ひとり旅 240115  ラベル  モーツァルト 特攻

 

 

 

 

 

ラベルの「ピアノ三重奏」を弾く高木凛々子  2023.12.31

 

スギ板に穴ぽこ空けて

5㎝のスピーカーを埋め込み

オモチャみたいな中華アンプにつないだら

まあそれなりの音がしました

 

今までは30㎏もあるJBL真空管アンプで鳴らしていたのですが、狭い部屋にJBLは大仰だし、発熱器みたいなアナログアンプより小さなデジタルアンプの方が優秀だと分かって写真のようなコトになりました。深夜に音を愉しむにはこれで充分、無垢の木箱の素朴な共鳴音が気に入ってます。

 

配線を終えYouTubeの音楽欄に入ると、あらなつかしや学生時代に東京の下宿でLPレコードに針をのっけて繰り返し聴いたモーリス・ラベルのピアノ三重奏を見つけました。ラベルが第一次世界大戦に出征する直前に仕上げた作品です。とりわけ第四楽章のビブラートが印象的で弦のふるえから戦場へ向かう作曲家の心の葛藤を感じたものですが、その感覚は長い年月を経た今も変わらないことがわかりました。

 

 

フォルフガング・アマデウスモーツァルト   ネットより

 

モーツァルトの絶筆は「レクイエム(鎮魂歌)」です。高額の報酬をもって作曲依頼に来た顧客を冥界からの使いと信じたモーツァルトは、みずからの死を予感し、渾身の力をこめて別れの曲を書きました。来世へ向かう最後の楽曲は低音部のうねるような繰り返しで始まります。作曲途中で倒れ、後半は弟子のジュースマイヤーがつないで完成させていますが、どこまでがモーツァルトの真作かといわれると諸説あるようです。ネットの書き込みに以下のものがありました

 

「前半はモーツァルトによる神業の作曲だが後半はその弟子が引き継いで作曲したために 平凡そのものだ、と“美味しんぼ”で言ってたが、どこからがその境界線か分からない」⇒境界線はわかりませんが、前半と後半のキレのあるなしは(ぼくにも)感じられます。弟子がいかに天才を真似たにせよ、創作というまだ誰も知らない分野を開拓することはできないからでしょう。

 

「入試落ちたとき脳内で人生の終わりを告げるレクエイムが奏でられていた」⇒希望が失われたとき頭の中でレクイエムが鳴る人は一種のカタルシスを覚えるのかも知れません。

 

「昨日の鎌倉殿で流れたとき鳥肌が立った」⇒NHKはとんとご無沙汰ですが、鎌倉殿にレクイエムが流れる場面は見たかったなと残念です。

 

モーツァルトアンチだけどレクイエムだけは本当にいい。いつもの成金宮廷音楽と違って人道的な音楽になってる」⇒「成金宮廷音楽」とは凄い言葉ですが、人間モーツァルトの昼の顔と夜の顔を描き分けた映画「アマデウス」は傑作です。ツンと澄ました優等生がきれいな曲を書きましたっていうのはむしろ嘘っぽくて、18世紀のキャバクラ通いを趣味とする品性下劣な男が、あの美しい旋律を生んだことに(ぼくなど)むしろ整合性を感じます。くるくる変わる旋律を頭の中で追いかけているうちに違う世界へ連れて行かれるような気がして「悲しみは疾走する。涙は追いつかない」という小林秀雄の名言を思い出します。

 

Chat GPTは既に作曲の世界にも浸透していますが、ジュースマイヤーに代わってAIが続きを書いたにせよ、それらしいものは作れても、あの荘重なレクイエムを創作することはできないでしょう。死と対峙した祈りの分野にまで機械が参入できるとは思えないのです。

 

 

一式陸攻から切り離される桜花  ネットより

 

昨秋四国の森の中で特攻1号関行男大尉の存在を知りました。ひとの死の形は様々であり、多くは個人的な出来事ですが、国家という大義を背負い、特攻という確定した死に向けて飛んだ若者はいったい何を思ったのであろう…と考えながら鹿児島県は万世、知覧、鹿屋の特攻祈念館を訪ね、その後「最初の特攻、最後の特攻は高知県人」であったとする書に出会いました。どうやら「最初」と「最後」のみならず「特攻」そのものを発案し進言したのも高知県人のようです。

