ひとり旅 221021 バイク編(その3 2016年のフクシマ  藤田祐幸  China  太陽光

 

 

 

 

 

 

福島県飯館村長泥長地区の浸入禁止区域のゲート 2022.07.31

 

2022年現在

フクシマの道路は

ほぼ通行可となりましたが

まだ例外はあります

 

 

長泥地区浸入禁止区域手前の森の木の下  2016.10.02

 

事故後4年目の2016年

除染作業をしている友人の案内でここに来ました。

ロシア製の線量計が手に持つ高さで赤くなり

木の下に置くと5.67μシーベルトを指しました

ここを定点観測地とし

 

 

長泥地区浸入禁止区域手前の森の木の下 2022.07.31

 

事故後11年目の今年は

何度測っても2.5μシーベルト前後でした

セシウム137の半減期は30年なので除染作業と合わせ

多少は減衰したのかなとも…

 

そのむかし慶応大学の藤田祐幸先生に「半減期30年のセシウム137の放射線量が問題ないレベルまで下がるには何年かかるか?」という質問をしたところ「半減期を10回も繰り返したら安全といえるかもしれませんね」と…30年×10回は江戸時代です。先生は1986年のウクライナチェルノブイリ(チェルノーブル)原子炉事故のあと長くしつこく食品の放射能検査をやっていましたが、幸い慶応大学から届くニューズレターに有意の数値はあらわれなかったです。

 

余談ながら講演会の垂れ幕に「藤田祐幸教授」とあったのを見上げた先生は苦笑いし「私は教授ではありません。反原発をやっていたら教授にはなれません」とのこと。たしか先生は講師身分のまま退職し長崎大学へ移ったころフクシマの事故が起こり「もはや私にできることは何もありません」と嘆きつつ物故されました。

 

除染作業員の友人と組んで高知県梼原町で小さな講演会を開きました。放射性物質の「除染」とは具体的に何か? やっている当人が肌で感じた矛盾を語りたいというからオレひとりが聴くのも勿体ないし座談会でも開こうやということで、ペーパーを作っていたとき小泉純一郎反原発論が目に留まりました。原発推進者たる元首相がフクシマ後、反原発に転身し、核の論理を政治の言葉で分かりやすく否定した講演録です。橋本大二郎高知県知事の「それほどまでに国のことを思うのであればカネの話はするな」という磨き抜いた政治言葉と合わせ、やっぱこの人たちアタマいいわと感心しました。抽象語を操って得意がる大学生レベルではありません。

 

しかしながら小泉・橋本両者には、原子力を否定したあと「代替電源」をどうするか、既に発生した「放射性廃棄物」をどこに置くかという差し迫った課題への説得力ある対案がありません。政治家だから対案をもたぬわけはありませんが、それを数秒で語ることは難しいのか、そもそも語りようがないのか…

 

 

福島県飯館村  2022.07.31

 

フクシマ後ソフトバンク孫正義が社員だか友人だかの前で「津波の跡地に太陽光パネルを敷こう」日の光を受けて電気をつくる。放射能もCO2 も出さない。素晴らしい発電所だろ!?と提案しました。今となっては全国至る所にソーラーパネルが敷かれ、風車が廻り、光と風が電気需要を支えるかの勢いですが、待てしばし

 

ちょっと考えれば分かることです。太陽光発電は、使い方によっては有効ですが、不安的な発電だから支えが必要であり、出力規模において火力や原子力の代替電源とはなりえません。ソーラーパネルはCO2 を出さないと言っても製造、運搬、設置には火力水力原子力⇒石炭石油でつくった電気が要ります。

 

ソーラーパネルの大生産国たるChinaは石炭火力の国でもあります。地球の空はつながっている⇒黒煙を上げて無公害のパネルを作るだなんて冗談だろ? ウイグル他の奴隷労働も問題だ。きれいな森を剥いで黒い板を貼り、田んぼを塞いでパネルが並ぶ風景は美観を壊します。

 

そのパネルを戸建て屋根に張ることを義務化しようとする東京都知事は、Chinaに環境保護の(真実とはいえない)名誉を与え、日本のカネをChinaへ流す亡国の思想に囚われているのかもしれません。▼その辺りの問題に目をつむればソーラーパネルは、一時的には有効な発電になりますが、耐用年数を終えた20年後にどのような風景が見えるかは想像したくないですね。

 

じつは20年ほど前から拙宅の屋根にも畳1/4ほどのソーラパネルを1枚張っています。実験的に床下送風の小さなモーターを2つ回しているのですが、20年間回りっぱなしのモーターと合わせ、けっこう長持ちするものだと感心してはいるのですけど…

 

2022.10.21記 つづく