ひとり旅 200924  1984年のChina1  香港から広州へ

 

 

 

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香港1984

 

いよいよ追い詰められて部屋の掃除をしていたら何と

1984年に歩いた香港とChinaの写真が出てきました

二階建てバスは大英帝国の置き土産です

 

 

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香港1984

 

アパートの窓から突き出た物干し竿には

洗濯物が干されていたり

 

 

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香港1984

 

お店の看板が掛けられたりして、そう

ここは紛れもない香港です

 

狭い道を車が行き交い、頭上の看板が空間をつくる賑やかな街並みには見事な書体の繁体字が活きています。漢字本来の形である繁体字は今、台湾と香港にしか残されていません。戦後の日本が作った略字体は、悪くない出来だと思いますが、たとえば三島由紀夫が小説で使った旧字体に目が慣れると何だかなぁという感じがします。しかしその程度の差異を捉えてくよくよするのは贅沢な話なのでした。

 

 

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1984年の香港あるいは広州?

 

フェリーで珠江を上り、広州の港でよく分からないままバスに乗ったら広州駅に着きました。見上げた駅のでっかい看板は「广州」でした。初めて見る本気の簡体字を、たぶん口を開けて見上げた自分は愚か者の顔をしていたはずです。日本では廣を略して広とし、たとえば広島は何となく広い感じがしますが、ただの麻垂れを見てぼくらは何を感じ取ればよいのか?

 

キの字に横線を足して3本串のヤキトリにしたら何と読むかご存じでしょうか。答は「豐」豊です。簡体字毛沢東八路軍で使用されていた略字を元に創作されたらしく、豐の字はあまりにも画数が多いので毛の兵隊はヤキトリで代用したのでしょう。しかし略字で意思疎通したにせよ当時の中国人は元の漢字を知っており、簡体字の向こうに繁体字をダブらせて理解したわけだから本来の字義を見失ったわけではありません。問題は簡体字しか知らずに育った若い世代がどうなのかです。

 

ぼくは卓球の丁寧選手のファンなのですが、悲しいことに寧の字は心と四が抜けているのでした。ウ冠に丁でChineseのみなさんは漢字国のidentityを認識できるのかどうか。伊藤美誠が初めて勝って嬉し涙を見せた相手の劉詩ブン(雨冠に文)の劉は、文に立刀(旁のリ)です。劉邦の劉はかっこいいのですが、(文リ)でリュウではなんかパッとせんのですわ。余計なお節介ではありますが、こと漢字に関するかぎりわれら日本人はどうも気になるのです。

 

一説によると毛沢東は、多言語を擁する大陸の民を統一するには共通言語が要ることから、漢字を廃し、ローマ字表記にする腹案をもっていたようです。原理的な問題から実行されることはありませんでしたが、仮に実現していたとすれば、古代Chinaの漢文をせっせと読んできたわれら日本の善男善女は、ローマ字だらけの北京や上海を歩いてガッカリしたことでしょうね。

 

そのむかしベトナム朝鮮半島は漢字の国でした。どういう事情からかは知りませんが、今のベトナムは全てローマ字表記であり、街を歩いて漢字を見ることは滅多にありません。朝鮮半島もまた漢字を全廃しハングル表記にしました。ハングルはカタカナみたいな表音文字ですから、ハングルの陰に漢字が見える旧世代は問題がなかったにせよ、ハングルしか知らない若い世代はどうなのか、他国のことながら思うことが山ほどあります。

 

かつて我が家に日本でいえば高校生に当たるモンゴル人民共和国(外モンゴル)の女生徒が2人、1週間ほど泊まってくれました。ふたりが手分けしてモンゴル風の肉料理を作ってくれた晩、別れの記念に「あなたの名前をモンゴル語で書いてよ」と注文したらやや戸惑った様子でしたが、アラビア語が起き上がったような縦書きの文字を残してくれました。初めて見る手書きのモンゴル文字を眺め、よくもこの模様から意味が取れるものだと文字の魔法につくづく感心したことです。が、どうやら彼女たちが本来のモンゴル文字で書けるのは自分の名前くらいのもので通常はロシア語のキリルアルファベットを使うようです。

 

ジンギスカンの時代に世界制覇した大モンゴル帝国は今、ロシアと中国に挟まれ、内外に分断されました。China側の南モンゴル(内モンゴル自治区)は、チベット新疆ウイグル自治区と似た問題を抱えているようです。ネットを探ると新疆ウイグル自治区では、モスクは破壊され、ウイグル語は教育から完全に排除されたようです。かつて喜多郎シンセサイザーが甘く奏でた西域では今おぞましい事態が進行しており、大紀元、唐人テレビでは日本の新聞やテレビとはまるで違うニュースが刻々と伝えられています。

 

ネットのアーカイブを検索すると、数カ月前から南モンゴル(内モンゴル)では、教育の場からモンゴル語が縮小され、中国語が持ち込まれたことからモンゴル人による抗議行動が起こっています。言葉は民族identityの源泉です。違う言葉に入れ替わると人格も変わります。就任後の習近平国家主席が謎掛けした「中華民族の偉大なる復興」とは具体的に何を意味するのだろうとずっと考えてきましたが、答えのひとつが少数民族漢人化であったとすれば恐ろしい思いがします。

 

 

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香港から深圳へ 1984

 

という鬱陶しい話はさておき、なんせ昔の旅だから正確には覚えていませんが、香港から列車で深圳へ向かい、パスポートを提示すると、なぜか持参した金額を記入させられました。イミフなChina語の説明は無視し、たまたま同船した日本人女性2人組に寄り添って耳を澄ますと60万円という囁きが聞こえました。へえ金持ちなんだ、だけど若い女性は気イ付けた方がよいぜって思いながら10万円くらい入った財布と一緒に広州行きのフェリーに乗ったことでした。

 

36年前の深圳は田舎の村でした。今は高層ビルが林立する未来都市です。「行きたいか?」と訊かれたら「当時のChinaなら明日にでも!」しかし、トシのせいかコンクリートの林と煩雑なルールには興味を失ったので今のChinaは「う~ン」です。

 

タイ北部のチェンライに住む友人が、念願の「飛行機を使わずに日本へ帰る旅」をやってのけました。タイ→ラオス雲南省→たしか北京経由で丹東→北朝鮮をパスして船で韓国→日本という経路で無事ふるさと島根までたどり着いたそうです。地図に線を引き、そんなことならオレだってという声もありましょうが、あえて飛行機を使わずバスと列車でChinaを横断するのは、カネもかかるしヒマも要る。ネット情報で恐ろしげな話を聞かされるとぼくなどGo toトラブルに二の足を踏みます。

200924記 つづく

 

 

 

 

高知の今

 

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韮の花は散形花序です 200921

 

 

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青空市に新生姜が並びはじめました 200921

 

 

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キャベツの収穫はまだまだです 200921

 

 

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子どもが謎々で遊んでいました

パパが嫌いなものは? (       ) 200921

 

 

f:id:sakaesukemura:20200924055807j:plain芭蕉に実が着きました 200921

高知のバナナは食べられないですけどね

 

 

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お彼岸も終わり、また

せっせと働きませう 200921