 

ヒトはいずれ逝くものですが、畳の上、ベッドの上、意図せぬ事故、災害による不意打ちと様々な形はあっても、国家を背負い、個を空しくする自爆死を決行したのは大戦末期の日本人でした。航空特攻、水上特攻、水中特攻あるいは銃を持つ突撃等々かたちは様々ながら多くの兵士が、帰還可能性を断ち切り、この世とあの世の境を越えました。ざっくり4000の御霊が空中を飛び交う弾幕の中で散華したわけですが、そのことを安っぽい戦後史観で説明されたのでは死者は浮かばれまいと昨秋からずっと考えているうちに梅の蕾がふくらんできました。

2024.01.15記 つづく

 

 

 

< 2024年の現在史 >

1月20日(土) 00:20  SLIMがピンポイントで月面に着陸予定です

2月15日(木) 09:22  H3ロケット2号機が打ち上げ予定です

今度こそ成功を祈ります

 

ひとり旅 240106 年賀 新疆ウイグル自治区

 

 

 

あけまして

おめでとうございます

火達磨になったJAL機の乗客379人全員が無事でした。あの混乱の中を誘導した乗務員、最後に降りた機長とも世界の称賛を浴びています。一方の海保同型機はかつて高知空港への着陸時に前輪が出ず、上空を旋回して燃料を減らし、胴体着陸したことがあります。ぼくら地元民は驚きましたが、着陸過程が見事だったことから航空業界は絶賛したそうです。大怪我をされたであろう機長の回復と5名のご冥福を祈ります。▼世界人口が80億を超えました。人口圧が領土を求め世界に悪意が満ちた今、震災時の助け合い、事故後の善意あふれる行動を見て救われる気がします。令和6年が美しい年でありますように!

 

タイ北部に家を建てた友人が、インド⇒パキスタン新疆ウイグル自治区というフツーじゃないタビをやっています。9月に出発し4カ月かけてK2脇4700mのカラコルム峠を越え数日前やっと中国領へ入りましたが、案の定、税関で一悶着あったようです。「Google mapは台湾、南沙諸島を中国の領土ではないとしている」「外国が紙上で中国の領土を分裂させている」ことが問題の本質であったらしく古稀の旅オジサンは自己チューな歴史観をもつ税関員にいじめられたようです。下記は最新のブログです。リアルタイムのレポートなのでこの先どうなるかは本人にもわかりません。

 

https://toyotaid.hatenablog.com/entry/20240102/1704207115?_gl=1*365pvo*_gcl_au*MTY1MDQ2NjY2OC4xNzAxNDYwNDMz

 

チベット新疆ウイグル自治区南モンゴルといえばChinaの最も敏感な部分です。香港の自由は失われました。1月13日には台湾で選挙が行われ、状況によっては尖閣、先島、沖縄に影響を及ぼし、ひいては日本国そのものの国体が問われることになりかねませんが、紙メディアはあえて触れようとしません。そのようなことを考えながら古稀オジサンの「タビ」を拝読しております。

2024.01.06記 つづく

 

 

 

 

 

ひとり旅 231224 日本所々(30)   短歌 フクシマ 石垣島 西表島

 

“短歌とAI”というテーマで友人たちとメールのやりとりをしています。歌好きのひとりは吟行先で詠んだ歌を遠慮がちにアップしてくれるのですが、苦心惨憺して三十一文字に詰め込んだ創作をポンと置かれると評論家みたいに理屈を並べていた自分がバカに見えますね。その短歌の世界にもAIが侵入しヒトと機械の境が曖昧になってきました。

 

パソコンに俳句を作らせる遊びは40年も前から行われていましたが、俳句より長い短歌はちょっとした物語になるので当時はまだイミフな文字の羅列でしかなかったようです。ところがAIが人間を超えたかもしれない今、短歌どころか大学推薦入試の募集要項に「Chat GPTは使わないでください」との注意書きがあらわれるに至りました。SBの孫正義によると目下特訓中のChat GPTが人類の知識の総和を超える日は遠くない。その演算能力はヒトの10倍100倍~10000倍という恐ろしいことになる。そのとき人間は何をすればよいかと悩むより、そこに新しいビジネスチャンスがあると捉えるべきといった話をしています。考えてみれば、ぼくらはポケベル⇒ピッチ⇒携帯⇒スマホという恐るべき変化に耐えてきたわけでもあります。

