ひとり旅 210121 China15  長春の帝冠様式 追手前高校 小津高校 東京都庁

 

 

 

 

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帝冠様式 満州国新京(現中華人民共和国長春市) *ウィキより

 

四角い箱に城を乗せた珍な建物は、時を経た今ひとつの時代を象徴しています。西洋ビルと日本の城はちぐはぐな組み合わせにすぎないのか、それとも広い大地にぽんと置かれた建築が風景と似合っているかどうかは自分の感覚で感じ取る他ありません。満洲国における和洋折衷の建築は、多くは取り壊されたにちがいありませんが、一部は残っているはず、いつの日か大連から列車に乗って北へ上がり、写真では伝わらない現物の迫力を自分の目で感じたいものです。

 

もしも今のChinaが20世紀のChinaであったらリュック背負って明日にでも出かけますが、中国通の農業学者、川島博之があらわした「24時間を監視され全人生を支配される中国人の悲劇”習近平のデジタル文化大革命”」2018年発行を読んだころからChinaイメージが変わりました。やがてトランプ大統領による米中貿易戦争が始まり、武漢発のコロナウィルスが蔓延し、その後の展開に目を晒すうちにぼくの心にあった豊かなChinaイメージは瓦解しました。

 

 

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高知県立追手前高校 *ウィキより

 

校舎中央部に立つのは北海道大学を思わせる時計塔、ビルの頭に和風屋根が乗っかった帝冠様式です。西洋由来の建築の魅力は天井の高さにあります。隣接する土佐女子高校4階部は追手前高校の3階にあたるので、現行標準の天井高を2,500㎜とすれば、追手前高校はざっくり3,300㎜強の天井高をもちます。この高さは圧倒的で廊下を歩くと高さにひかれて背が伸びるような気さえします。

 

 

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高知県立小津高校 *ウィキより

 

この手の建物は高知にふたつしか残っていません。そのひとつが小津高校です。「小津と追手前ではどちらが面白いですか?」と建築家に尋ねたところ「造りとしては追手前が立派だけど面白さで言えば小津ですね」という感想が戻ってきました。三つの屋根をもつ門柱はどこか愛嬌があります。入口ホールは一橋大学のようなロマネスク様式の丸みをもち、正面外壁にデザインされた2本の尖塔が景を引き締めます。道路脇から校舎を眺めて目で遊べる学校はそう多くないでしょう。

 

津高校は東大安田講堂とほぼ同じ時期に建設されました。半円形の同校入り口ホールと尖りアーチの安田講堂入り口ホールを比べ「どちらが好きか」と問われたら迷わずぼくは小津と応えます。かれこれ1世紀ちかく立ち尽くし無数の若者が出入りした石のホールに落書きはありません。中には変なヤツだっていたろうにヒトの悪意を誘発しなかったのは石と形に力がこもっているからでしょう。ホールから廊下に踏み込むと天井の高さがガンときます。

 

1990年代に小津高校を新築する案が出ました。この建物は残すべきとする建築家は、コンクリートの強度を調べ、補修案を提示しました。どうしても新築するのであればこのような案はどうかと暇を盗んで概念図を描いた建築家もいます。建築家は新築するのが仕事なのに古いものを残したのでは、おまんまの食い上げだぜとからかわれながら頑張りましたが、侃々諤々の議論の末、中央部を残して新築することになりました。その結果が写真左部に見える新旧の接合部です。時代の要求に合わせて建物は形を変えざるをえませんが、追手前高校も東京大学も補修しつつ残存するのだから小津高校だって違うやり方があったろうにとの思いが消えません。

 

当時、市民運動の仲間が椎名誠を呼んで講演会を開きました。氏はみずから小津の教室に入って確かめたらしく、自分の声が壁から戻る残響に触れ「この感覚がいいのですよね」と空間を音で説明するのを聴き、なるほどそんな論点もあったのかと目から鱗が落ちました。

 

