230106 ひとり旅 日本所々(14) 承久の乱F 新日本海フェリー 奉納絵馬 塩の道 中露艦隊

 

 

 

 

 

 新日本海フェリー甲板  2022.07.23

 

日本海の荒波を悠々と越えるには

強力なエンジンで巨大船を動かすことに尽きます

2基のディーゼルで2つのプロペラをぶん回し

敦賀舞鶴⇒小樽・苫小牧を結ぶ新日本海フェリー

17.000トン32ノット⇒57.6㎞/hの高速船です

イージス艦の最大戦速と同じだから

船縁の波は後方へ洪水のように流れます

船足にご興味の方はぜひ

 

 

佐渡島泊港のモニュメント 2022.08.02

 

江戸期の帆掛け船は帆が1枚

2枚も3枚も許可すると鎖国にならない

武装した軍団が江戸に向かうとヤバイ

といった理由からのようです

 

 

佐渡島赤泊周辺の民家  2022.08.02

 

お屋敷の庭になぜ

船が乗っかっているのかは謎です

船は島と本土を結ぶ大切な手段なので

船の神さまを祀っているのかも?

 

 

新潟県寺泊白山船神社の奉納絵馬  2013.05.15

 

北前船日本海を自在に航行し

船乗りは海の「安全を祈り無事を謝して」

神社には船絵馬52点が奉納されています

 

絵の真ん中で帆が風を孕み

青海波に浮かぶ船の向こうは、水平線上に

旭日ギラギラという元気絵です

 

板子一枚下は地獄の

海上交通が賑わったのはカネのため

カネの成る木は欲しがるヒトのいる土地に生える

作る⇒運ぶ⇒高値で売りまくる

その稼ぎで仕入れたモノを別の土地へ運ぶ⇒売る

という商の原則に則って船乗りは差額を得たわけですが

海の仕事に危険は付き物なので

懸けた命と得たカネの均衡点において

貿易が成り立つことは今も昔も同じです

 

水夫(かこ)の給料は高くなかったようですが

頑張れば稼げるシステムが組み込まれていたらしく

気合の入った絵馬からも乗組員のやる気が見えます

 

上の奉納絵馬は明治15年の作です

新橋・横浜を初めて列車が走ったのが明治5年だから

貨物列車が日本列島を縦横に移動するにはまだ間があります

 

当時の陸上交通は馬が主役です

道草喰ってサボろうとする馬を急かし、馬と並んで

森の小道を歩いたところで物流量は知れたもの

重い荷物を水に浮かべる海運が圧倒的に優勢でした

 

 

舗装路脇の「塩の道」 2016.03.26

 

高知県赤岡町に「塩の道ウォーク」というイベントがあります

海で取れた塩を馬に載せ馬子が歩いた山道を

おれらも歩いて昔を偲ぼうという記念行事です

 

海辺の町に朝6時集合

バスで30分ほど走った物部川の上流が出発点です

峠を越え、谷を渡り、歩き疲れて戻り着いたら日が暮れて

機械力との圧倒的な差を自分の足で感じました

 

 

途中の休憩所に張られていた写真  2016.03.26

 

馬にも種類がありまして、このお馬さんは

競馬場で疾走するサラブレッドではありません

昭和30年代の田んぼで鋤を引いた牛より小さい小馬です

馬子とならんで細道を行く小馬は絵になりますが

背に載せた塩の量はわずかなものです

 

明治期には陸上より海上交通が優勢でしたが

やがて陸路が整備され帆掛け船では対抗できなくなります

のみならず情報通信が発達し

行く先々の客が相場を知っているものだから

べらぼうな掛け値がバレてしまうことも

北前船の劣勢につながったようです

 

 

寺泊の魚市場にて 2022.08.05

 

話は飛びますが、

2013年の夏この寺泊からフェリーで佐渡島の赤泊へ渡ろうか、それとも海岸線に沿って山形へ上がろうかと迷ったのが昨日のことのようです。当時は何の不安もなく内外をひとり旅できました。ところがわずか10年のうちに世界は激変し、国内移動さえ有形無形の負荷が掛けられるようになりました。つくづく不機嫌な時代になったものです。

 

 

< 2023年の現在史 >

その不機嫌に至る大きな節目は武漢コロナが世界に蔓延した2019年でしたが、伏線は2012年China全土における(作られた)反日運動、あるいはプーチン大統領と朴薫恵大統領が天安門に登壇した2015年の軍事パレードにあったように思われます。長く欧州に滞在した友人が「欧州の歴史は戦争の歴史だ。農閑期になると戦争が始まる。忙しくなると紳士協定が結ばれる」とうまいことを言いました。人間ヒマすぎるとろくでもないことを仕出かしますが、国家レベルにおいても本質は似たようなもの、武力と経済の余剰が戦争をつくります。コロナの混乱に乗じて香港は自由を奪われ、プーチンの気まぐれでウクライナは今あのような状態です。

 

日清戦争日露戦争の結果をぼくらはよく知っています。国家もまた個人のごとく歴史の恨みを晴らしたいという暗い欲求があるものならば、2021年10月19日に中露の軍艦が津軽海峡を越え、太平洋を南下し、大隅海峡を抜けた行為が何を意味するか、およその想像が付きます。人口2600万にして世界最貧国の北朝鮮が自力で核兵器をつくりロケットを製造する技術力経済力を待つかどうかも少し考えれば分かることです。

 

戦争はいけない。平和が尊いことはあたり前ですが、どうやって戦争を避け、平和を維持するかについてぼくら戦後世代は思考停止しました。日本は攻めないから攻められることはない。ヤバイことは外交で解決せよという意味不明な催眠術にハマり、とりたてて波乱もなく戦後77年の平和をたのしみましたが、普通に考えてその幸せは終わりです。次なる争いがウクライナのように火を噴く戦争になるか、静かに魂を抜かれる戦争になるかは不明ながら今の日本が、かつてない危機にあることは確かです。にもかかわらず政治のお粗末さを見るにつけ桑原桑原です。

 

2023.01.06記 つづく