ひとり旅 230807  四国所々④   選手  応援  甲子園 明徳高校

 

 

 

 

中央高校応援団  2023.07.25

 

高知県四万十市中村市と呼ばれていた1977年、中村高校野球部がわずか12人の部員で甲子園出場し、あれよあれよと言う間に決勝まで行きました。専大⇒ドラフト1位で阪急ブレーブスに入団した山沖之彦投手の活躍あってのことでしたが、名もない公立高校野球部の健闘にぼくら地元民は大興奮したものです。

 

そのむかし高知の公立高校には、地元の中学生は地元の高校へ進学しなさいという通学区の制約がありました。能力の平均化にもとづく公教育のルールですが、なぜか私立高校には学区制限がなく、スポーツエリートは全国から名門校に集まり、非エリートはそれなりの高校に分散しました。学業、スポーツとも人材を広域に求めた学校が有利であることは申すまでもありません。

 

2022年の明徳高校野球部には134人もの部員がいます。中央高校は87人、高知高校は58人、高知商業高校は38人。ほぼ地元中学生が集まる「公立」中村高校は2023年現在18人です。部員数から見て春夏の甲子園は実質的に「私立」3校+「市立」商業の争いであり、今夏たまたま中央高校が甲子園切符を手に入れましたが、経験と部員数で単純比較すれば今後とも明徳が有利です。してみれば郡部小規模校の上位進出は余程の偶然が重ならないかぎり無理でしょう。

 

監督経験のある友人に問い合わせたところ今大会には部員確保のため「室戸・嶺北・海洋・幡多農」と東西山海の合同チームが参加した。野球に限らず「他クラブから(一時的に)選手を借りるのは小規模校ではありあり」もはや「野球部やサッカー部は存続困難」とのことでした。

 

 

中央高校の1番バッターは謝選手   2023.07.25

 

小規模校が疲弊する一方、有力校では国際化が進み、サッカー陸上バスケット等フツーに外国人選手がいます。明徳高校卓球部には昔から中国人選手がいたし相撲の朝青龍はモンゴル人でした。今大会の中央高校には台湾出身の謝選手がいます。

 

勝てば選手も応援団も嬉しい

嬉しいワケは何だろうと考えました

 

1)かつての中村高校のように

地元の中学生が寄り集まって高校チームを結成し

甲子園に向けて勝ちまくったら

選手も地元民も文句なしに嬉しい

地元民には選手の顔が見えるからです

 

2)故郷を離れてエリート校へ進学し

そこで出会った仲間と一緒に闘って

勝ちまくったら文句なしに選手は嬉しい

しかし地元民の気持ちはどうなのか?

選手の顔が遠のいた応援団の心はやや複雑です

 

3)プロ野球では公式戦の最中に

敵チームと選手交換することがあります

新しい仲間と組むことは問題ないとして

昨日の仲間と争って勝った選手は

その瞬間、何を考えるのだろう

ビジネスとして割り切るのでしょうか?

 

4)MLBの非情なトレードを見ていると選手は

人格を抜かれ、観客を悦ばすために猛獣と闘う

コロセウムの剣闘士のごとく映ります

 

5)そこに参入した大谷翔平選手は

野心ギラギラのMLB選手とは

目指すところが違うとみえ

プロレスラーのような肉体に童顔をのせ

ほんわかとした雰囲気を漂わせています

 

ぼくは明徳高校が立地する須崎市に6年間滞在しました。春夏の甲子園大会には当然のごとく同校野球部が出場したものですが、不思議なことに地元高校が出場し2回戦3回戦と勝ち上がっても商店街には応援旗ひとつ立ちません。新聞テレビが戦績をあおっても地元民には遠い存在でしかなく、よしんば優勝しても須崎市を挙げてパレードすることはないだろうと思いました。

 

同校野球部には須崎市のみならず県出身の生徒が少ないことも盛り上がりに欠ける理由でしょう。明徳高校は一般市民と接触機会の少ない横波半島の山間にあります。正式名「明徳義塾高校」は千葉県柏崎市を本部とする”モラロジー道徳教育財団”が、四国の飛び地に造った学校にすぎず、地元民を強く惹き付ける何かが不足しています。須崎の市民感覚で言えば、全国から参集した知らない選手が頑張ったからといって、とりたてて感情移入する術がないわけです。

 

明徳高校に対する「市民県民のよそよそしさは何なのか?」と友人に尋ねたところ、ずばり「地元生え抜きの選手がいないことに尽きる」と簡潔にして要を得た回答がもどってきました。地元出身者ならそれだけで地元民には通じるものがあります。その選手が高い運動能力と人間的魅力を備えた人物であれば、よしんば遠く離れた学校にあっても、メディアが連絡パイプとなり、選手とファンは親密な情報交換ができます。かりに大谷翔平のようなスター選手が横波の「野球道場」に現れたとすれば、チーム自体が人気沸騰し、コトは一気に片づくことでしょう。

 

むかし昔の話になりますが、ぼくは明徳中高を創立した吉田幸雄初代校長にお目にかかったことがあり、そのご縁で同校宿舎に居候したことがあります。決して広くはない山間の敷地に立派な体格の若者ばかりが行き交う不思議な空間でした。夕刻の集会では大会を終えた各部主将から事もなげに「勝ちました。優勝しました」という報告がつづき、勝つって簡単なんだという錯覚に陥ったことを覚えています。

 

同校入口には初代校長の銅像が鎮座しています。昨年たまたま通り掛かったのでご挨拶をと思いましたが、コロナの件で検問にバイキンのごとく追い返されました。そこまで神経質にならんでもと心の中で不平不満をつぶやきながら引き返したことですが、帰り道に出会った生徒たちは一人の例外もなく笑顔で挨拶してくれました。今どきの市内校だと知らない人は不審者扱いされますが、ここでは誰もが瞳をむけて「こんにちは」の声をかけてくれます。昔と変わらぬ風景でした。

2023.08.07記 つづく