西表島のバスが行き着く白浜から巡航船で渡った舟浮が、観光旅行者がたどり着ける最南端の村ですが、さらに向こうの網取に東海大学の研究所があります。前は海、後ろは道のない森、文明との接点は船のみという孤独な研究の場です。ここに滞在した方が、高知県大月町の海沿いにある研究所の所長をされており、ひょんなことからお話を伺う機会がありました。
仕事柄人里はなれた土地に住むけれど、今いる漁村は「車に乗れば遠くないところに町がある」と嬉しそうでした。誰にとっても都市の騒音より鳥の歌声や波の音が好ましいに決まっていますが、かといって文化・文明から切り離された孤島の暮しは精神的に耐えられないでしょう。すると人生の理想は自然+文化・文明の調和ということになります。
民宿「遊しび」170711
沖縄の母音はアイウしかないので
遊びは「あしび」
チャップリンの映画に、この世でいちばん大切なものは「少しのお金と愛だ」という名言があります。立って半畳寝て一畳の空間が確保できれば、あとは精神的な問題でしかない。広大な人工空間を望むか、森と海に囲まれた自然空間を好むかは個人の趣味の問題だ。自然の中に棲み家をもち、口を糊する手だてがあり、かつ都市とつながる文化的な接点を持つならこれこそ現代の理想郷ではないか。都市がヒトで満杯になり、歴史がどん詰まりに行き着いた今、次なるテーマは都市と田舎の往来ではなかろうかと理屈っぽく考えているうちに上記研究者がつくづく羨ましく思われました。ぼくの場合、自由な時間があり、緑に包まれた安宿があれば他に望むものはありません。そこに発生した空白をどのように埋めるかは自分の問題です。(とはいえ事情で「時間」が圧迫され毎日深夜までえらい目に遭ってますけど)
民宿の居間兼寝室170711
西表島にはペンション風の民宿も
豪華ホテルもありますが
そんなお宿に興味がないぼくは
この古民家がふるさとでした
農家を改造した1棟貸し切りの民宿で10日ほどお世話になりました。たしか1泊3000円ほど^^! マンションで生まれ電車で通勤する若い子を連れてきたらどう反応するか分かりませんが、農家の伜の自分には何もかも懐かしくタイムマシンで子ども時代に戻った気がします。空調という文明の利器はいまだ使ったことがなく欲しいとも思わないので扇風機で充分です。新素材の床板より足の裏で磨かれた板敷きがしっくり来ます。
仲間川河口 140421
わずか数十年のうちに気候が変わり、避暑は沖縄へ行けという文句が冗談ではなくなりました。亜熱帯性海洋気候の西表島は、夏場でも最高気温が32度ほど、昨年の東京のようにコンクリートがつくる地獄の釜ではありません。
居間から見た厨房 170701
いつしか年を経て女将さんは
「民宿は今年で終わりにします」とのこと
4年後の今Google mapを見るとどうやら
新しいお店に生まれ変わったようであり
ぼくは最期の年の宿泊客になりました
かつて西表島はマラリアの猖獗地帯でした。大戦後に米軍がやっつけたので今はとりたてて用心するほどの問題ではありません。が、石垣島までご一緒した医者の友人は「マラリアが無くなったわけではないよ」と言います。窓に防虫ネットを張った寝室で、蚊とり線香をくゆらし、オオクイナが喉を詰まらせたように鳴く声を聞きながら夜は更け、朝が来て、散歩して、読みさしの本を開けたり、昼寝したりしているうちに、疲れを溜めた体と脳が、だいぶ元気になりました。
これは何かというと? 140420
町の病院では、ヒトの体から精神を切り離し、食と薬で肉体を守ってくれますが、殺風景な病室のベッドで白い壁を見て暮らすのは嫌やなと思う人には「森の病院」がお勧めです。飯くらい自分で作れますよという人間なら民宿ないし湯治場で体を休めるのも元気回復の一手です。それを病気と呼ぶかどうかはさておき、長いこと同じ仕事をしていると肉体にも精神にも疲れが溜まります。ところが自身の変化は自分では読み取れないもので、そこを家族に指摘されると、えい鬱陶しい、放っといてくれと思ったりしますが、たまに健康診断を受け、医者に数値の意味を説明されてギョッとするのは、他者の目で自分を見たからでしょう。
天然記念物のセマルハコガメです140420
腹部の蝶番で蓋を閉じると
手足首尻尾とも箱にぴたりと収まります
本人は気付いていないが、他人から見れば明らかに状態がおかしい人をどうやって外へ連れ出すか、1)言葉で諭す 2)強引に拘束する二つの方法があります。1)通常、他人が言葉をかけても本人は納得しないものですし、2)拘束するのは最期手段であって精神科の領域であったりします。
亀仙人とはぐれちまった家来のカメ^^ 170709
系内から自力で系外を覗くことは原理的にできないので、そこから脱出するために企業は社内イベントを打ち、社会は祭りをこさえます。多少の強制を伴うものの忘年会や夏祭は、わが身わが心を振り返る切っ掛けにはなります。が、祭りではしゃいで元気もりもりということが一時的にあったとしても、やがて日常が戻り、同じ仕事が繰り返されて自分の状態が分からなくなります。どっぷり浸った酒や煙草をやめようとした人ならお分かりかと思いますが、系内にあって系外を見ることは、幽体離脱のワザでも覚えない限りできません。
大富口から第一山小屋跡へ向かう山道の
キシノウエトカゲ 140420
長い抑圧を受けると筋肉は硬直し、精神もゆとりを失います。その緊張が新たな地平を開拓する力になることもありますが、心の崩壊につながる場合もあるわけです。では、どうすれば良いかといえば、どうしようもないのですが、何かの拍子に外へ出る切っ掛けがあったら、その気付きを大事にすべきかなと思う次第です。
森のアート 140420
大富口休憩所 ヤブレガサ
救急外科に運ばれた。折れた骨をつないでもらった。ありがとうお医者さんという分かりやすい治療はさておき、病気の大半は自然治癒力にまかせる他ないわけです。鳥が渡る森の風に吹かれ、しっかり食べて、ひたすら寝るのが病気治癒の最短距離のようであり、軍医森鴎外は”おれはコレラを寝て治した”というようなことを書いていました。
山のアート140424
浦内川上流ガンピレーの滝のポットホール(欧穴)
海のアート 140420
南風見田ハエミダの侵食された砂岩
210305記 つづく