ひとり旅 201003 1984年のChina 3 広州 泥棒 公安 領事館

 

 

 

広州のドミトリーで知り合った北海道の大学生と夕食に出かけ、レストランから出張った道端のテーブルに陣取って青島ビールで乾杯したとき彼の背に目つきの悪い男の影が見えました。旅に出たらカネとパスポートは肌身離さず所持するのが鉄則ですが、彼は一切合切を布製のショルダーバッグに入れ、長椅子の脇に置いたようです。ビールを飲み干し一息ついたあと彼は腰元を手さぐりして青くなりました。その顔を見て全てを了解した自分は、君は向こうへ行け。ぼくはこっちを探すと声をかけ、二人で別方向に走りましたが、夕暮れの雑踏をかき分けてもそれらしい人間は見えません。やがて彼は悄気た顔でバッグを下げて戻ってきました。財布もパスポートも航空券も何もかも抜かれた空っぽのバッグが路上に捨てられていたそうです。

 

 

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西安周辺 1984

 

翌日、公安に赴き、愛想というものが全くない制服の女の前に座らされました。当時のChinaに肥満した人間はおらず、細身の彼女は背筋をピンと立てテーブルを介してぼくらを見下ろすので、まあ威厳があるとも言えるのですが、異性に対する感情は湧かないタイプの人でしたね。片言の中国語とツーリスト英語でしどろもどろの遣り取りをしているうちに紙と鉛筆を渡され、人指し指をツンツンして「ストーリーを英語で書け」と言われた彼はかなり焦っていました。

 

公安を出て埃っぽい道を歩き、日本でいえば派出所のような所へ向かうと日本人学生がふたり署員と話していました。持ち込まれた用件より学生の腕時計に興味があるらしい警察は「日本は科学技術が進んでいる」と羨ましげに呟き、しきりに学生の持ち物を気にしていました。やがて先客と交代した彼が「ストーリー」の続きを説明しているとき、ぼくは用足しの許可を得、細い通路をくぐって暗がりの中に入りました。

 

そこには拘置所が併設されており、換気のわるいトイレの手前に裸電球がひとつ灯され、コンクリートで仕切られた箱の正面に鉄格子が並んでいました。昔の動物園で使われた設計思想です。格子の陰の上半身裸の男は、囚われた動物のような目でこちらを向き、自分と目が合った瞬間およそ人間とは思えない叫び声を発しました。黒沢明の「天国と地獄」に拘置所の訪問客と対面した囚人が、その場に相応しくない抑揚で喋る場面があります。長く閉じ込められていると自分の声を制御できないのですと自己弁護するシーンが思い出されました。

 

 

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西安周辺 1984

 

ぼくを蛇餐館に誘ってくれた女性は長く広州に滞在している学生で土地勘のある人でした。彼女によると、この地で重い罪を得た犯罪者は、市中を引き回され、間を置かず公開処刑されるのだそうです。広州は香港という阿片戦争の舞台に近接した街であり、とりわけ薬物売買に関する罪は重いと聞きました。

 

帰国後2年が過ぎ、1986年に日本で知り合った中国人留学生にこの話をしたところ彼は平然と「それには続きがあります。処刑に使う銃弾は国家の所有物です。したがって刑が終わると家族に銃弾の請求書が届きます」と、笑ってよいのか悪いのか「中国は人口が多いので人の命は日本ほど重くないです」とも、、

 

 

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西安周辺? 1984

 

Chineseの人権意識が薄いことは少しばかり歴史を眺めれば分かります。項羽と劉邦は何十万という軍勢を率いて戦いましたが、歴史家は争いの動向を巨視的に記述することはあっても、個々の兵隊の人格まで描くことはありません。劉邦につづく前漢7代目の武帝は勇猛な皇帝でしたが、「武帝がぜいたくと戦争にふけった後で、国力は消耗し、人口は半分に減っていた*」というから日本の内戦とはだいぶ様相が異なります。

                         *岡田英弘「誰も知らなかった皇帝たちの中国」ワック株式会社kindle 20%

 

日本では天下分け目の「関ヶ原」を見物するため地元の農夫は手弁当で一等席をあらそったという話もあるくらいで双方の戦闘員に、堅気の者には手を出すなという暗黙のルールがあったようです。大戦が終われば戦没者を祀る忠魂碑を建立し個々の名を納めた日本人の人間観と大陸のそれはだいぶ違います。日本の歴史に「人口の半分」を消耗した戦いなどありません。

 

それは2000年も昔の古代社会の話であって今のChinaは違う、と言い切れるかどうか。1949年に建国された中華人民共和国は、1966~1976年の間、文化大革命を展開します。文化を革命すると素晴らしい新文化が生まれる、という幻想を抱いた日本人も居るようですが、むしろ革命の実相は営々と築いてきた形や精神をすることであり、それは人民の幸福とは関係のないところで行われる権力闘争の別名ではなかったかと、、

 

 

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西安周辺? 1984

 

閑話休題。すってんてんになった彼と広州の日本領事館に出向きました。領事館は大使館に次ぐ存在だから敷居が高そうだ。怖い顔のおじさんがあらわれてまた坐らされたらどうしよう。緊張して中に入ると歳の頃は30代でしょうか、当たりの柔らかい男性職員が、手慣れた様子で彼の説明に耳を傾け、丁寧に対応してくれました。領事館の大事な仕事は邦人保護にあります。「宿泊費、入院、治療費、航空券代、その他の個人費用を立て替えること、またはその支払いを保証することはできない」そうですが、担当者は「国の家族に電話するならこれを、送金してもらうなら私の口座を使ってもよいですよ」と必要にして充分な対応をしてくれました。

 

1週間も待てばクニの母からお金が届くのでこのドミトリーで待ちますと言う彼は、多少のカネはポケットに残っていたろうし、いざとなればまた領事館に泣きつくことだって出来なくもないから「要らない」とは言いましたが、たしか千円ほど(^^ 渡して別れたように記憶しています。後日、北海道から無事、帰国した旨の手紙が届きました。

201003記 つづく

 

 

 

高知の今

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コスモスにも種類があって、これは

キバナコスモスという品種だそうです200928

 

 

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柿がそろそろ200928

 

 

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芒? 200928

日本のススキはもっとしおらしい穂ではなかったかと

ネットを検索してみましたら

これはパンパスグラスという帰化植物のようです、なんと

穂には赤、青、紫と色鮮やかな種類があるのでした

 

 

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ネコジャラシ 200928

こいつを土産にすると

ウチの猫は本気でじゃれます

 

 

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紫式部201001

誰が名付けたか知りませんが、

紫色の小さな実にもののあはれを感じます