ひとり旅 201219  China 9  赤いドラゴンからイザベラ・バード女史へ

 

 

 

 

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馬龍選手の赤いドラゴン *ネットより

ランキングは上げ下げするので

実力1位が本当です

 

土佐の高知は坂本龍馬⇒卓球の世界トップは馬龍選手です。China選手の赤いユニフォームには龍がデザインされ、ハン振東選手、許キン選手らと数々の名試合を作ってきました。しかし龍の図がいちばん似合うのは抜群の体幹を持つ馬龍選手ですねとファンのバイアスをかけて。ほとんど重さを持たないピン球を、体をしならせ、信じられない球速で切り返す肉体の動きは卓球と体操を同時に見せてくれます。スポーツの勝ち負けは公正なルールの結果だから、恨みや妬みといったいやらしい感情は残らず、負けた悔しさが次の努力につながります。

 

顔立ちのよいオトコは探せばいますが、試合後の馬龍選手の横顔に漂う品のよい明るさは愛されて育った者にのみ与えられる特権かもしれません。人の笑顔は相手がつくります。相手が怖い顔をしていたらこっちも人相が悪くなります。とりわけ人格形成期に見てはならぬものを見てしまった人間は、本人の責任ではないにせよ、ふとした拍子に頬や瞳に陰があらわれるものです。この世でいちばん悲しい瞬間の表情です。

 

当然のことながらヒトの顔は仕事に左右されます。陰謀渦巻く政界の住人は表情筋が固定され、欲と不満が顔に邪気を漂わすと言えば失礼ですが、あながち否定できないでしょう。胡錦濤国家主席温家宝首相の二人には育ちの良さがつくる余裕と教養を感じたものですが、世界を相手に暴れ始めた習政権には、ちかごろ人相の悪いスポークスマンが加わり、おっと北朝鮮かよと思ってしまう語彙をだいぶ教えられました。

 

2008年、四川省地震の際日本のレスキュー隊は必死の努力をしました。当時の日本人一般は中国に畏敬と負目のアンビバレントな感情を抱いており、わかりやすくいえばみな中国が大好きでした。自分もまた遠い他国の地震ニュースに触れるたび心の中で応援していたものです。ところが2010年に尖閣諸島で中国漁船による衝突事件があったころから様子が変わり、東日本が津波に襲われた翌2012年、China全土で反日運動が盛り上がり、これは普通じゃないぞと自分もまた考え方を変えました。机上に地図と年表を貼り、手当たり次第といっても限られた時間で読める書の量なんて知れたものですが、それなりの努力をしたことです。

 

結果として見えたものは、日本の国土は地理地形地質的に特異な位置にあり、そこに発生した列島文化は大陸文化とは違うことでした。えらい人の学説をもって権威付けする趣味はありませんが、世界を7つの文明に区分けしたハンチントン教授は、China一帯を儒教圏とくくり、日本は「一国家一文明」として独立枠を設けています。学校の先生は大陸半島列島の三者儒教文化として一緒くたに教えてくれましたが、ちょっと踏み込めば三者の中身はまるで異なります。大陸および半島の儒教は序列の哲学、日本の儒教は人を水平に並べた道徳だと思うに至りました。

 

 

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日本大使館が雑居するビル前で少女像を囲む集会 190821

 

儒教を道徳と捉えた日本の「お坊ちゃん」は、自分が善意で考えるから他人も善意で応えるはずだとする単純でお節介な思考経路を持ちますが、それで他国と交渉して成功するものかどうか、裏目に出る場合も多々あるはずです。China全土を覆った官制反日またKoreaにおける四季を問わずの反日活動を見るたび、日本とはものの考え方が根底から違うのだなと悲しく振り返ることがあります。

 

「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」「はじめは処女のごとく後には脱兎のごとし」「闘いは正を以て合し奇を以て勝つ」等々の孫子の兵法は、敵の弱点を調べ、騙して忍び寄り、バレたら逃げろ、卑怯な手を使ってでも勝て、負けたら破滅だという大陸的な戦法であり生存の原則と言えます。孫子三国志演義を漫画や小説でたのしむ分には面白いのですが、それは日本の美学ではありません。

 

大陸における易性革命とは王朝交代後に過去を全否定することです。墓を暴いて死者を鞭打つ思想は日本文化にはありませんが、儒教文化圏にはあります。中華文明を信奉する朝鮮半島南においてお役御免となった大統領が例外なく悲劇に遭遇するのも易性革命の一種でしょう。現政権によって李明博元大統領と朴薫恵前大統領は収監され、恩赦特赦がなければ出所時にはそれぞれ95歳、88歳になります。それを見た日本人は、理由はさておき退任後の国家元首を牢獄に閉じ込めるなんて理解できないと呟きますが、あれは日本には存在しない易性革命だから理解できなくて当たり前です。応仁の乱だ、天下分け目の戦いだといっても通常の国が内戦と呼ぶほどの混乱は日本にはなかったし、そもそも日本は王朝の交代劇を経験していません。

 

だから日本人は「お坊ちゃん」なのですが、お坊ちゃんの存在はソフトな文化発展には必須の条件です。わが敬愛してやまない鳥山センセの著作も1990年前後が生んだ平和とバブルがなければあらわれなかったはず、時代の波にのり、列島のぼんぼんが到達した文化レベルはとても高いところにあるので大事にせにゃならんと思うばかりです。

 

自国文化に誇りをもつことは、どの国の誰の心にもある自然な感情ですが、そこを強調すると戦後教育で骨抜きにされた今の日本ではレッテルを貼られて弾かれるので、あえて外国人が見た日本を紹介します。渡辺京二著「逝きし世の面影」は幕末前後に日本を訪れた外国人の何の制約もない目で見られた日本見聞記を網羅しています。その目の何と温かいことか!

