ひとり旅 221222 日本所々(11) 承久の乱C  古今和歌集 土佐日記

 

 

 

 

 

古今和歌集(仮名)序

 

やまとうたは

ひとのこころをたねとして

よろづのことのはとぞ なれりける (以下略)

 

日本の和歌は

人間感情を核として

様々なかたちで概念形成してきた

(と現代語変換しておきます)

 

古今和歌集が成立したのは平安時代の913年ですから11世紀も昔の話になりますが、そこに詠まれた四季の歌、恋の歌、旅の歌、別れの歌...を今の高校生が原文で読み、大学共通試験に出題される国が他にあるものかどうか…いささかの内乱はあっても天皇という象徴のもとに奈良飛鳥の昔まで難なく歴史を遡れる国は珍しい、というか日本だけです。

 

幕末明治は多く政治軍事を軸にして語られますが、日本語の変遷でいえば、西洋の概念語を訳語として取り込んだ変革期に当たります。福沢諭吉西周といった人達が作った新造語をもって作家は小説を書き、哲学者は西洋由来の思想を語ったわけです。「業績」という言葉はおれが作ったと森鴎外がどこかに書いていました。

 

考えるとは言葉を組み合わせることであり

抽象的な思考には概念語を必要とします

 

では概念語を使わずに抽象的な思考が

できるのか? できないのか?

いわば両手を縛られたボクサーは

闘えるのか、闘えないのかと問われたら

( ここ井上尚弥vsバトラー戦をイメージ^^! )

ぼくは闘えなくはない、証拠は

古今和歌集仮名序にあると応えます。

 

 

古今和歌集(仮名)序

 

ちからをもいれずして あめつちをうごかし (中略)

をとこ をんなの なかをもやわらぐるは うたなり

 

力を加えることなく 天地物象を変容させ (中略)

男女の心をほぐし 関係を密にするのは 歌である

 

と、ぼくら現代人が漢語をつかって

堅苦しく思考する感情の動きを、紀貫之

やまとことばでさらりと描きました

背後に哲学を含む見事な一文です

 

 

高野切古今集「第三種」紀貫之筆   日本名跡叢刊 二玄社

 

左端「つらゆき」の歌は

思ひやる越の白嶺のしらねども一夜も夢の越えぬ夜ぞなき  (紀貫之)

 

越しの白嶺は知りませんが

あなたのことは夜ごと夢に見ていますよ

と友人を思いやった歌です

(残念ながら彼女ではないようです^^)

 

書棚の高野切影印本を久しぶりに手にとり改めて、すっきりした字体の仮名で綴られていることに気がつきました。当時の知識人は歌が詠め、かつ字がうまいことは絶対条件だったはず、というか階級上位の家庭に生まれ、普通に文字教育をされたら誰だってそれなりの歌は詠める、字も書けるはずです。にもかかわらず歌の名手=定家のカナクギ文字は何なの? というのが本段に及んだ理由でして…もうちょっと前後左右をうろうろします。

 

拙宅は紀貫之が「土佐日記」の船出をした浦戸湾へ歩いて2分、ぼくは国司紀貫之が滞在した南国市の近くで仕事をしています。娘を失った悲しみを歌に詠み、日本初の勅撰和歌集を編んだ知識人は、言ってみれば1100年前の高知県知事なので、それなりに身近な感じがしないでもありません。

 

駄洒落で歌を詠んだかと思えば嵐や海賊の出現におびえ55日かけて都へたどり着いた土佐の国司は「男もすなる日記といふものを女もしてみむとて」土佐発⇒京都着の旅日記をものにします。男が女に化けるとは何か? ひょっとしてつらゆきはアレかとおバカな話で生徒を釣る国語の先生もいるみたいですが、男は漢文という名の中国語で、女は純日本語の仮名で書くべしと二分されていた当時の書式に疑念をもった紀貫之は、外国語から日本語への回帰⇒仮名でつづる日本語の創生を目論んだわけでもあります。

 

その古今和歌集「高野切」は写本として現存しており、土佐の高知の元県知事・橋本大二郎さんは2004年に、その一部たしか1メートルほどを県費で購入しました。その年に展示会があったので出かけたところ雲母(きらら)を刷り込んだ立派な紙に水茎の跡もうるわしい「高野切」がガラスケースに陳列されていました。「へえ立派なもんだ。見事に保存されているのですね。まるで昨日書いたようです」とやや興奮して学芸員に話しかけると彼は気の毒そうな顔をして「いやこれはレプリカです。本物は別のところへ…」「~~! ざけんなよ本物見せえや」とは言わなかったですが、がっかりして戻りました。

 

それから18年後の今日、長く高知県庁に勤めた友人に電話で確認したところ「高野切を含め山内神社に保管されていた宝物の一切を県が買い取り第三セクターの形で保存している。(高知の殿様)山内家の子孫の好意で通常では考えられない安値で譲られたように記憶している」といった話でした。「あれって県費8億円も出したんじゃなかった?」「いやよく覚えていないけどそれほど高くはない。6億円? 5億円? しかも高野切だけではなく他の宝物一切を含めての値段だから通常の売買では考えられない話だ。お宝探偵団に提示したら途方もない値が付くだろう」等々いまとなっては昔の話ですが、その話はちょっとした秘話のようでした。

 

とまあごちゃごちゃ書きましたが

この段、定家のカナクギ流とはだいぶ違う

平安期の美しい仮名文字のご紹介でした

2022.12.22記 つづく