 

そんなことを考えていたところへ昨夜フクシマで働いている知り合いから「ついに原発敷地内で仕事をすることになりました」云々の電話がありました。こちら高知は夏からいきなり冬に入り首にスマホをぶら下げて野良仕事をしながら長話をしたことでした。結論だけ申せば2011年の津波炉心溶融から12年が過ぎ、除染作業の効果もあってか放射線量は「あの頃とは比較にならないほど薄れてきた」「作業員に対する被爆防止、線量管理は恐ろしく厳密だ」とのことです。

 

短歌⇒俵万智⇒フクシマという連想から

石垣島を思い出しました

 

2011年フクシマ原発放射能を恐れた彼女は幼い息子を連れて石垣島へ移住しました。東日本が破滅しても台湾がすぐそこにある先島諸島まで逃げれば…と考えた彼女は、逃げられない人々から羨望がらみの批判を浴びもしたようですが、そこは母親の強さで振り切ったようです。その2年後、

 

2013年にダイビングのお師匠さんと石垣島を訪ね、砂糖黍を絞って飲ませる海岸沿いのお店に寄ったとき俵万智の写真とサインをみました。一筆書きで「俵」と書いた結びの三角形がカッコよく以来そこだけ真似る習慣がつきました^^ 「へえ彼女こんなところに住んでんの」と言ったらお師匠さんは事もなげに「訪ねてったらどう」と提案してくれましたが、ぼくは脈絡もなく女性の有名人に声をかける度胸は持ち合わせていないので話はここまでです。ネットを探ると以下の歌がありました。

 

シュノーケリングした日は思う人間は地球の上半分の生き物

ヒルギの花ぼとぼとと落ちる午後  無言の川をカヤックで行く

 

シュノーケリングした日の「上半分」とは水上に浮いた自分のことでしょうか、浅瀬に浮かぶ彼女の水中メガネの下に諸々の植物生物がみえたのでしょう。干潟に膝を立てたような膝根が並ぶ「オヒルギ」マングローブの花は椿みたいにボロッと落ちます。「カヤック」にはエンジンがないので凪の日は静かなものです。そのような風景の中で育った息子さんはもう立派に成人したはず彼女今どこで何をしているのでしょうか。

 

 

石垣島の川平湾  2013.09.22

 

彼女の居住地から遠くない川平湾は

白砂に透明な水が流れ込む観光名所です

 

 

沖縄本島嘉手納基地前のサンゴの海  2013.09.30

 

ダイビングのお師匠さんが指を鳴らすと

スズメダイが寄ってきました

 

 

西表島浦内川支流オヒルギの膝根   2014.04.22

 

俵さんはこのような川でカヤックを滑らせたのでしょう

「無言の川」とはいえ春の森は鳥の歌声で賑やかです

白浜から巡航船で舟浮へ渡り4月の森に響いた

恋人を呼ぶ野鳥の澄んだ歌声が忘れられません

南の鳥は声も姿も美しいです

 

 

西表島白浜のヤエヤマヒルギ   2014.04.22

 

マングローブにも各種あり

ダマシ、モドキと酷い名を付けられたのもありますが

タコ足で立つヤエヤマヒルギは愛嬌ものです

2023.12.24記 つづく

 

ひとり旅 231216 特攻(9) 道草編  谷の橋   海の橋  周庭アグネス・チョウさん

 

 

 

阿蘇

 

 

落ちた旧阿蘇大橋  2023.10.22

 

2016年の熊本地震で橋桁を落とした阿蘇大橋が

震災の遺構として保存されています

 

 

無残な姿をさらす上路式鉄骨アーチ橋  案内板より2023.10.22

 

震度7の揺れが益城町を襲ったとき

たまたま現場に居合わせた友人によると

タテ揺れヨコ揺れは経験していたが、ここでは

「捻じれるような揺れだった」

「温泉地の水脈が変わった」とのこと

 