 

 

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イザベラ・バード女史 wikiより

 

19世紀イギリスの旅行家イザベラ・バード女史は「日本紀行」「朝鮮紀行」「中国奥地紀行」をものにした恐ろしくエネルギッシュな白人女性です。バスも列車も走らない明治期の江戸を出立し、山形秋田を抜け、北海道は沙流川日高町まで到達した彼女の筆は、容赦なく日本人の弱点を突きますが、全編を通読した感想を言えば、当時の日本を牧歌的理想郷のごとく描いています。店先に置かれた見事な小物を全部イギリスへ持ち帰りたい。日本人は取引において誤魔化すことはない等々夢のような国を愛おしく描いています。失礼ながら「朝鮮紀行」「中国奥地紀行」とは正反対の書き振りです。

 

 

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北海道沙流川の秋 151014

 

車で寝泊まりし、一ト月ほどかけて日本海側から新潟秋田青森と通り、沙流川平取町に住むアイヌの知り合いを訪ねたことがあります。バード女史の行路を意識したわけではありませんが、地図に線を引きながら振り返るとたまたま似たような行路を走ったことに気づきました。車ですっ飛ばしても結構な距離を実感したことですが、当時の道を自分の足と馬の足で歩いた白人女性とは何か、、

 

彼女は「朝鮮紀行」で日韓併合前の朝鮮をソウルから現北朝鮮の元山まで歩き、「中国奥地紀行」においては護身用のピストルを所持しつつ内陸の成都まで足を運んでいます。黒い煙を吐く船で地球の裏側からやって来た行動力とシェークスピアの末裔の圧倒的な筆力に恐れ入り、どうやら白人は日本人また東洋人とは違う遺伝子を持つのかなと思ったりします。彼女が描いた日朝中の記述を要約すると、日本に向けた目は温かく、朝鮮中国には厳しいです。

 

といった国家間の比較をする際、忘れてならないのはヒトと国家は必ずしも一致しないということです。南北分離国家に7000万人、China国家連合(とぼくは意識するところの)大陸に13~14億人がひしめく人間を十把一絡げにできるわけもなく、高いところからChinese、Korean、Japaneseを国家枠で俯瞰すると構成単位たる人の暮しが見えなくなります。個々の人格を消し、色分けされた地図上にヒトを配置する癖がつくと、そこに面倒が発生したとき、えいやっちまえという恐ろしいことになるかもしれません。米中貿易戦争が米大統領選挙を経てどう展開するか12月19日現在予断を許しません。それでなくとも地球環境が人口圧でパンクしそうな今、巨大技術を手にした略奪型文明の向こうに豊かな未来があるとは思えないのです。

 

ではどうすればよいのかと問われてカッコいい答はないと思います。が、たとえばサッカーは戦争の代理行為だという言い方があるように、ヒトが根源的にもつ闘争本能を満足させ、それなりに経済を回します。スポーツ・文化・芸術において勝った負けたの争いをするのであれば平和的でいいなあと漠然と思います。

201219記 つづく

 

 

 

   # # #高知の今# # #

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高知市春野の土手 201213

 

秋田の人と話していたら「高知はあったかくっていいところ」だそうですが、残念ながら四国にちゃんとした秋はありません。山を剥いで植林しまくったことが原因ですが、東北のように寒暖差がないことも秋色が浅い理由かなと思ったりします。

 

 

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春野 201213

ところが高知にも田んぼを流れる川沿いに

ぽつりぽつりと秋はあるのでした。

 

 

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春野 201213

 

春がよいのか秋がよいのか、どっちなんだぁぁぁぁぁと(ニコ動のノリで)悩んだ額田王は、草木の茂る春の山には入れないのがくやしくて「秋山そ我は」と秋に軍配を上げました。

 

かたや武人にして歌人でもある後鳥羽上皇は、夕暮れの趣は秋が一番と思っていたけれど春だってええぞ「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ」とすっきり爽やかに謳いました。

 

春秋の優劣は、ざっくり1300年ほど日本の歌人を悩ませてきた難問ですが、まあどっちでもええようなことです。それを田夫野人のごとく斬って棄てることはせず、言葉をひねくりまわして歌を詠み、 握ったかどうかは知りませんが、 歌合と称して教養ゆたかな文化ゲームを愉しんだわけです。ことほど左様にヤマトのクニは平和裡に歴史を重ねてきたのでした。

 

ひとり旅 201213 China 8 故宮ドラゴンから鳥山ドラゴンへ

 

 

 

 

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故宮博物院 赤いドラゴン 171015

 

問題です「龍の爪は何本あるでしょう? 」答「3本、4本、5本」の3通りです。世界の中心(とChineseが勝手に思っているところの)中華ドラゴンは5本。Chinaの家来であるところの半島ドラゴンは4本。そこから海を隔てた文化果つる地(とChineseもKoreanも見下すところの)列島ドラゴンは3本となります。

 

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故宮博物院 緑のドラゴン 171015

 

どうやら葛飾北斎はその秘密を知らなかったと見え北斎ドラゴンはどれも3本爪です。半島人は数の謎を知っていたようですが、滅多なことをして親方の心象を害すると何をされるか分からないので半島ドラゴンは4本爪なのです。が中華文明に向けた半島の憧れはやまず、じつは掌に親指を隠しているというユニークな説もあります。Chinaが父ならおれは兄おまえは弟といういかにも儒教的(朱子学的)な序列思想です。なんだかな~と思いながらも面白いから龍を見るたびに爪の数をかぞえる癖が付きました。

 

 

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葛飾北斎88歳没時3カ月前の作

富士越龍ふじこしのりゅう *ネットより

 

LIFE誌が1999年に特集した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の絵画部にChinaの范寛、Spainのピカソ、Japanの葛飾北斎3人が登場します。有名な「赤富士」は白い横雲の前で尖った富士が裾野を曳きますが、絶筆といってよい「富士越龍」は雪を載せた急斜面の背後に立ち上る黒い煙のなかで3本爪の龍が昇天します。

 

 

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4本爪のドラゴンは

絵としても絶品 *ネットより

 

天井画を含め数々の龍を描いた葛飾北斎

この鳥山ドラゴンを見たら何を思うのだろう?

瞳を持たない龍の不気味さと

怖いけどどっか愛嬌がある漫画龍の本質を

瞬時に読み取った北斎は硬直するのではないか

 

龍の腹が頭部の重さを支え

振り向いたピッコロの右足は

重力に抗う親指の動きまで予感させて

骨と筋肉が支える両者の視線が

対角線上でぴたりと一致します

 

左部背景の塗りつぶされた黒は

富士の斜面がつくる背後の闇のようでもあり

吹き出しの文句を強調する仕掛けともいえます

日本画に極端な遠近法を持ち込んだ北斎

先刻お見通しのはず

 

高いところから龍がピッコロに投げる

うるさい ばか

では さらばだ

ということばも状況から見て

これ以上ピュアな日本語は考えられません

 

何たって北斎は「北斎漫画」の創始者なので

この恐ろしく複雑な構図を仕事場の汗も見せず

すっきり爽やかにやってのけた「鳥山漫画」を見て

漫画はこうでなくっちゃと

膝を叩いたかもしれません

 

じつはこの段、パブロ・ピカソが冥界からテレポートして「ドラゴンボール」を読んだら何を思うかという空想から書き始めたのですが、私メの結論を申しあげると、勿体なくもこの静止画を日本の読者は1秒の何分の一かで、すっ飛ばして次々と頁をめくり、頭の中でビデオを作っちまうことにピカソ先生は(たぶん北斎も)驚愕するのではないか。そして次の瞬間ピカソの禿げ頭にアイデアが閃き、こんどは鳥山センセものけぞるような新次元の絵画が登場して人類を悦ばしめるのではないかとまあ平和的なことを考えてのことでした。

