湯布院駅 2021.09.30
磯崎新氏は大分県の生まれです。たぶん出身地というご縁もあってのことでしょう湯布院にユニークな駅舎が立ち上がりました。1990年代の初め、この駅舎を見学するためバイクに跨がってトバしたことを覚えています。二次元写真と四次元の現物では印象が違い、現場に立って改めてお洒落な建物やなあと思いました。黒い駅舎を見たのも初めてで軽いショックを受けました。ちかごろウチの団地でも黒系ガルバリウムで外壁をまとめた住宅が流行っています。駅舎の脇に催し物展が開ける空間があることもちょっとした驚きでした。磯崎新の建築はどれも頭よさげな線が特徴ですが、じっと見つめていると自分がバカに見えてくるという欠点があります。
駅舎から見た由布岳 2021.09.30
「お前がいちばん好きな駅舎はどこだ?」 と問われたら、もちろん湯布院駅舎も素敵ですが、ぼくは迷わず内藤廣氏の「高知駅」と応えます。内藤廣は高知県五台山にある流線型の牧野富太郎記念館も手がけており、建築に興味があるお客さんが見えたら必ずこの二つをご案内することしています。
湯布院駅舎に隣接した観光案内所 2101.09.30
駅舎の隣になんやこれはという建物があったので寄りました。集成材を曲線で組み合わせ、円筒を直交させた教会を思わせる空間を演出しています。高性能CADを使い複雑な計算式をこなしつつデザインしたであろう坂茂氏もえらいですが、図面通りに施工した職人さんもたいしたものだと恐れ入りました。造られて間もないためか人肌になじんでいないところが残念かなという空間です。ネットを探るといろいろ説明文があります。ご興味の方はどうぞ。
梼原町総合庁舎 2021.10.10
東京オリンピックスタジアムを設計した隈研吾氏の建築が高知県梼原町に4つほどあります。山の町で「隈さん」と呼ばれる建築家は木材が大好きですが、欅の一枚板を張り付けるわけにはいかないのでスギ板や集成材を使います。四角いデザインがお好きらしくガラスも金属も木材も茅葺きの茅もぜんぶ四角です。
雲の上のホテル別館マルシェユスハラ 2021.10.10
マルシェだなんてお洒落なフランス語で飾ったホテルと道の駅の複合空間は、2階の通路から売場を見渡せるように設計されています。建設当初ホテル内部も見学させてもらいました。ネットのるるぶには「絶対泊まりたいホテル」と書かれていますが、ぼくは絶対泊まりたくないホテルです。人の動きを上から見下ろす空間は収容所の設計思想です。見る方は悪くない気分でしょうが、知らぬ間に見られるのは嫌ですね。四角いデザインが隈さん的といえば言えますが、意図するところは分かるにせよ、外観がみすぼらしく、どん臭く、田舎理解が深いとはとても言えません。邪推にすぎませんが、忙しい隈さんが門下生に図面を引かせてハンコ付いたのではないかと疑っています。
新設された図書館
これは紛れもない隈さんデザイン 2021.10.10
人口3000人ちょいの山間地にこれほど贅沢な図書館がつくられて誰も不思議に思わない日本国は何と文化レベルの高いクニでしょう。大都市はどの国も似たような顔をしていますが田舎の風景はそれぞれです。ソウル一極集中の韓国では田舎に向けた投資はとても少なく、その分田舎が田舎らしくたたずんでいます。
その昔この町に韓国人学生を迎え町の人たちとどんちゃん騒ぎをやって愉しんだことでしたが、日韓のややこしい話は当時からありました。松山空港からバスに揺られ、小枝が窓を打つ森の道をずんずん行くうちに日は暮れ、不安になった女子学生がひそひそ声で「わたしたちはイアンフにされるのではないか」と本気とも冗談ともつかない話し声が聞こえたと同行の大学教授が笑って伝えてくれました。高知県須崎市出身の植村隆元朝日新聞記者が所謂「従軍慰安婦問題」を提起して間もないころの話です。
そのような森の田舎町に立派な建物があり、こともなげに高級車が走る日本とは何か、ソウルは東京と同じですが、田舎がこれほど豊かであることに韓国の若者はみな驚いたようです。言われてみればそうやなと彼らの目で日本を再発見できたことが日韓交流のいちばんの成果でした。ソウルには興味がもてず、反日嫌韓のお芝居にも飽き飽きしましたが、韓国の農山漁村は今でもリュックを担いで歩きたいなと思っています。撮り溜めた写真が山ほどあるので、いずれご紹介します。
雲の上のホテル 2021.10.10
橋本大二郎氏が高知県知事をされていた1990年代に、たぶん慶応大学のよしみで隈研吾氏に依頼した作品です。隈さんまだ有名ではなかったからデビュー作といってよいでしょう。テンション構造で吊った複葉機を思わせる屋根が雲のように見えます。
都会から来た子どもが梼原町で「雲の上」ということばを口にしました。これはイケると気づいた大人が雲の上をホテル名に冠し、雲の上がこの町のキャッチコピーとなって、となり町が羨んだというオチがあります。建設当初この建物を見るためバイクにまたがり、胸突き八丁の辞職峠^^!を越え、トンネルを抜けたとたん目に飛び込んだ雲の上ホテルが強烈な印象を残しています。その思い出のホテルが竣工後30年も経っていないのに老朽化したらしく近々建て替え工事に入ります。やがて消える建物と一緒に「雲の上」で遊んだぼくの記憶も薄れることでしょう。年々歳々花ハ同ジク、歳々年々人ハ同ジカラズとやや感傷的になったりします。
梼原町の「草葺」の家 2021.10.10
で「お前はどんな家が好きなのか?」と問われたら
茅葺きの在来家屋をウォッシュレット付きの
近代空間に仕上げてもらいたいなと思っています。
南の島のカメハウス
じつはこのような家にも
憧れています^^
おひまい
2021.11.12日記 つづく