海事つれづれ五目めし200507 塩の道(2

 

 

 

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伊勢物語

「かきつばた」を織り込んだ伊勢物語東下り」は全国の高校生が学びます。

   から衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

折り句、枕詞、序詞、縁語、係り結びと呆れるほどの技巧を凝らした和歌で、これと勝負できるのは「いろは歌」くらいのものでしょう。「東下り」は都の女を思い出しては、はらはらと涙をこぼす平安優男の歌物語ですが、それにしてもYouは何しに関東へ?

 

写真左の頁は、

   時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに雪の降るらん

雪の残る富士山が「塩尻のようになんありける」と円錐形の塩田に似ていることを連想した段です。恋をするにも先立つものは要るわけで男どもは「塩尻」から連想される製塩業で一儲け企んだのではないかというユニークな説があります。根拠はありません。

 

 

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新潟県笹川流れの塩工房「藻塩」130516

山と積まれた薪にご注目ください!

 

 

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「藻塩」の平釜130516

 

 

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製塩容器は底が平らになっています。蒸発させやすく、かき混ぜやすく、作った熱は逃がさないというコンセプトから生れた合理的な形なのでしょう。それが何であれ使い込まれた道具には意味があり見ていて飽きません。

 

ウチはトマト農家なのでワレが入って商品にならないトマトが山のように出ます。棄てるのは勿体ないので知人に回し、冷蔵庫に詰め込み、傷んだものから仕方なく廃棄します。一念発起してパスタ用のトマトソースに挑戦したのですが、トマトを刻んで寸胴に入れ、ガスが勿体ないほど時間をかけても煮詰まらないので困惑していたところ「寸胴ではだめだ。中華鍋を使いなさい」と教えられました。やってみると熱効率がまるで違うことに感動しました。ぼくはChinaの歴史を盲目的に解釈することに疑問符を持つ者ですが、と大袈裟な前提を置いた上で^^、中華鍋の曲線には敬服せざるを得ません。あの単純にして合理的な流線型には食に対するヒトの執念が詰まっています。

 

当節の厨房では電磁調理器が流行ですが、惜しむらくは中華鍋が使えないことです。日本の電気はぴたりと100ボルトで安定し余程のことがないかぎり停電しない優れモノです。その高品質の電気を熱に変えるのは愚かな行為だ。電気はモーターを回すのが一番だよと聞いたことがあります。以来ぼくはホットカーペットを使うことさえためらいがあり、エアコンも遠慮して夏場は扇風機5台でやっつけます。

 

元はといえば原発の深夜電力をどうするかという悩みに発し、電気温水器に始まってオール電化未来社会に入ったものの3.11のフクシマで日本人は目が醒めました。だからといって急に暮らしを変えるわけにもいかず、当面は火力発電で凌ぐ他ないのでしょう。山のてっぺんで風車を回し、美しい広葉樹の森を無残に剥いでソーラーパネルを敷きまくっても主力が火力であることに違いはありません。原発が復活したにせよ、そもそも原発は石油がなければ造れず、動かせず、廃炉後の管理もできません。長い目で見ればエネルギーの本命は石油であり、文明とは石油に浮かんだ楼閣です。21世紀の庶民は平安貴族も知らない贅沢三昧の食卓を囲んでいますが、ウチのトマトも含め、肉や魚を石油換算したら絶句し、食べ散らかすのはいかがなものかとまあ誰でも思うでしょうね。そのような遣り取りをしながら友人に「文明って何だろう?」と尋ねたら彼は「これって文明と呼べるのかね」と独りごちて横を向きました。

 

昔は反原発運動といっても生真面目な大学教授を囲み超長期で倫理道徳を問う場だったからまさか自分が生きている間にこの日本で事故があるとは誰も想定していなかったのではないか。集会ではお祭り騒ぎをやらかす連中もいましたが、そんなヤツらも事故はありえないことを前提に安定した社会に寄り掛かるハグレ者みたいなところがありました。1979年アメリカのスリーマイル島原発は間一髪で大事故をまぬがれましたが、忘れもしない1986年旧ソ連チェルノブイリ原発は炉心が曝露され、2011年のフクシマを迎えます。核事故は回り持ちみたいなところがあります。

 

韓国には4地域21基の原発があり、今の大統領は原発を止めると明言しましたが、それはまだ稼働しています。3.11のあとメディアに煽られた学校では休校措置がとられました。地域が放射能に覆われることと学校を休みにすることの間にどのような因果関係があるのか、ぼくにはよく分かりませんが、煽りやすく煽られやすい国の住民はパニックを起こしたようです。日本在住の外国人が続々と帰国していた当時、無理からぬことではありますが、それにしてもお前ら偏西風を知らんのか、風はこっちに向けて吹くんだぜと言いたかったですね、あの時は。China大陸、Korea半島、Russia沿海州と続く海岸線で核事故があればどうなるか。Chinaは原発を100基ほど増設するそうです。仮にコトがあったとして風向きを考えればコロナどころ騒ぎでは済まないかもしれません。

 

原発自然保護運動に首を突っ込んでいるとどうしたって思考が暗くなります。自然塩に関わっている人たちは、理屈っぽく語るか、体で感じるかの違いはあっても心のどこかで文明のあり方に疑念を抱き、別の生き方を模索しているように思われます。カネだけが目的なら仕事は他にもあるわけです。閑話休題、話が逸れました。

 

 

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稲藁の先から苦汁を落として塩と分離する130516

苦汁(塩化マグネシウム)は豆腐の凝固剤として使えます。それはラーメンを作るかんすい(炭酸ナトリウム)とは違うけれども似ているらしく苦汁で麺を打つこともできるそうだからラーメンファンの方は実験されてはいかがでしょう。ネットを渡り歩くうちに、うどんとラーメンの違いに気付き、腰の弱い沖縄そばにはガジュマルの灰が使われることまで知って目から鱗が落ちました。

 

平打ち太めの縮れ麺=喜多方ラーメン、豚骨スープとストレートの細麺=博多ラーメン。ぼくが中学生のころ木造校舎の修理手伝いをした日には必ず技術家庭の先生がお昼に出前を取ってくれた高知県宿毛市来々軒」のラーメンは半世紀を経て味も形もまったく変わらず客足も止まりません。ラーメンの本質とは何か、それは小麦のグルテン含有量なのか、かんすいなのか、水なのかよく分かりませんけどもB級料理とナメられながら鳥取県にはミシュランに登録されたラーメン屋があり、新横浜には世界初のフードアミューズメント「ラーメン博物館」まであるのだそうです。

 

こだわり始めたら塩であれ麺であれここまでやるかと呆れるくらい熱中するのがヤマト民族の特徴で、それは恐らく江戸260年の平和が生んだ町民文化に由来するだろうとニラんでいます。ぼくの興味はそこにあるのですが、真っ直ぐ江戸に向ったら学者という名の江戸オタクが徹底的に調べ上げているので書くより読んだがマシです。で、その周辺をうろうろしているうちに何かが見えるかもしれず、したがって話題は各所に散らばってしまいますが、ジョルジュ・スーラの点描画のように離れて見れば意味を持つ作文であればよいなと、、コロナが終息したら、とりあえずPeach石垣島に飛び、豚のスペアリブをどかんと乗せた沖縄ソーキそば屋に駆け込みます。(つづく)

200507記