 

かつてピカソの国からやって来た旅人が、ぼくの書斎でドラゴンボールを見付け、手に取ってにんまりしたので「知ってんの?」って訊いたら、たぶんスペイン語で「もち!」と親指を立て嬉しそうな顔を見せました。そんなこんなでドラゴンについては色々な思い出があります。

201213記 つづく

 

 

 

# # #高知の今# # #

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文旦が色づきました201122

摘果し寝かせて熟成させ

正月明けから出回ります

今のところ文旦は高知が最適地ですが

温暖化で適作地の緯度が上がりつつあり

蜜柑農家は戦々恐々です

 

 

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デコポン201122

不知火⇒デコポンは熊本原産

糖度13以上、酸度1.0%以下が基準とか

味覚は人の趣味ながら

旬のデコポン

文句なしにうまいです

 

 

 

# # #アメリカの今# # #

12月08日に選挙結果の確定

12月14日に選挙人による投票

01月20日に就任式という運びでしたが、異変が起こっているようです。日本語でとれる米選情報は、記事の公平性という目で見て、いかがなものかと思うほどバイデン押しトランプ下げでしたが、世界最強国の国家元首ともあろう者が人格破綻した愚か者であろうはずがありません。

 

テキサス州がスイング4州を訴えたかと思えば、12月12日時点で、連邦最高裁は訴えを棄却したというニュースが流れ、これで争いは終わり、新大統領は確定したというニュースが山ほど出されました。が、「棄却理由は、州は他州を訴える立場にはないという原告適格否認によるもので、提訴された4州の違法性が阻却されたわけではありません ~ リンウッド弁護士の提訴していたGA州訴訟の方は最高裁が受理したそうです。という事は同じ州内であれば提訴可能という事になりますので ~」という書き込みもあり、

 

複雑多様な現実の一部を二次情報として、しかも日本語で受け取る他ない自分には、何がなんだか分からんぞというのが正直なところです。流れ来る情報の中には「大紀元」という日本では目にしないニュースサイトがあったり「CNNの朝会議」が暴露されたり「FacebookのCEO 」が裁判所に坐らされたり「クーデター」だ「戒厳令」だという恐ろしい言葉も散見され虚々実々の怪情報が飛び交っています。

 

5Gが6 Gになると虚と実の境が分からなくなると言われます。きれいな歌声が聞こえるから誰だろうと思っていたらボーカロイドだったり、いやあ別嬪さんのアナウンサーだと見とれていたら微妙な動きを与えられたAI画像だったりするので、すでに人類はSF映画未来社会にいるのかもしれません。ただ、アメリカの新国家元首が誰になろうと万人を説得しうる正当性を持つ大統領であらねばなりません。嘘と恨みで争うより日常を愉しみたいものだとまあ誰だって思いますよね。 *一部訂正しました 201213

 

ひとり旅 201208 China 7  台湾の故宮

 

 

 

 

「中国人が商人なら日本人は職人だ」と喝破したのは台湾生まれの「株の神様」邱永漢です。日本人が職人であることは疑いありませんが、しかしChineseが商人にとどまるかどうかは疑問です。

 

 

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台湾の故宮博物院入口 171015

 

大陸で蒋介石の国民党と毛沢東共産党が争ったとき蒋介石は、北京の故宮に置かれていた69万点に及ぶ宝物をひとつ残らず台湾へ運びました。だから2017年に習近平主席が貸し切りでトランプ大統領を歓待した北京故宮は広いばかりで中身は空っぽなわけです。

 

 

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清時代にヒスイでつくられた翠玉白菜171015

 

 

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故宮の目玉は翠玉白菜と肉形石です 171015

 

 

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台東市のみやげ物屋に置かれていた

肉形石のイミテーション 171021

台湾故宮の本物は出張中でした

 

白菜にしては痩せていますが、硬い翡翠を白と緑⇒茎と葉に色分けし白菜に仕立てた職人は大した想像力の持ち主です。葉にイナゴだかキリギリスだかの足が見えるのは縁起物とか。そもそも宝石を削って野菜や豚肉を作ること自体ユニークな着想で、どこかコミカルな面白さも人気の秘密かもしれません。

 

その宝物を移転した台湾故宮に2日通い、展示品の数々を見ては休み、休んでは見ながら、Chinaの職人が本気を出したら凄い精密度でやってのける。ろくな道具もない昔水晶に匹敵するほど硬い翡翠をどうやって加工したのか、その情熱はどこから湧いて来たのかと呆れつつ、どうやらChineseは商人のみならず職人でもあるぞと思いました。

 

白菜といえば韓国のオリジナル食品キムチが連想されます。もしもこれが韓国で作られていたとすれば国の宝となることは間違いありませんが、残念ながらKoreanは翡翠でキムチを作ろうという着想を得なかったし、仮にへそ曲がりの職人が一心不乱に翡翠を磨き、ひと工夫凝らして唐辛子の赤も鮮やかな宝石キムチを創出したとして、その努力が当時の人々によって真っ当に評価されただろうか、どうなんだろという疑念が脳裏をよぎります。

 

実はさきほど高知県梼原町は「鷹取キムチ」のメンバーが、苦心惨憺して作り出したヤンニョンを届けてくれました。ぼくは長いこと日韓交流の裏方をしてきたのでキムチに関しては色々な思い出があります。ネットで伝えられる韓国は、じめじめした政治話や華やかなステージにまつわる根のない話題ばかりですが、当然のごとく韓国にも中国にも虚構ではないところの庶民のあたりまえの暮しはあるわけで、実はその一点に興味があってあれやこれやと手を出してきました、という記憶から白菜⇒キムチと飛躍しましたが、戻ります。(かの国の写真は山ほどあるので自分のためにもいつか整理せねばと思っています)

 

 

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象牙透彫雲龍文套球 171015

 

これは一体何なのか、なんで球の中に球があるのか、どうやって入れたのか、どうやって彫ったのかと散々考えましたが分からぬままでした。今にしてネットを開いたところ、たまたま翠玉白菜と並んで紹介されており「職人親子3代が100年に渡って彫りあげた多層球」であり「もはや神業としかいえない超絶技巧の象牙細工」とあります。長いこと生きて色々な細工を見てきましたが、これには全くもって恐れ入りました。

 

「親子3代が100年に渡って」とあるからには、100年に渡って政治が安定し、安定した社会が富の余剰を生み、その余剰部が職人文化を支えたはずです。China4,000年?の歴史はやや法螺っぽいとして、紀元前221年に秦が統一国家を形成して以来今年で2,241年になります。歴史の節目たる王朝交代劇を強調すると大陸の人々は争いばかりしていたように見えますが、逆にいえば安定と安定の間に短い戦争が挟まれたと捉えることもできます。