相応の安全係数を掛けて建設し完工後は

わが子のごとく慈しんだにちがいない橋を失った

設計者と施工者の声を訊いてみたいものです

 

決して厭味ではなく

形であれ心の中の出来事であれ

人生のどこかで誰もが経験せねばならない

価値の崩落を土木家に尋ね以て自戒としたく思います

ひとの死であれ思想の無意味であれ、いずれ

信ずるものが目の前で失われる光景に

ひとは出くわさねばならないからです

 

 

阿蘇大橋  2023.10.22

 

落ちた橋の下流部に建設された新大橋

現代の土木技術をもってすればどんな橋でもつくれますが

この橋は大慌てで建設した移動のための通路です

 

橋脚にも橋桁にも装飾がなく

復興優先、機能主義むきだしの橋は

その美観において古代ローマの水道橋や

明石海峡大橋とは比ぶべくもありませんが

むしろそこに震災後の慌ただしい風景が読み取れます

 

 

水俣市へ向かう斜張橋  2023.10.22

 

この橋は主塔の背が低いので、ケーブルの角度が極端に浅く、素人目にはこれで橋桁を持ち上げる力になっているのだろうかと心配になります。が、そこはしっかり強度計算しているはず、ケーブルがつくる二つの山と川面の反映が美しく、背の低さが不思議な美観を生み出しています。橋には桁橋、トラス橋、アーチ橋、ラーメン橋、吊り橋等さまざまな形がありますが、きっとこの設計者は斜張橋が好きだったのでしょう。橋好きが集まって設計・施工者を囲み、ざっくばらんな座談会があったら愉しかろうなと…

2023.12.16記 つづく

 

 

 

 

< 2023年の現在史 >

香港の民主化運動家、周庭アグネス・チョウさんが「香港には戻らないことを決めた」そうです。カナダ政府が認証したわけではないから正式な「亡命」ではありませんが、故郷を捨てるにあたっては大いなる葛藤があったはず。メンツを潰された香港警察は周庭さんに帰還要求し「戻らなければ指名手配する」と脅しています。日経新聞2023.12.12には「海外の華僑らを監視する中国の秘密警察がカナダにもいる」とありました。

 

乃木坂が好き、東野圭吾のファンでもある周庭さんは、独学で習得した日本語でテレビ朝日のインタビューに応えましたが、テレ朝のネットニュースに添付されていた写真を見てぼくは嫌な気持ちになりました。人の顔の真実は無数の表情をつなぎ合わせた全体にあるのであって、その瞬間を1/100、1/1000秒の単位で切り取る静止画は現実には存在しないものです。善意また悪意をもって抜き取った1枚の絵は、写された対象ではなく、写した人間の心のあらわれと言えます。

 

テレ朝の記事内容は香港警察の意図を伝えるばかり

周庭さんが「香港には戻らない」理由説明はありません

まあそんなメディアなんですけどね~~!

以下3社3枚の絵を載せます

女性はきれいに撮ってあげなきゃ

 

 

テレビ東京

 

 

BBC

 

 

テレビ朝日

 

以上いずれもPC上の写真を

iPhoneで撮影しメールで転送したもの

 

 

 

 

ひとり旅 231208  特攻(9) 道草編   錦帯橋は“平和の橋”  岩国発オスプレイ墜落

 

 

 

 

 

岡山県岩国市の錦帯橋  2023.10.03

 

ローマ人も中国人も石のアーチはこさえましたが

木造アーチ5連橋はたぶん世界でこれだけ

江戸初期に殿様の道楽で造られた錦帯橋

増水時に流されては再建され今も原形を保ったままです

 

 

深い峡谷を渡る猿橋   2014.11.06

 

岡山県錦帯橋山梨県猿橋」長野県「木曾の桟」は日本三大奇橋のひとつとされます。猿橋は今も中学生が峡谷を渡る木造実用橋であり、松尾芭蕉が“かけはしや命をからむ蔦かずら”と詠んだ木曾の桟もまた木造実用橋でした(今は原形を留めません) 三者とも木造という点で共通していますが、錦帯橋が実用橋であるかどうか…

 