赤門を潜った東京大学では今もネオゴシックの建築が現役です。ご関心のむきにはぜひ革靴で立ち寄り、廊下を歩く踵の振動が壁から戻ってくる感覚、できれば講義中の教授の声が壁や天井に反射して耳にどう伝わるかを確認されるのも一興かも。予想として、ヒトの声を正確に聞き分けるという機能主義でいえば、天井に吸音材のない古建築は残響が強すぎて問題が残るかもしれません。しかしヒトはいつも真剣勝負をしているわけではないので、コントラバスの低音部のような響きに包まれて、ぼんやりものを考えるのも悪くないでしょう。そのあと銀杏並木のベンチで彼女とお弁当を分け合ったりすると充実した一日が過ごせます^^いらんことでした。

 

津高校には残せ・壊せ論争の時代から、旧館正面の両脇にとりたてて興味をそそるものがない新造建築を挟んだ現在まで、自分なりに関わってきましたが、何はさておき天井高が殺されたことが残念です。やや唐突ですが、東京都庁の入り口ホールは、おっとこれがたまるかというほど贅沢な空間が広がっています。他の室はどうなのかと某編集長に問い合わせたところ「展望室、職員食堂、もちろん厚化粧の○○がふんぞりかえる知事室はそりゃもう立派で天井もドーンと無駄に高い造りになっていますが、それ以外のオフィスは割と普通じゃないかと思います」という返信が届きました。添付写真を見ると天井高はたぶん標準規格の2500㎜だからバスケット選手がジャンプしたら両手が天井板を突き抜けてネズミが目を丸くするかもしれません。

 

 

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ノートルダム大聖堂 *wikiより

 

東京都庁の元ネタらしい13世紀の建造物は2019年に焼失し世界の人々を悲しませました。むかし北アフリカはモロッコからドイツに向かう途中パリに立ち寄ったことがあります。ルーブル美術館ギリシャ館に2日通っただけでエッフェル塔ノートルダム大聖堂も見ず、いつか又と思っているうちに武漢ウィルスがLCCを破綻させ貧乏旅行を止めた今つくづく後悔しています。赤い炎を背景に大聖堂の背後を支えるフライングバットレスの曲線が見えたときオレみたいな者も泣きそうになりました。当時の技術では外壁の強度が取れないので脇から突っかい棒を当てたのがバットレスであり、美しさを演出するために不要な形を持ち込むのではなく、必要が美と調和した建築本来の造形です。

 

ぼくごときがこの大建造物に対して言葉を置くとバカみたいだからやめますが、建築家といっても無から有を生ぜしめるわけではなく、過去と現在は密接に絡みます。似ていようがいまいが、それは建築家にとって大した問題ではないのだろうと思います。高知県庁と高知市役所は丹下健三の匂いを感じさせる空間です。高知の官庁街を歩きながら東京都新宿区にドカンと立ち上がった”バブルの塔”を空想するのも悪くありません。

 

ついでに申せば、東京都庁には「宇宙からのメッセージ」と題するオブジェが置かれています。その彫刻家、速水史朗は高知市中央公園に「龍馬とお龍」と称する卑猥な造形を残しました。よさこい鳴子踊りに来られた皆さまには御目に触れることになりますが、これを見て何を思われますやら、、庵治石で有名な香川県にはイサム・ノグチ庭園美術館があり、巨石という抽象が孤高の風情で佇んでいます。かたや速水の造形は劣情に媚び意味を知る者には不快です。これが東京都庁に置かれていたら物議を醸したにちがいなく、つくづく高知は舐められたものだと~~!

210121記 つづく

 

追記  気がつけば今回の写真は全部wikiからパクっていました。市内の写真はバイクで走ればすぐ撮れますが、そんな暇さえない状態です。ノートルダム大聖堂の高解像度写真はロックが掛かっているようですがこれは低解像度ですから問題ないかと。たぶん他も。市内分はいずれ差し替えます。

 

 

 

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We will be back in some form.という言葉を残してトランプ大統領が退任しました。今まで地球の裏側の選挙に感心を持つことはなかったのですが、今回は日本の近未来に直結するのでずっと注目しています。SNSを含む全米のメディアが公平性を逸脱した斜め記事を書き、それをコピーした日本メディアもバランス感覚を失ったようであることに恐ろしい思いがしました。戦後76年を経てパクスアメリカーナが今日終わったような気がします。