 

戦争があってもいずれ終わる。終われば新たな皇帝があらわれる。その皇帝ないし周辺の権力は宝物を欲しがる。宝物の所有は美的な悦びにとどまらず他者に優越する威信財として必須の存在だ。需要はつづく。何より大事なことは抜群の品質であること「2番じゃいけないんですか?」などと間抜けなことを言ってた日には生き残れない。権力の求めに応じて職人は良いものを創らねばならず、需要と供給⇒お上と職人の緊張関係がかくも精緻な造形を創り出したのではなかったか、、

 

日本の官窯「鍋島」の精密度は素晴らしいものですが、製作にあたって職人は、背中にお上の視線を過剰に意識し、製作者自身が愉しむことを忘れているような気がしてなりません。鍋島に込められた労力は凄く、その完成度は100点ですが、だからといって芸術度が高いわけではありません。作品が人間に与える悦びには遊びの要素も必要で、職人の真剣な眼光の後ろにどこか緊張のほぐれた余裕がなければヒトは辛くなります。

 

では遊びの要素が過剰になったらどうなのか。滅びゆく朝鮮半島の文物を惜しむ柳宗悦は、暮しの用具を買いあさり、これを「民藝」と名付けました。韓国の友人に「君は柳宗悦を知っているか?」と尋ねたら「当然だ。韓国では高く評価されている」と応えましたが、それは芸術論というより政治に傾いた返答であったようです。

 

柳宗悦という権威を畏れず、あくまで芸術の観点からジコチューにもの申せば、柳宗悦が切ない思いで買い集めた朝鮮半島の文物は暮しの用具にすぎなかったのではないか、芸術と言い切るには完成度が低く、どちらかと言えば日常の用具、道具に傾いたものであったからこそ柳宗悦は「民藝」という言葉を発明したのではなかったかと思うわけです。歩き回った韓国でぼくが見つけた、かの地独特の発明は、土木建築にまつわる「酔拳」的な遊びでした。

 

遊びを徹底追及したところに生まれるKoreanのあっけらかんとした明るさはJapaneseにはないもので、皇帝の目にとまることを夢見つつひたすら神経を尖らしたChineseにもないものだろうと思われます。ひょっとするとその辺りに大陸と半島と列島の美学をさび分ける何かがあるのかもしれないと、、なんせ半島南部とは長い付き合いなもんでつい、いらんことを考えてしまうのです。

 

 

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清時代の壺 171015

 

いやになるほど土を捏ね、釉薬を塗り、長い時間をかけて絵付けし、懸命に火の番をして窯から取り出したら一点の曇りがあった。それは一級品ではないから献上品にはならない。もったいない話ですが、立派な作品の背後には無残な瓦礫の山が残ります。

 

 

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ここまでやるかというくらい精緻な文様の壺? 171015

 

 

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12~13世紀 南宋青磁 171015

 

 

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唐時代の水差し 171015

 

 

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豚の置物 年代不明171015

 

Chineseは豚が好き

宝石で豚の角煮をつくるほどの豚好きで

豚と一緒に暮らしてきたから

おのずと形はリアリズムになる

この豚くんがオレの小遣いで買えるものなら

欲しいなあとバカみたいなことを考えました。

201208記 つづく

 

ちょっと道草 201202  高知競馬(2) 山本寛斎

 

 

 

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高知競馬 201122

 

高知競馬には女性ジョッキーが2人います。へぇと思って出走前のおカオを拝見すると確かに女性でしたが、残念ながらレース結果はどん尻でした。人気の藤田菜々子が走ってくれたらリアル現場、ネット投票とも盛り上がるだろうにと、馬券の買い方も知らない者が、いらんことを考えながら人影のまばらな観客席を見上げ、振り返ると砂を蹴るサラブレッドが僅差の勝負でゴールに向かうところでした。

 

むかし釜山の裏町を歩いていたらゲンゴロウ賭博をやっている夜店がありました。金魚すくいほどの水槽に競馬のゲートみたいな枠があり、客から「投票券」が集まったころ一斉に扉が開かれ水路の先に向かってスタートが切られます。言ってみればゴキブリを泳がしたようなものだから真っ直ぐ行くどうかはゲンゴロウの気分次第です。世の中には足の速いゲンゴロウと鈍くさいゲンゴロウがいるはずで、そのさびわけができる炯眼の士は常勝まちがいなしですけどまあ常人には分かりません。ぼくもポケットを探って小銭を賭けましたがよく分からないままゲームは終わりました。

 

馬とゲンゴロウに通底する原則は生きものの動きをゲームに仕立てたところにあります。カネの遣り取りをするだけなら無機的な装置でもよいわけですが、そこに生命系の息づかいがあればヒトの心はわくわくします。結果は偶然だから恨みっこなしよというのが生きもの賭博の面白さかなと考えました。

 

 

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北海道日高151014

 

むかし高知競馬にハルウララという長閑な名前の勝てない馬がいました。あまりの弱さが馬好きの哀れを誘ったか、百戦連敗記録で有名になり、写真集まで出版された迷馬です。駄馬が客を呼ぶというのも不思議な現象で、ついにはハルウララの尻尾の毛を包んだお守りまで売られたから、ぼくも買って車に置きました。走っても勝てない⇒買っても当たらない⇒当たらないから交通安全という狐につままれたような三段論法です。おかげで交通事故は一度も起こしていませんが、赤い棒のおまわりさんには何度も呼び止められ免許証は青いままです。300円のお守りで過大な御利益を期待した自分が馬かなのでしょう(~~、

 

 

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鼻差で勝負 201122

 

先のブログで、よさこい⇒夜は早よ来い⇒飲み屋へ来いと書きましたが、高知競馬は「夜さ恋ナイター」をやっており、恋人とおぼしき二人連れがいれば、子連れの家族もいます。競馬は真昼にやるものという社会通念を崩し、馬が夜走ってもいいじゃないかという逆転の発想をした人は大したアイデアマンです。が、田舎競馬の悲しさでキラリと光る花がなく集客力に弱いという恨みが残ります。

 

むかし大ちゃんこと橋本大二郎高知県知事をしていたころ山本寛斎と対談した中で「高知競馬場で武者行列をやってはどうか」という提案がありました。なるほど世界を駆けた服飾デザイナーともなると大胆な発案をするものだと畏れました。福島県には相馬野馬追い祭りがあります。野馬ならぬアラブやサラブレッドに跨がった騎馬武者が弓を引き、流鏑馬など見せてくれんろうか、フィナーレに菜々子のような美人騎手が疾駆し観覧席にむけて手を振ってくれたら盛り上がるやろなとあれこれ空想します。とはいえ裏方の苦労を考えた日にはおいそれとはいかないでしょうね。祭りやイベントを客として楽しむ分には「面白かったね」で済みますが、実行部隊はへとへとです。

