むかしモハメッド・アリとアントニオ猪木がリングで闘ったときアリは軽快なフットワークで「蝶のように舞い」強烈なパンチでスズメ「蜂のように刺し」ました。対する猪木はローキックをかましてリングに寝そべり両手でカモンしましたが、決着はつかなかったですね。わくわくしながらテレビに見入ったわが青春のひとコマです^^
黄色の縞々から虎を連想したか、China語でスズメバチは「虎頭蜂」「大黄蜂」、英語で「イエロージャケット」と呼ばれます。同時にスズメバチは「ワスプ」「ホーネット」とも呼ばれることを知って、はたと連想するものがありました。ワスプ=WASPはホワイト、アングロサクソン、プロテスタントの略称ですが、同じ綴りでスズメバチを意味します。強力な毒針をもって敵を倒すスズメバチにあやかり、第二次大戦時のアメリカ空母は「ワスプ」「ホーネット」と名付けられました。
B25爆撃機 ネットより
太平洋を挟んだ日米戦争は、1941年12月8日の真珠湾攻撃に始まります。その4カ月後の1942年4月18日、B25爆撃機16機の編隊が空母ホーネットを発艦、日本本土を空爆し、中国大陸へ抜けました。厭戦気分が広がる米国において世論喚起のため、あえて行なう象徴的な爆撃であったようです。
B25爆撃機16機は分散し、東京、川崎市、横須賀市、名古屋市、神戸市、三重県、栃木県、新潟県を襲い、地上の死者は50人を数えました。大型爆撃機は空母に着艦できないので15機は中国大陸に向かい、1機はウラジオストクに着陸しています。16機80人の隊員のうち不時着時に5人が死亡。運よく蒋介石の支配地域に逃れた兵士はアメリカに帰還しましたが、日本軍の捕虜になった3人は上海で死刑、1人は獄中死を遂げています。
真珠湾で大戦果を挙げたわずか半年後、1942年6月5日のミッドウェー海戦によって日本海軍は空母4隻、航空機300機を失う大敗北を喫しました。その日を境に戦局は大きく変わり、劣勢に追いやられた日本は、1945年4月に始まる沖縄戦を経、8月6日のヒロシマ、9日のナガサキによって敗北したと(ぼくの記憶領域ないし学校教科書では)簡潔に描かれます。国家と国家が存亡を賭けて争い、空母vs空母という人類史初の海戦さえ展開される中、アメリカの圧勝、日本の壊滅的打撃という印象を受けますが、では日本海軍はやられっぱなしであったかと言うと、そう単純なものではないようです。
1942年9月15日
雷撃を受け炎上する空母ワスプ
ミッドウェー海戦の3カ月後、空母ワスプは日本の潜水艦伊19号によって雷撃、撃沈されました。国際法を遵守した潜水艦長は最大魚雷数6発を発射し、うち3本がワスプに命中、他の1本は10㎞先の戦艦ノースカロライナに、もう1本は駆逐艦オブライエンに命中したというから恐るべきヒット率でした。(なお伊168号は空母ヨークタウンを、伊175号は護衛空母リスカム・ベイを撃沈しており、日本の潜水艦が撃沈した米空母は3隻になります)
1942年10月26日
空母ホーネットは10月26日の「南太平洋海戦」において攻撃隊54機を飛ばし「空母翔鶴に450キロ爆弾4発を命中させ」「重巡筑摩を撃破した」一方「日本側機動部隊からの攻撃により(ホーネットに)250キロ爆弾3発と魚雷2発が命中。艦爆と艦攻各1機がホーネットに体当たり」しました。
トマホークの一撃で沈む空母ワスプ 「ジパング」巻6より
空母ホーネットの乗員2200名のうち「140名が艦と運命を共にし」
空母ワスプの乗員約2000名のうち「戦死者193名、負傷者366名」
一方、潜水艦伊19号は翌1943年、米駆逐艦の爆雷を受け「105名全員が戦死」
そのようにしてスズメバチの空母2隻は
撃沈また自沈を余儀なくされ
敵味方とも桜吹雪が舞うように人のいのちが散りました
ぼくが子どものころ読んだ漫画や雑誌には
アメリカ優位、日本劣位のなか兵隊は
強い精神力で対抗したという定型がありました
日清日露の勝利で舞い上がった日本軍は、欧米列強を敵に回し、2発の核攻撃を受け、軍民合わせ300万柱の犠牲をもって戦争は終結した。つくづく日本は愚かな戦争をしたものだ。だが悪いことばかりではなかった。敗戦によって日本は軍国主義を脱し、技術も市場も惜しみなく与えてくれたアメリカによって経済復興を遂げ、戦後世代は幸せな民主主義を獲得した。アメリカは偉大なる父だ。われわれも頑張ろうという、嘘ではないけれど、背中が痒くなりそうなロジックを気付かぬままインプットされたように思います。
それは一面の真理ではあるのだけれど
では戦後日本が失ったものは何か?
かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」は、自衛隊を離脱した潜水艦が、核所持を装うことによって米海軍と対峙し、ニューヨークの国連へ向かう物語です。艦長は国連の檜舞台に立ち世界平和の大戦略を語りました。核を使用した国は、沈黙の艦隊が、核をもって容赦なく滅ぼす。その恐怖によって世界秩序が保たれるというのが話の骨でした。
同じく、かわぐちかいじの「ジパング」はイージス艦「みらい」が、1942年のミッドウェー海域にタイムスリップしたところから始まります。史実と空想を重ね、実在する武器を組み合わせて誰も知らない理想の戦争を創ることは並大抵の作業ではないでしょう。2001~2009年まで全43巻、緻密な絵とともに骨太の物語をつくり上げた情熱に頭が下がります。
作者は自衛隊の味方ですが、単純な防衛力強化論者ではありません。仮にこの戦争において日本軍がアメリカに圧勝したとして(なんせ漫画だから、やろうと思えば出来ます^^! ) 勝てば勝ったで、戦勝に酔う軍部の暴走をどう押さえるか、日本優位の世界秩序をどう構築するかといった恐ろしく複雑な方程式に解を与えねばなりません。
ドラゴンボール巻10より
それは日本人がもっとも不得手とする大戦略であり
誰も知らない歴史の先頭を行くことの恐怖に
われわれのメンタリティーが耐えられるかどうか
「ジパング」は、未来を知る者の超人的な活躍により、アジア太平洋戦争における日米戦を相討ちとし、早期講和に導きました。負けなかったが、勝ちもしなかった大戦が終結したあと日本の国体はどうなるのか?という読者の疑念に対し、かわぐちかいじは劇画最終巻において筋立てた回答を置いています。未来が過去に侵入し理想の形で戦後処理すればあるいは可能かもというかたちではありますが、、
アジア太平洋戦争 1942年
しかし、それにしてもです、1868年の開国以来わずか73年目にして世界を相手に戦い、思い切り支配地を膨らませたあと、急速に萎んだ国があったとは、それがぼくらの親の世代であったとは俄かに信じられないのです。戦前の日本は暗くゆがんだ国であり、長いトンネルを抜けた戦後は光に満ちた国になったと素朴に信じる人もいれば、長い長い物語を描く中で日本とは何か、自分とは何者かと問い詰めた漫画家もいます。
戦後民主主義という名の自国卑小化政策
とりわけ教育によって過去の日本を悪とくくり
教育、政治、経済という国家の基幹から、経済のみ残し
教育と政治から精神性を骨抜きにされた日本とは何か?
銃後の農村で戦争を見たわが母は、向かいのお寺に駐屯した若い兵隊が「夜中にいじめられる声を聞いた」「兵隊の偉い手はほんまにエラソーやった」と拙い言葉で当時を語ります。現北朝鮮の鉄工所で働いていた父は召集され満洲北部のチチハルで軍役に就きました。終戦後ロシア軍によって列車に乗せられましたが、窓から飛び下り、1年ほどかけて大陸をさまよったあと朝鮮経由で引き揚げたそうです。列車の行き先はまちがいなくシベリアであり、行けば収容所と過酷な労働が待っていたはずです。「戦争はいかんぞ」というのが父の口癖でした。とりたてて教養のない両親が経験的に導いた戦争観に嘘偽りはないでしょう。
しかし、各論を積み重ねて全体が作られるものでもありません。個々人の皮膚感覚が戦争を否定することは当然のことですが、その素朴で正しい感覚を政治的にねじ曲げ、違う方向に向かわせるのも世によくある話だから桑原桑原です。
この世にタイムマシンというものがあって、1回だけ乗せてやると言われたらぼくは迷わず18世紀の江戸に降ります。2回乗ってもいいよと言うのであれば1941年の東京に降り、朝鮮⇒満洲⇒台湾⇒香港⇒アジア一帯を回って昭和30年代までねばります。戦前と戦後で日本人の立ち居振る舞いが変わったのか、それとも本質は変わっていないのかを自分の目で確認したいからです。
写真と引用部はwiki他のネットより
210809記 合掌 つづく