ヒトは渡るために橋を架けますが、どう考えても

錦帯橋が渡る必要あっての橋とは思えないのです

歩いてみればわかりますが荷物を抱えて半円上を登るのは難儀だし

中央部の高さが川船の交通に便宜を図ったわけでもなさそうです

義経と弁慶が橋上の争いをするなら絵になりますが

いざ鎌倉という緊急事態にはむしろ邪魔でしょう、したがって

暇を持て余した殿様のお遊びであったと…

 

 

橋詰で先生のお話を聞く小学生  2023.10.03

 

両手で膝を抱えて坐らせる方式は戦後の発明とか

ヒトは従順な姿勢をとると反抗心が失せるそうです、 でも

武士の子がこの姿勢をとったとは考えにくいですね

 

それはさておき今も昔も

小学生は元気一杯です

 

 

遠足の小学生  2023.10.03

 

よい子のみなさんは、あっちを向いたり

こっちを向いたりして賑やかです

渡る実用の為に設計された橋ではないので

足裏に伝わる木の感覚をたのしみながら

上ったり下りたりする遊園地なのでしょう

 

 

スマホすりすりしながら

ゆったり歩く作務衣のおっさん    2023.10.03

 

 

木の橋脚  2023.10.03

 

両サイドの導入部はゆるくたわんだ桁橋です

洪水時にはかなりの高さまで水が来るはず

過去なんども流されたそうです

 

 

実用的お洒落  2023.10.03

 

木の橋脚には雨露をしのぐ

お洒落な屋根が施されています

 

 

 

 

 

石の橋脚で支えられる中央部3連の木橋  2023.10.03

 

角度をもつ橋脚の尖端は

斧の刃先のように鋭く水を切ります

軍艦のように腹部は広がり河口部で閉じ

洪水時の水をいなすのでしょう

 

 

仰いで見た橋桁  2023.10.03

 

橋脚付け根は

木層を重ねて厚く

先に行くほど薄くなり

中央でつなぐとアーチが完成します

 

ぼくなど三角と四角を組み合わせ

関節を鉄で補強する繰り返しを

きれいな形だなあと見上げるだけですが

構造が読める人なら遠い眼差しをすることでしょう

力の掛かり具合を数式であらわせば

美しい“模様”まで見えそうです^^!

 

 

中央部3連の橋桁  2023.10.03

 

橋脚の丸みと橋桁の曲線

赤味をおびた花崗岩と木肌の風合いが調和し

形も色も江戸期の平和を映すかのようにゆったりしています

どう考えても戦乱で目を血走らせた時代の作品ではなく

経済合理を求めてお江戸日本橋の頭上に高速道路を走らせた

戦後モダニズムの狂乱でもありません

 

 

腐食部の補修作業  2023.10.03

 

20年ほど前に改修後の錦帯橋を見たときは

ぴかぴかの木肌でしたが、長い年月を経た今

「木は痛むので補修してあげねば」

とのことでした

 

 

観光客  2023.10.03

 

観光バスを降りた乗客は

ここから橋を見上げます

 

 

錦帯橋遠望  2023.10.03

 

行楽期には洲の駐車場が車で埋まることからも

この橋を平和の産物と称して異論はないでしょう

技術文明が進み戦争に至る今の世界で

この橋を着想することはできません

 

 

錦帯橋脇の佐々木小次郎像  2023.10.03

 

その平和な江戸時代に

佐々木小次郎はここ岩国で生まれ

柳の下で「燕返し」の技を編み出し

宮本武蔵との決闘に挑むことになりますが、さて

わからないのは長刀をもつ銅像の右手です

 

写真を拡大してもらえればお分かりですが

これは鉄棒にぶら下がるときの握り方であり

右手が逆手では打ち込めず、切り返しもできず

櫂でぶっ叩かれる他ないのではと、つい

いらん心配をしてしまいました

深い理由があるのかもしれません

2023.12.08記 つづく

 

 

 