 

 

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山本寛斎の作品 ネットより

 

目立たない色合いを好むパリの服飾界に

浮世絵のクニのデザイナーが

強烈な原色を持ち込みました

大きく開いた両足からはどことなく

縄文時代の出土品が連想されます

 

ネットで山本寛斎を検索したところ「幼少期に両親が離婚、3人兄弟で父方に引き取られ高知県に移る。しかし父親の育児放棄により児童相談所に収容され~高知や大阪などで10数回の転校を繰り返す」等々の記述がありました。なるほどその縁あって高知県知事と対談したのかと今にして気がつきました。

 

建築をやりたくて工業高校に通ったが「挫折」し、紆余曲折しながら服飾デザイナーとして世界を股にかけた山本寛斎の人生は、工業高校卒⇒ボクサー上がり⇒プリツカー賞というユニークな経歴を持つ建築家安藤忠雄と重なります。高知で安藤忠雄の講演を聴きました。日本の大工は2番を大きく引き離してダントツの腕前なんだけどその割りに給料が安いといった話題が、テンポよく切り替わり、大阪弁でつながれ、会場は笑いと納得の渦でした。

 

山本寛斎、建築、高知と類推してひょっと氏の進学先は高知工業高校ではなかったかと思いました。1944年、戦時中に生まれた山本少年が入学したころの工業高校は貧しくとも優秀な人材が集まった時代です。近くに土佐高校という高知で一番の進学校がありますが、当時を知る人から「昔はウチに来たいと言われてもお前はちょっとな、あっちへ行けやと追い返した時代もあるんだぜ」と懐かしげに回顧するOBの声を聞いたことがあります。若い才能が偏差値で分断される前のおおらかな時代でした。

 

しかしWikiをよく見ると山本少年の進学先は岐阜県の工業高校だったようで、ちょっとガッカリですが、まあ当時はどこも似たようなものでしょう。身体頑健、頭脳優秀な人物はどんな育ち方をしてもチャンスを見つけて才能を発揮するものです。山本少年の苦難は「自由奔放で女性関係にだらしない」父親に原因があったとされますが、その苦しみこそ才能ある者を乗せた飛躍の踏み台であったと捉えれば納得できます。むしろ若い才能をまぜこぜにした戦後の混乱期には、社会の隅々まで秩序が行き渡った今の若者にはない自由があったにちがいありません。

 

山本寛斎氏は本年7月27日に逝去されました。

享年76歳でした。合掌

201202つづく

 

 

 

# # #アメリカの今# # #

米大統領選が単にUSAの出来事なら日本人には関係のない話ですが、中立を謳うアメリカおよび日本の新聞テレビがあれほど偏った報道をすることには深い背景があるのだろうと憶測する他ありません。ネットを丹念に(といっても海の底を素潜りで探るようなものですが)見ていると、投票集計機ドミニオンの関係者が逃げた。激戦区のジョージア州知事と州務長官が「国家反逆罪」で提訴された等おそるべき記事が置かれています。ことの真偽はさておき選挙が遠隔操作されたら民主主義は終わりです。

 

移民の国アメリカの原則は「公平」「公正」「上昇のチャンス」にあり、用意ドンでスタートした小さな会社がGAFAに化けても、それはルールに則って競争を勝ち抜いた結果だから起業家は称賛されます。しかし進行中の政治問題はその「公正」が疑われたところにあります。もしも今次選挙が操作されていたとすれば、誰が大統領になるのか、勝つのは民主党なのか共和党なのかといった国内論を超え、影響は人類史をゆるがすものになるでしょう。軍事と経済の中心にあるアメリカが、自由を守るのか、独裁に向けて崩れ落ちるのかという綱渡りをしているように見えます。

 

報道の「公平」とは、発言時間、記述の文言を両者に等しく分配するところにありますが、今やその公平性が失われ数日前から、それは「陰謀論」だよと冷笑する記述が増えてきたように思います。何が真実か分からないので思考の幅を広げたらハナから陰謀論者にされ冷やかに笑いとばされてはたまったものではありません。

 

虚実織りまぜた二次情報の海を泳ぎながら、何がなんだか分からんぞワッハッハと大人のごとく振る舞うヒトもおりますが、やがて潮が満ちれば政治の現実に引き戻されます。そのとき昨日までの幸せが幻だったということにならないことを祈らざるをえません。12月8日、12月14日、1月20日の節目を経て米選の結果は確定します。

 

ちょっと道草 201127 高知競馬(1) 射幸心を煽る

 

 

 

 

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高知競馬場入り口 201122

 

地方競馬場が四国にひとつ、九州は佐賀にひとつあります。島根県にもありましたが2002年に休止⇒今は場外「勝馬投票券」発売所となりました。カッコ付けても競馬は博打なんだから「馬券」売場でいいんじゃないのって思いますけど当節の競馬愛好家は「投票」するんですと^^! 福ちゃん新聞に赤ペンを入れたおっさんが投票所にならんでいました。

 

バイクで通りかかったついでに入場門をくぐると観客席に客の姿はまばらでした。島根競馬場が休止したころ高知競馬も経営危機にあったことだし今はコロナ禍で経営は以前にも増して大変なのだろうと思いきや意外なことに今年4月の段階で「年間売り上げが500億円を超え右肩上がりの高知競馬*」とあります。コロナの巣籠もりでネット需要が増えたそうです。

*高知新聞2020.04.04

 

 

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高知競馬場 出走前の顔見せ201122

 

高知市のまんなかに競輪場があり、仕事場へ行く途中に場外舟券売場があり、拙宅は競馬場の近くにあり、パチンコ店は数えきれず、土佐の高知は賭博のパラダイスです。が、どう考えても自分にギャンブルの才はなく、競馬場には夏の夕涼みか遠路おいでくださったお客さんをミニ観光にご案内するくらいのことです。

 

その昔パチンコに熱中していたころ先輩がパチンコ店を立ち上げ成功路線に乗せました。店の裏手に事務所があり戸を開けると山と積んだ千円札の束をせっせと数えていたので手伝ったことがあります。他人のカネを数えても嬉しいものではないし札束を動かすと風が鼻にさわって独特の臭いがするものです。銀行員の気持ちがちょっとだけわかりました。「ところで今ぼくは勝っちょうがよ。今月は5万円くらい稼いだぜ」てな話をすると背中を丸めて札束を数えていた先輩は手を止め、医者のように冷静な目でぼくを見上げて「ほんとに?」と低く呟きました。そのシチュエーションであの顔をされたら余程のばかでないかぎり言外の情報が読み取れます。その日を境にパチンコには興味を失いましたが、不思議なことにやめてしまうと憑物が落ちたように心が静かになり仕事が済んでも日が落ちてもそわそわすることはありません。障りのある譬えですが、その対象が何であれ宗教的熱狂から醒めた人はあの時の気分に似ているのではないかと思ったりします。

