ひとり旅  231202 特攻(8) 道草編  道の橋  川の橋  水の橋

 

 

 

 

 

高知県仁淀川町寺村の名もないトンネルは “道の橋” 2023.10.21

 

なんということもない四国の山中に

短い穴が抜かれただけなのだけれど

左右にデンと並んだ城郭風のデザインが立派 !

完成時には村を挙げてお祝いしたことでしょう

今どきの工事だとあり得ない装飾です

 

 

大分県菅田 “川の橋” 2023.10.22

 

石のアーチが古代ローマ人の発明だとすれば、その技術は

遠い昔シルクロードを伝って日本に伝播したはず

 

河川工事が得意な土建会社の社長室を訪ねると

書棚に石造アーチの模型が置かれていました

石を積み上げて円をつくる技法は

土木の原点でもあります

 

まずは大工が木枠で半円をつくり

つづいて石工が凝灰岩のブロックを積み上げ

支保工の頂点に要石を置くと力学的に安定します

 

積み石がつくる円の幅には限界があり

距離に合わせて複数のアーチが置かれます、ここでは

半円形がふたつ並んだ眼鏡橋が生まれました

 

半円が水に落ちて丸くなった長崎の眼鏡橋、皇居の二重橋

どこか人間くさく眺めて飽きないのは

こちらとあちら、あちらとこちらの関係から

ふたつの円が互いに存在証明しているのかも…

 

熊本県大和町の農地を渡る「通潤橋」は

見上げる構造体のデカさ石の接合部の精密さにおいて

肥後の石工が情熱を傾けた芸術でもありますが

惜しむらくはアーチが単体であることです

あれが半円の連続であったら

ぼくらの胸にもっと強く響くことでしょう

 

 

古代ローマの水道橋ボン・デュ・ガールは“水の橋”   ネットより

 

ローマの水道橋だからイタリアだろ?と思っていましたが

3層のアーチをもつ水の橋はフランス南部にあるのでした

2000年前に竣工したというから日本の弥生時代にあたりますw

 

長くフランスに滞在した友人に「ひょっと古代ローマの水道橋をご存じか?」と尋ねたところ「折々ボン・ジュ・ガールまで馬をとばし、ガール川で馬を憩わせながら、西暦50年頃に造られた見事な三層のアーチ構造に見とれました」との返信が届きました。馬で世界遺産とはまた贅沢な青春ですが、やがて彼は馬とともにパリからピレネー山脈を越えスペイン西岸へ至る巡礼の道を歩くことになります。いわゆるサンチャゴの道=サンチャゴ・デ・コンポステーラです。車なら給油所へ行けばよいのですが、馬には飼い葉をやらねばならず、路傍の農家と交渉し、時に馬と寝床をともにしてひたすら西を目指したというから只事ではありません。それは何故か?

 

 

そのむかし友人から届いた絵葉書

トロイの木馬を思わせる一枚です

 

旧ソ連がアフガン侵攻した1979年、彼は医療協力でアフガンに入り、戦場につきものの様々な体験を重ねたようですが、語れば長い話になるし、そもそも場を共有したことのない他者に戦地の現実を語ったところで分かってもらえないだろうという諦めからか多くを語りません。しかし長い付き合いだから折にふれ細切れの話は伺ってきました。サンチャゴ巡礼はアフガンで失われた仲間への追悼でもあったようです。個別の話をつなぎ合わせれば一本の糸になり、つくりものの小説ではない歴史が見えるはずですが、惜しいことだとずっと思っています。

 

すべての人間が生きた個人史をもちます。しかし五感が捉えた膨大な情報量を文字に直すことはできないし、切れ切れに言葉を発したところで誰も聴いてはくれないでしょう。生まれた情報量は無限でも受け取る側の受容量には限りがあるからです。だから「語り得ぬことは沈黙しなければならない」という先哲の箴言が意味をもつのでしょうけれど、それにしてもフツーじゃない経験を沈黙の闇に置き去りにするのは惜しいなと…

2023.12.02記 つづく