をもくろんだわけですが

やっと田んぼが出来たころには

コメ余り⇒減反⇒外米の間接輸入と

米は貿易のダシにされました

 

同じ着想で長崎県諫早湾

首を締められ、塩分を抜かれ

漁民と農民の争いがつづきましたが

現地を歩けば素人目にももはや

引き返し不可能だってことがわかります

長く続いた裁判は当たり前の結論を導きました

 

島根県宍道湖の蜆も

危ないところでした

 

 

秋田県大潟村 2022.07.26

 

農地に水を送る広大な水路が

長い年月に癒され

余所では見られない

風情をかもしています

 

 

秋田県大潟村 2022.07.26

 

農地に水を配る用水路だから

機能を満足させれば問題なかろう

という着想で造られたものらしく

コンクリートを鉄で補強した

風情のない工事です

 

昭和30年代の農村の記憶をもつぼくは

わずかな傾きをもって広大な平野に水を配る

土木技術に敬意を表しながらも

もうちょっと艶っぽく作れんろうかと…

 

古代ローマ人はあの美しい水道橋を造り

熊本の石工は通潤橋をこさえたんだぜと思うわけです

 

 

会津磐梯山 2022.07.31

 

奥羽山脈の南端に立つ

磐梯山は標高1816mだから

石鎚山1982mより低いといえば低いのですが

プレートの沈み込みがつくった

しわしわの四国山地の最高峰とちがい

平地からズンと立ち上がる山容が立派です

 

1泊5300円朝飯付きの温泉宿は

まあそれなりのものでしたが宿のご主人から

「うちは外国人客が多い」どこで知ったのか

「ひとり旅の白人女性」も来てくれる

「ハラキリマウンテン」にも興味はあるようだが

「昔ながらの和風旅館に日本を感じるらしい」

 

彼女らびっくりするほど日本語うまいので

「どこで覚えた?」って聞くと「アニメだとさ」

「そういやアニメの少女の語り口に似ている」等々

出発前の玄関口で声をかけられ

ふたりで腰を下ろして長話に花が咲きました

 

 

北海道函館 星型要塞の五稜郭  ネットより

 

不思議な形の五稜郭は西洋由来の城塞です

戊辰戦争で追い詰められた榎本武揚土方歳三

会津をさらに北上し最期に争った地でもあります

 

福島で長く暮らした知り合いによると

高知の出身者はここ会津では分が悪い

坂本龍馬⇒新政府軍という連想から

負けて賊軍となった会津藩士は「ハラキリ」と相成り

敵方の「リョウマは人気ないですよ」と苦笑しました

 

ちなみに土方歳三新撰組

「れいわ新撰組」とは関係がありません

戴く神を異にする組織なのでお間違いなきよう

 

 

山都町の蕎麦 2022.08.01

 

磐梯山を横目に

喜多方経由で西会津へ向かいました

昼飯は喜多方ラーメンにしようと思っていたところへ

上記の知人から電話が入り

「ラーメンより蕎麦です」

「ヤマトへ寄りなさい」

との指令を受け

山都町へ向かいました

 

竹のお皿にちょこっと盛られた白い蕎麦は

丼鉢の大盛りうどんにはない上品さがあります

ぼくはうどんの味は分かりますが

蕎麦はめったに食べないので

味のちがいがわかりません

 

それが旨いか不味いかは

長い経験がつくる味覚の文化なので

蕎麦のことは蕎麦好きに訊く他ありません

と、無理やりつくった落ちでチョン

2022.12.01記 つづく

 

 

 

 

< 2022年の現在史 >

11月25~28日にかけてChina各都市でコロナ規制解除をもとめたデモがありました。ネットでは即座に伝えられましたが、驚いたのはテレビでも同じ映像をがんがん流しており、中国と名が付けば腫れ物に触るような気遣いで言葉をえらぶNHK他がいったいどうしたことかと腑に落ちぬ気がしました。

 

1987年長大な故宮を歩いてたどり着いた天安門広場には自転車の群が洪水のごとく流れていました。その2年後1989年6月4日に「天安門事件」(欧米では天安門虐殺)が起きました。当時のニュースは新聞テレビに頼る他なく、あの広場で何が行われているのか、切れ切れの言葉と映像をつなぎ合わせて想像する他なかったのですが、後に判明したのは民主化を求める3,000人とも10,000人とも言われる市民若者が同胞の軍隊によって撃ち殺されたのでした。

 

そのとき両手に小荷物を提げた青年が戦車の前で行く手を阻む映像が流されました。「行くなら俺を轢き殺して行け」とでも言わんばかりの気合に押され、ためらいがちに左右へ動く戦車を見て視聴者は、ああ解放軍といえども同じ国民に手を出すことはためらうのだと勇気ある青年「Tank man」を賞賛し、かつ戦車兵の気持ちを推察したものです。▼が、これから起きる出来事を待ち構えていたかのごとく捉えた映像はむしろ不自然で、あれはヤラセのプロパガンダ説もあります。

 

類似した事件は1980年の韓国でも起きました。時の軍事政権に民主化を求めたいわゆる光州事件として知られます。これまた新聞記事には切れ切れの局面情報がまとまりもなく置かれ、どういう構図で何が行われているのかさっぱり分からなかったものですが、今にして思えば、国民は自由を求めて叫び、独裁者は武器使用を命じたという点で天安門事件光州事件は共通しています。

 

現在進行中のデモから天安門事件を連想する報道がありますが、監視カメラとAIで管理された学生市民に国家を覆すほどの叛乱を起こす力があるかどうか、目立つ動きをした市民は特定され、生贄にされ、大衆は黙るという図式が見えます。▼香港の民主派アグネス・チョウ(周庭)さんは今どこにいるのでしょう。一緒に連行された男子学生また台湾へ逃避行の途中で逮捕された面々は今どこで何をしているのでしょう。歴史は繰り返すといわれますが、むしろ歴史は民主化に背を向け、祭壇にコンピュータが祀られた独裁社会へ向かっているように思われてなりません。