< 2023年の現在史 >

岩国の米軍基地を出たオスプレイ屋久島沖に墜落しました。同機は構造上安全性に問題があるといわれますが、純ヘリだって墜ちることはあるわけで、気になるのは事故の伝え方です。毎日新聞ヤフー記事2023.11.30は見出しに「米軍オスプレイ墜落“街に落ちていたら” 屋久島住民に不安」と置き、記事末尾は「政府は中国を念頭に南西諸島の防衛力を強化する“南西シフト”を進めており、九州・沖縄は南西防衛の最前線となりつつある。同町に住む女性(71)は同県西之表市の無人島・馬毛島で自衛櫂の基地建設が進んでいることに触れ“今までこういう事故はなかったが、これからが不安だ”と明かした(以下記者7名の氏名列記)」と結んでいます。

 

何気なしに読めば只の事故記事ですが、そこには米軍パイロットの命に対する哀悼の意は儀礼的にもなく、中国に対抗すべく日米が防衛強化することを批判的に描いています。砕いて言えば、中国が第一列島線を広げ日本を圧迫することは問題ないが、日米が軍事的対抗のため馬毛島に新基地を造ることは問題だ。だって種子島の人が困るだろと(国家論を個人感情に落して)正義めかした偏向報道です。

 

ざっくり日本メディアはこういった論調ですが、かれら国を失ったあと個人の誇りはどうなるのか考えないのだろうかと不思議でなりません。郷土のためチームのためは良いけれど国のためと言った途端に右翼極右のレッテルが貼られ、議論が制されて78年になります。国防を否定しかつ幸せに生きられた戦後生まれのぼくら世代はラッキーでしたが、これからの若い世代は大変ですね。

 

 

 

 

ひとり旅  231202 特攻(8) 道草編  道の橋  川の橋  水の橋

 

 

 

 

 

高知県仁淀川町寺村の名もないトンネルは “道の橋” 2023.10.21

 

なんということもない四国の山中に

短い穴が抜かれただけなのだけれど

左右にデンと並んだ城郭風のデザインが立派 !

完成時には村を挙げてお祝いしたことでしょう

今どきの工事だとあり得ない装飾です

 

 

大分県菅田 “川の橋” 2023.10.22

 

石のアーチが古代ローマ人の発明だとすれば、その技術は

遠い昔シルクロードを伝って日本に伝播したはず

 

河川工事が得意な土建会社の社長室を訪ねると

書棚に石造アーチの模型が置かれていました

石を積み上げて円をつくる技法は

土木の原点でもあります

 

まずは大工が木枠で半円をつくり

つづいて石工が凝灰岩のブロックを積み上げ

支保工の頂点に要石を置くと力学的に安定します

 

積み石がつくる円の幅には限界があり

距離に合わせて複数のアーチが置かれます、ここでは

半円形がふたつ並んだ眼鏡橋が生まれました

 

半円が水に落ちて丸くなった長崎の眼鏡橋、皇居の二重橋

どこか人間くさく眺めて飽きないのは

こちらとあちら、あちらとこちらの関係から

ふたつの円が互いに存在証明しているのかも…

 

熊本県大和町の農地を渡る「通潤橋」は

見上げる構造体のデカさ石の接合部の精密さにおいて

肥後の石工が情熱を傾けた芸術でもありますが

惜しむらくはアーチが単体であることです

あれが半円の連続であったら

ぼくらの胸にもっと強く響くことでしょう

 

 

古代ローマの水道橋ボン・デュ・ガールは“水の橋”   ネットより

 

ローマの水道橋だからイタリアだろ?と思っていましたが

3層のアーチをもつ水の橋はフランス南部にあるのでした

2000年前に竣工したというから日本の弥生時代にあたりますw

 

長くフランスに滞在した友人に「ひょっと古代ローマの水道橋をご存じか?」と尋ねたところ「折々ボン・ジュ・ガールまで馬をとばし、ガール川で馬を憩わせながら、西暦50年頃に造られた見事な三層のアーチ構造に見とれました」との返信が届きました。馬で世界遺産とはまた贅沢な青春ですが、やがて彼は馬とともにパリからピレネー山脈を越えスペイン西岸へ至る巡礼の道を歩くことになります。いわゆるサンチャゴの道=サンチャゴ・デ・コンポステーラです。車なら給油所へ行けばよいのですが、馬には飼い葉をやらねばならず、路傍の農家と交渉し、時に馬と寝床をともにしてひたすら西を目指したというから只事ではありません。それは何故か?

