ひとり旅 230225 日本所々(22) 承久の乱N 佐渡 隠岐島 ウクライナ

 

 

 

 

 

佐渡歴史伝説館にて  2022.08.03

 

新潟と佐渡をむすぶフェリーは

ほぼ年中無休で航行しますが

800年前の鎌倉時代に一枚帆の木造船で

荒海を渡れる日は限られていたようです。

 

 

新潟県寺泊越ノ浦神社にて  2013.05.05

 

佐渡島へは新潟⇒両津、寺泊⇒赤泊、直江津⇒小木の3航路あります

鎌倉期には寺泊⇒赤泊が使われ順徳天皇もこの寺泊で風を待ちました

 

 

上碑説明文  2013.05.05

 

露も袖もいたくな濡れそ秋の夜のながき思ひは月に見るとも   (順徳天皇)

 

もの思いをさそう秋の月を眺めつつ

佐渡島へ送られるわが身の行く末を案じ

袖を涙で濡らしたよと倒置法で歌われました

 

月見ても秋のあはれはあるものをしづ心なくうつころもかな   (順徳天皇)

 

「秋のあはれはあるものを」とア音で韻をかさね

砧(きぬた)を打つ連続音にせかされて

配所へ向かわねばならぬ不安を詠んだ歌です

 

 

佐渡島真野 順徳天皇行在所の歌碑  2022.08.03

 

百敷や古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり  (順徳天皇)

 

承久の乱連座佐渡島へ流され

軒端のしのぶ(忍)を見るにつけ

何不自由なく暮らした都の記憶がしのばれる

歌の師でもあった定家が「百人一首」の百番に置いた歌です

 

 

佐渡島真野の順徳天皇行在所 2022.08.03

 

島の一角に静かなたたずまいが残されていますが

800年前このように立派な建物の中で

付添いにかしづかれて暮らしたわけはなく

おそらくは父後鳥羽上皇隠岐島で詠んだように

「たみのわら屋に軒を並べ」たに違いありません

 

 

佐渡歴史伝説館にて  2022.08.03

 

思ひきや雲の上をば余所に見て真野の入江に朽ち果てむとは   (順徳天皇)

 

冒頭いきなり「思いきや」と無念を吐露し、かつて

雲上の宮殿で自由気ままに暮らしていたわが身は

佐渡島の小さな入江で朽ち果てるだろうと

郷愁にかられつつ死を予見した辞世の歌です

一説に「絶食により自害した」とも

 

昨夏佐渡島へ渡り、トキが棲む森の道を行き、海岸沿いをひと回りしたあと「真野の入江」の行在所におかれた歌碑を見ました。「配所の月罪なくて見む」と洒落たのは兼好法師ですが、罪を得て配所の月を見た親子3人の天皇は何を考えたのだろう? 世の中には悪いことをして鉄格子の陰から月を見た罪人は無数にいるけれど、禁中で思うさま遊び暮らした雲上人が島流しにされるという、これ以上はない落差を体で味わい、身の不遇を涙で詠んだ歌人は多くないでしょう。言ってみればセントヘレナ島に幽閉された皇帝ナポレオン・ボナパルトが、みずからの不遇を悲しく歌ったようなものです。

 

たかが歌だろ

歌がどうした?

と思われる向きには、ヒトが

この世と別れたあと残されるのは

遺産でも銅像でもなく別れぎわの短い言葉だと申し上げます

 

「人のまさに死なんとするやその言やよし」

歌を詠む特殊技術の持ち主ならば尚よしですが

「最期の一句」は文字操作の韻文的善し悪しとは関係なく

発せられた言葉が後世に遺されます

 

「もっと光を」というゲーテの言葉に

ややこしい解釈を与える人もいますが

ゲーテに敬意をもつ人々にとって「光」は

巨星が遺した資産の集約に他なりません

 

分かれのつぶやきを発した人と

そのつぶやきを正当に解釈する人がいれば

それが生きた証になるのでしょう

2023.02.25記 つづく

 

 

 

 

< 2023年の現在史 >

昨年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から丸1年が過ぎました。220222 ひとり旅(番外編)  全ロシア将校協会のウクライナ侵攻は「ある」で引用したロシアの退役将校イヴァショフ氏の開戦前に発表した未来予測が、ほぼ完璧に当たったことに驚きます。

 

イヴァショフは「NATOが結局、ウクライナ側に立ち、ロシアに宣戦布告。ロシア軍はNATO軍と戦い」結果としてロシアは「国際社会で孤立し、おそらく独立国家の地位を奪われるだろう」と1年前に予測しました。

 

現在NATOはロシアに「宣戦布告」はしていませんが、ウクライナに戦車供与を認めるレベルには至りました。ロシアは国際社会で「孤立」したとは言えませんが、友人は中国、北朝鮮、イラン等であり、西側との交渉の窓口を失ったとは言えます。かつてソ連が15の独立国家共同体に分裂したようにロシアが「独立国家の地位を奪われる」可能性がないとは言えない状況です。

 

2014年の「クリミア侵攻」が完璧に成功し、調子に乗ったプーチンが「特別軍事作戦」を始めたのは、実は西側の軍事資本によってウクライナにおびき寄せられたのではないかとの説があります。溜まった武力は戦争を欲しがるからです。いま中国に武力が溜まり「台湾有事は日本有事」として台米日が緊張しています。(とはいえ台湾の若い子が日本観光をたのしむ姿を見て伝えられる緊張がどの程度のものかは分かりませんが)  ともあれ戦後生まれのぼくら世代は昭和平成令和の入口まで平和を口ずさみながら幸せに生きてきました。その平和もそろそろ賞味期限かなと思わざるを得ないこのごろです。