 

100万円が降って湧いた⇒学生のころ競馬好きの同級生がつまらなさそうな顔で寄って来て問わず語りに「おれさ昨日万馬券を当てたんだけど結局儲からねえんだよな」と話しかけてきました。バイトに明け暮れ小さなおカネをいただいていた自分は知らない世界がいきなり開けたように気がしたものです。「100円が100万円になるんだろ? すっげ!」と言ったら、その瞬間に至るまでの投資があるし、勝ったらまた勝ちそうな気がして次のレースに注ぎ込んだのでそんなに残っていないというようなことでした。だったら喋んなよと思うわけですが、自慢はしたい、人には聞いてもらいたかったようです。

 

宝籤1000万円が当たった⇒確率で考えてみろ、当たるわけねえだろ、あんな紙切れを買う奴は馬鹿だとぼくは今でも思う者ですが、確率論も仕事のうちの数学の教師と久しぶりに出会って、しょうもない話をしていると奴は突然両手で口を塞ぎ「丸1年誰にも言わなかったんだけど今日はどうしても言いたい。実は、、」と瞳の奥に押さえ切れない喜びをひそめ「宝籤が、、」というから「よし分かった。話は聞いてやるから高めの飲み屋へ行こう」と誘い、支払いはむこう持ちで、きらきらしいお店に入りました。いつものように高知市薊野の店で買った。長い数字をずっと追っていると仕舞いまで同じ数字が続くのでどきどきした。にわかに信じられなくて何度も確認した。当選番号と同じだった。「で不労所得の1000万円を手にしてまず何をした?」美味いものを食って飲み屋をはしごして車を替えた。「それで?」ハワイに行ってゴルフをした。「それで?」また当たりそうな気がしたので宝籤を買ったが当たらなかった。「あたりまえだろバカやろ、でそのあと?」あんまり残っていない、というようなことでした。

 

以上の事例は嘘偽りのない聞き書きです。この拙文を読んでくださった皆さまはある日突然税務署も知らないお金が100万円、1,000万円という単位で降ってきたらどうなさるのでしょうか?

 

 

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馬のふるさと北海道日高振興局 新冠町 151014

 

賭け麻雀、握りゴルフ、野球賭博は法の下に禁止されていますが、競輪、競馬、競艇、宝籤、サッカー籤、桁外れのカネが動くパチンコが合法というのもよくわからない話です。もとより人間は矛盾に満ちた存在であり、それを守る警察検察が法解釈の幅を広くとりたがるのは分からないでもありませんが、そこに恣意的解釈が入り込んだら大変なことになります。

 

賭博の罪の存在理由は「射幸心が煽られてしまうと怠惰で浪費な風潮が蔓延し、健康で文化的な勤労の美風を害するばかりでなく、暴行、脅迫、殺傷、窃盗、強盗等を誘発したり、国民経済の機能に重大な障害をあたえたりする恐れすらある」からだそうですが、

 

この法文を文学系の文字感覚で読むと、人の息づかいが全く伝わって来ず、しらじらしい印象を受けます。索漠として抽象的な文言は官権のさじ加減でどうにでも解釈できるわけだし、法を挟んで検事と判事がやりあう法解釈において初めて人間くささが露になるのかな、法の面白さは判例を人間的(文学的)な視座をもって読むことから始まるのかなと思ったりします。比喩の達人三島由紀夫が大蔵省の上司に「お前は文章が下手だ」と言われて腐ったそうですが、なんか分かるような気がしますね。

 

 

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日高の牧場151014

 

で、射幸心を煽られ競馬にのめり込んだおっさんは哀れな末路をたどるほかないのかといえば競馬場には「公営競技ギャンブル依存症カウンセリングセンター」なる施設があり、ウチで面倒みるから安心してご投票くださいという親切ぶりです(~~、

 

 

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新冠町151014

 

オンロードバイクは道の先を見るマシンですが

オフロードなら背骨を立てて風景を愉しめます

どちらもバイクではありますが

目の高さが変わると風景は一変します

 

馬と連れ立ってパリを出ピレネー山脈を越え

スペインはサンチャゴの道を歩いた友人から

紅葉の石鎚山へ登るとの電話がありました

仕事がつかえて今次の合宿はパスしましたが

折りをみてじっくり馬の話を聴いてみます

馬の背の高さから見た風景ってどんなでしょう?

201127 つづく

 

 

 

# # #アメリカの今# # #

一日中テレビの前に張りついている93歳の母が「トランプ大統領はどもならん。奥さんが辞めれというのに、どひたち言うことを聞かん」と憤っていました。もう長いことテレビを見たことがないぼくは、あれはメディアのフェイクであり、夫人の言葉はこれだという事実列挙の別ニュースをネットで見ました。

 

11月3日以来ずっと大統領選の行方を追っていますが、まだ決着は付いていません。バイデン候補は組閣を始めておりメディアもそれを当然のごとく報道しています。一方メディアの陰で女性弁護士シドニーパウエルが不正投票、ドミニオン投票システムといったキーワードで動き始めました。

 

情報があふれ何が正しくて何が嘘であるのか訳のわからない時代ですが、この選挙結果が日本に強い影響を与えることは間違いなく、成り行きによっては歴史の転換点になるだろうという恐ろしい思いで注視しています。

 

 

ひとり旅 201121 China 6  1984年の監視社会から2020年のスマホ社会へ

 

 

 

 

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北京駅にて 1984

 

北京のドミトリーで中国残留孤児と実の親との面会風景を撮りに来た写真家と出会い、駅前でぼろカメラを渡したときの一枚です。このボケようだと誰だかわからないのでホッとしますね。しかしここが北京駅であることは分かるので記念写真の役目は果たしています。おカオに自信のないヒトには程よいテクノロジーです^^!