 

 

そのむかし友人から届いた絵葉書

トロイの木馬を思わせる一枚です

 

旧ソ連がアフガン侵攻した1979年、彼は医療協力でアフガンに入り、戦場につきものの様々な体験を重ねたようですが、語れば長い話になるし、そもそも場を共有したことのない他者に戦地の現実を語ったところで分かってもらえないだろうという諦めからか多くを語りません。しかし長い付き合いだから折にふれ細切れの話は伺ってきました。サンチャゴ巡礼はアフガンで失われた仲間への追悼でもあったようです。個別の話をつなぎ合わせれば一本の糸になり、つくりものの小説ではない歴史が見えるはずですが、惜しいことだとずっと思っています。

 

すべての人間が生きた個人史をもちます。しかし五感が捉えた膨大な情報量を文字に直すことはできないし、切れ切れに言葉を発したところで誰も聴いてはくれないでしょう。生まれた情報量は無限でも受け取る側の受容量には限りがあるからです。だから「語り得ぬことは沈黙しなければならない」という先哲の箴言が意味をもつのでしょうけれど、それにしてもフツーじゃない経験を沈黙の闇に置き去りにするのは惜しいなと…

2023.12.02記 つづく

ひとり旅 231125 特攻(7   万世までの道草 ツリーハウス

 

 

 

 

大分県竹田市に向かう国道57号線沿いのツリーハウス  2023.10.22

 

道路脇に巨大な鳥の巣が見えたので

あわててブレーキを踏むとそれは人間の巣なのでした

とりたてて必要に駆られた物見台ではなさそうだから

梯子を伝い欅の枝葉に風を受けながら

鳥の気分で一杯やるのでしょうか?

 

高知でもたまにツリーハウスを見かけます

庭木に鳥小屋を架けたような小振りなもので

日曜大工でも作れそうですが、費やす時間と

他者の目を省みない情熱が要ります

 

 

熊本県高森町国道265号線沿いのツリーハウス  2023.10.27

 

おっとこれは何じゃろとバイクを停めると

杉の巨木を囲む巨大なツリーハウスが見えました

 

 

高森ツリーハウス  2023.10.27

 

原木の曲がりをそのまま残し

杉のご神木を貫いて渡る不思議な造形です

 

 

高森ツリーハウス  2023.10.27

 

子連れの夫婦が車を停めて歩きはじめました

案内板はなく誰が何のために建てたのかさっぱり分かりません

老朽化のため危険入るなと書かれた看板があるので

遠慮しましたが入っとけばよかったと反省しきり…

ネットに内部写真があったので借用します

 

 

原木を加工せず配置した床上空間  ネットより

 

ネット記事によると”高森ツリーハウス”は「2000年に建てられ」一般開放されていたようです。元はといえばご神木の大杉(水神様)が倒れそうになったので支えを兼ねて建造されたものだそうですが、造っているうちにイメージが広がったか、支柱部が裾を広げ離れたところまで建築が広がっています。

 

 

ネット画面をiPhoneで撮影し

転送後にイメージ加工したもの    ネットより

 

バルセロナサグラダファミリアを見た友人が

呆れ顔で「あれは毒キノコよ」とつぶやきました、この道を

アントニオ・ガウディーが通り掛かったらば車を停め

日本人もなかなかやるわいと髭をひねりそうです

 

木は繊維を断ち切って直線化するより

丸太で柱とする方が力学的には有利です

自然は曲がっているものだしヒトの体も曲がっているので

丸みを帯びた手摺りにはホッとさせるものがあります、日が落ち

森が闇に包まれると床の月影があやしい模様をつくり

物の怪が猪や蝙蝠を引き連れて跳梁跋扈するのかも…

 

ひょっとジブリ宮崎駿も月夜の晩に、この

怪しさ満点のお屋敷を歩いたかもしれません

となりのトトロや猫バスがぴたりと嵌まる空間でした

 

水神様は消防の役割を果たすからか、ご神木の

落ち葉を焚いたり枝葉を持ち帰ったりすると

祟りがあるそうです桑原桑原

2023.11.25記 つづく