海事つれづれ五目めし 200616 渚の温泉6 伝説の湧水(下)

 

 

 

 

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伊能忠敬wiki

ピカチュー案内板によるとすがる温泉には「日本地図の伊能忠高(忠敬)が休息に浸かったという伝説」があるそうです。

60年後に幕末を迎える文化5年(1808年)

1月15日に江戸を出立した伊能忠敬は大阪、淡路島、徳島を通り

4月21日に室戸岬

4月28日に「塩の道ウォーク」の終点旧赤岡町(現香南市)、翌

4月29日に高知市へ着き、さらに3カ月半ほどかけて

8月11日に松山へたどり着いています。

 

 

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伊能地図(大日本沿海輿地図)

皇居と東京大学に保管してあった2つの原図は失われましたが、アメリカを含め各地に分散していた図を集約した日本地図の見事なこと! これは実用の地図であり同時に人間の汗が結晶した絵画でもあります。本当に「すがる温泉」で旅の疲れを癒したかどうかは眉唾な気もしますが、歩かなければあの精緻な地図はありえないので今から211年前に伊能忠敬の一行がこの辺りを通って四万十川方面へ向ったことは間違いありません。

 

江戸時代にはこのような人が存在し、1800年56歳の年から74歳で他界するまでの18年間、学術を友とし全国津々浦々を歩き回った人生がありました。その距離たるや40,000㎞、およそ地球一周分にあたります。1日平均40㎞を踏破したというからお遍路さんもびっくりの健脚です。今でも不動産関係の人は自分の歩幅で簡易測量しますが、歩幅69センチの伊能忠敬は、なんと江戸と北海道東岸の往復3200㎞を歩測したというから凄いものです。世のため人のためという強い意志があり、それを許す社会的風潮があった江戸期の豊穣を羨ましく思うばかりです。

 

ちなみに近年ふと思い立って宿毛市から高知市までチャリで走破しました。佐賀・窪川間の急坂は折り畳み自転車を列車に乗せてキセルしましたが、それでも100㎞ほど漕ぎまくり、家に着いたらチャリのサドルを見るだけで尻が痛くなりました。しかるに鉄人レースは自転車で180㎞走り、前後に遠泳3.8㎞+フルマラソン42㎞があります。彼らは人間ではありません。

 

 

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葛飾北斎「鳥越の不二」浅草天文台

ネットに朝日新聞社が伊能地図と実際のズレをアップしていますが、転載はいかんと書いてあるので、ご感心のむきは下記URLへどうぞ。どういうわけか東北・北海道の経度が東にズレているものの緯度はどんぴしゃ、高知の沿海部は宇宙から見た図と同じです。大八車に測距儀を乗せ室戸から足摺岬まで引っ張りながら測ったわけですからえらいものです。

 

科学者の功績はその時代に何を追加したかで決まります。Google が世界地図を隈なくスマホに入れると聞いたときアメリカ人って途方もない夢を見るものだ、ウソだろと思いましたが、実現しました。今や火星の精密地図まで作られる時代ですが、そこに投下された人間の情熱という意味ではNASA の技術者も伊能忠敬も同じなのでしょう。

https://www.asahi.com/articles/ASL6176B2L61PTFC018.html

2006116記 つづく

 

 

 

 

高知の今

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浦戸湾岸の巨樹200514

 

 

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浦戸湾岸の巨樹200514

もしも東京都庁の入口ホールにこのような巨樹が立ち上がったら、、文明が袋小路に迷い込んだ今、次なるテーマを探るきっかけになるかもしれません。