 

今どきのChinaには億の単位で監視カメラが設置されています。「せ~の」で逃げる鬼と追う公安に分かれ、鬼ごっこみたいな実験をしたところ、大都市の人波に紛れた鬼さんはあっという間に位置特定されたというから恐ろしい社会になったものです。ソニーのレンズやNECの顔認証技術も使われているらしく、もはや都市の持つ匿名性は失せました。

 

 

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田舎の路地 1984

 

エンジン音が響かない細道には

たまに鶏や豚の鳴き声が聞こえます

車が入れない京都先斗町の路地の静謐を連想しました

 

奇しくもぼくが初めてChinaを歩いた1984年は、ジョージ・オーウェルBig brother is watching youというフレーズで監視社会を描いた「1984年」でした。1950年没の作家が予言した「独裁」「思想警察」、拷問と洗脳のための「101号室」、自分の考えと矛盾する思考の押しつけを受け入れて心の平衡をとる「二重思考」、思考の幅を狭くし人間をロボット化するために言葉を単純化した「ニュースピーク」等の支配の構図は20世紀の情況から導かれた管理思想といえるでしょう。恐ろしいのは21世紀に入って情報技術が急激に進展し、ジョージ・オーウェルにも架空できなかった管理社会が現実化したことです。「1984年」から36年後の今Chinaを筆頭別格として、どの国にも管理監視システムが造られました。

 

関空の入管は、飛行機を降りてだらだらと歩いているうちに顔認証を済ませるらしくディスプレイにパスポートを置くだけで通過させてくれます。台北バンコクの入管には愛想というものが全くない係官がいて、両手の人指し指で電子的に指紋を取られ、小さなカメラを指さしあっちを向けと言われてお終いです。

 

ぼくのiPhone6sは指紋認証ですが、ちかごろのiPhoneは開けた途端に人相チェックされるようです。便利といえば便利ですが、指紋や顔は警察も欲しがる個人情報だから、それがインターネットでApple本社へ届き、その気になればティム・クックは6sからオレの指紋を、(お店で触っているうちにだんだん欲しくなってきた)iPhone mini^^ から顔情報を抜き取れるのだろうか、そんなことが可能だとすれば、もしもヤツがオレの銀行預金に興味を持ったりすると危ねえぞと心配になって某氏に問い合わせたところ、

 

iPhone指紋認証、顔認証等のいわゆる生体認証は完全にiPhone内部で完結しております。時々勘違いされる人がいますけど、iPhoneは顔や指紋をそのまま画像データで保管してるのではなく、Appleが決めたいくつかのポイント(特徴点と言います)の位置を数値化してるだけですので、それが万一漏洩しても元の生体情報を復元することはできません。しかもその特徴点のデータはiPhone内のSecure Enclaveという特殊なチップに保持されており、外部に送信されないどころか、実はバックアップすらされておりません。この辺、AppleGoogleなんかに比べてかなり真面目にセキュリティ考えてるなと思ってます」という返信が届きました。

 

とはいえ「なんせAppleですから、自分とこで作ったデバイスに、その辺のヲタクごときには見破れない巧妙なバックドアを仕込んでても不思議ではありません。iPhoneの脱獄ツールを開発してるハッカーたちが、その腕を見込まれてよくAppleにスカウトされたりするのですが、これもある種の口封じととれなくもないですしね(笑)」とのこと。そういえば (野球の球筋ではないところの) バックドアという聞き慣れないプログラム用語を流布せしめたのはハーウェイを攻めたトランプ大統領でした。

 

さらに「私のiPhoneは脱獄してありますので、勝手に外部に情報を送信しようとすると通知が来るのですが、少なくとも写真、文書、生体認証等のパーソナルデータに関する限り(iCloudにあげてる場合は除いて)Appleがあやしい動きをしてる気配はない…ように思います。むしろ、FacebookInstagramなどのSNSアプリは、写真へのアクセスを許可した途端、ガバガバ抜き取ってるようなのでサードパーティの方を警戒するのが先決だなと思ったり」

 

「それでも現状ではファーウェイやサムスンAndroid軍団より、まだ多少は信用できると思ってます。どのみちスマホを捨てて、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らすサリンジャーみたいな生き方は無理なので、ある程度のリスクは背負っていくしかないのかなとも思います」という現実的な結びも置かれていました。

 

 

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上海 1984

 

善男善女が朝な朝な表通りに繰り出し

太極拳で体をほぐします。それは期せずして

仲間意識がつくられる場でもあるのでしょう

他者との交渉の場を失った日本の街暮し

高知の団地住まいの孤独者には

なつかしくも羨ましい風景です

 

ぼくはiPhone3Gs 4s 5s 6sと4代持ちですが、5年前から機種変更が止まっています。スポーツの世界大会で選手の背中にChina資本の4G 広告が入り、情報端末が本格的にパソコン機能をもったころ時代は新たなステージに入りました。日本のみならず、たぶん世界の老若男女がバスの待合、電車の中、ときとして授業中の机の下で掌をすりすりしています。5Gの次は6Gだという声まで聞こえてきた今、端末とサーバーが結ぶ網の目は、仕事や遊びを超え、ヒトを支配する神の領域に入ったようにも見えます。もはやスマホは幸せを呼ぶ道具であるより、その暗部において技術の暴走であり、人間が監視社会の不幸に落ち込む折り返し点ではないかとさえ思われます。

 

2020年現在の技術でヒトは十二分に管理され、監視され、特定の価値に向けて誘導されています。それが露に見えたのが今次アメリカ大統領選におけるメディアの異様な振る舞いでした。今の世にはハーメルンの笛吹き男と愚かなネズミ集団の二者が居り、笛吹き男は神になろうとしてコンピュータ室に座り、ネズミ集団たる大衆はひとりひとりが自由意思を持つかのように錯覚してスマホ歩きしています。ひょっとするとぼくらは気付かぬうちに崖ッぷちへ連れて来られた悲しいネズミなのかもしれません。

201121記 つづく

 

 

 

 

# # # 高知の今 # # #

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御畳瀬 201111

 

♪みませ見せましょ浦戸を開けて♫ と唄われる土佐の高知のカーニバル⇒よさこい鳴子踊りは戦後復興を目論んで気合付けに作られた祭りだそうです。「よさこい⇒夜は早よう来い」どこへ?「飲み屋に決まってるじゃない」と飲み屋の女将が教えてくれましたが、私などもっと色っぽい解釈をした方が情緒があってよろしいかと思う者です。ということはどうでもよくて、

 

「月の名所は桂浜」と唄われる港町の賑わいは今となっては歴史の彼方、少子高齢化という行政用語も何やら白々しく、自転車でやっとすり抜けられるほど狭くジジババと猫しかいない路地をCanon M6+22㎜の単レンズを提げて散歩していると、おっとこれがたまるかと腰を抜かすほど美しい櫺子窓に出くわしました。たまたま当家の奥様が水に漬けたブラシで年輪に沿って丁寧に磨いているところだったので話を持ちかけると、このお屋敷は150年ほど経っているらしく「代々受け継がれて私の代になり手間隙かかるけれどやめるわけにもいかないし」とやや愚痴っぽく呟きながらも言葉の端々に深い愛着が感じられました。

 

かりに1代30年として5代遡った150年前は幕末から明治にあたります。少年時代の坂本龍馬鏡川で泳ぎ、1867年33歳の年に京都近江屋で斬られたころの話なので、それから5代も続いた水拭き作業はたいしたものです。中には手抜きの誘惑にとらわれた奥様もいたのではなかろうかと、いらんことを考えながら了解をもらってシャッターを切り、磨き抜いた年輪に触れると指紋のあたりにほどよい抵抗が残りました。この窓を切り抜いて京都の町屋に置いたら都人さえ喜ばしめるかも、、

 

 

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御畳瀬 201111

よく見かける花?葉?に

夕日がドンピシャ

 

 

ひとり旅 201115 China 5  1984年の北京から1986年の北京へ

 

 

 

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天安門広場に続く道 1984

 

ベンツもレクサスも見えない1984年の天安門周辺は丸っこいバスと自転車の道でした。それから36年が過ぎ、当時20歳の若者は今56歳になります。過去と今を知る世代は、この風景を見て何を思うのでしょう。摩天楼が林立した北京の街を見て幸福感にひたり、貧しかった過去を全否定するのでしょうか、それとも今と比べれば貧しくはあったが、PM2.5のない空は青く、誰もが似たような暮しをしていたから取り立てて隣人を羨むこともなかった時代を懐かしく回顧するのでしょうか、本音のところを尋ねてみたいものです。

 

その2年後の1986年夏ふたたび北京を訪ねました。日本で知り合った中国人留学生が夏休みに帰国しており「北京に着いたら電話してね」という約束だったのでレトロな電話器を回し彼女の名を呼びました。悲しいことに使える言葉は、鶴鳴フーミンという彼女の名とニーハオだけなので、なかなか意図が通じません。日本語を使っても仕方がないし、オレの英語は中学生にも劣るレベルであるし、そもそも英語が通じる気配もなかったので、ひたすら「ニーハオ、フーミン」を繰り返しましたが、無駄でした。

 

日本で再会したとき彼女は「受話器をとったのは母であり、相手が何かを伝えようとしていることは分かったが、意味がわからないまま切れてしまった」とのこと、家族の間でフーミンという日本語の発音が話題になったと笑っていました。そこで連絡がとれていたら彼女の案内で北京を歩けたのですが、惜しいことをしたものです。後日その話を別の留学生にするとやや表情を落とし「自宅に電話があるのは党幹部だけです」と教えてくれました。

 

 

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西安?北京? 1984

 

東南アジアでは4人乗りのバイクは珍しくありませんが

4人乗りの自転車を見たのは初めてでした

人力で走る自転車は環境性能において突出した乗り物です

皮肉でも嫌味でもなくChinaを歩いて心底羨ましく思ったのは

ヒトと家畜の共同作業たる土木、農業、流通、、、

何といっても天安門広場を流れる自転車の洪水でした

 

途方もない人口が労働を分配し、

環境と共生していたところへ

西洋由来の技術が持ち込まれ

「すごいね」「立派だね」と嬉しがっているうちに

独裁と組んだ電子技術は異様な進展を遂げ

Chinaマネーは世界に浸透し

巻き添えを喰らった国々は2020年の今

未来を明るく描けなくなりました

 

 

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重慶? 列車の窓から 1984

 

1980年代の中国人留学生にとって日本の物価は想像を絶するものではなかったかと思われます。たまに日本人学生が中国人留学生を交えて宴会をひらいたものですが、あるとき「会費5,000円は中国庶民の月収に近いのではないだろうか。国費留学生だからそれなりの奨学金は貰っているのだろうが、酒を飲んで月給全部吐き出すとなるとオレなら遠慮するわ」という尤もな提案があり日本人で割り勘したこともありました。

 

 

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農村風景/場所不明 1984

今のChinaは知りませんが

ラオス国境が近いベトナムの奥地

ディエンビエンフーの農村が思いだされます

 

ひと口に留学生と言っても各人各様です。来日した段階で日本語ぺらぺらの学生もいれば、そうでもない学生もいました。日本語ぺらぺら氏に初めて出会ったときは、発音にまったく癖がないのでむしろ不自然な感じがして「クニはどこか、関東か関西か」と訊いたくらいです。上海の自宅でラジオを聞きながら勉強したそうですが、自国で独学してこれだけの日本語があやつれるなんて凄い。おれの英語なんか話にもならんと反省させられたものです。世の中には発音はきれいでも中身がなくて退屈なヒトもいますが、ぺらぺら氏は暇さえあれば図書館で日本の新聞を読んでいたので込み入った時事にも通じていました。彼とは今も年賀のやりとりをしています。一方、北京で電話した彼女はどちらかといえばアカデミズムに熱い思いを持つタイプではなかったようですが、聞けば留学生を決定する段階で党幹部の子女は優位に立てるとのこと、古今変わらぬChinaの慣習ではあります。

 

 

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バスの窓から北京?1984

 人と自転車の道は

広場のように清々しい

 

ぺらぺら氏と出会ったのは1986年だから文化大革命終結した10年後になります。能天気な自分は、Chinaの現在を知るべく折りあるごとに水を向けましたが、彼は決して不用意な発言をすることはなかったです。批判という言葉を日本語で発してもさしたる重みはありませんが、それは文革の用語でもあり、彼にとって批判ピーパンは恐怖を想起させる言葉のようでした。具体的なことは憶測の域を越えませんが、触れてはならない闇を絶え間なく意識していたかと思われます。そこには結構な数の中国人留学生がいたものの皆が一致団結しているようでもなかったので、ひょっとすると留学生は互いに牽制しつつ言葉の地雷源を歩いていたのではなかったかと、、何を言おうと身の危険はなく、むしろ政権批判することがカッコいいとされる平和ボケ日本を振り返る良い機会ではありました。

201115記 つづく

 

 

 

         ### 高知の今###

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高知市春野201030

ススキvsセイタカアワダチソウ

 

一時は日本の秋を制覇するかと見えたセイタカアワダチソウですが、この北米原産の帰化植物に対抗し日本古来のススキはよく闘っています。

 

 

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高知市春野201109

 

動物が生存領域を争うように植物もまた根っこから化学物質を出したり、高く伸びて相手を影で覆ったり、相手が嫌がる微生物をおびき寄せたり、あの手この手で争っているのだそうです。

 

 

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高知市春野201109

 

若い人はどうか知りませんが、トシを重ねて記憶が積るとやはり月見は団子に芒という取り合わせでないとピンとこないのです。芒がんばれ! 外来種に負けんじゃねえぞと心の中で応援している自分が見えました。