230212 ひとり旅 日本所々(20) 承久の乱L   マルコポーロ コロンブス 頭ヶ島天主堂

 

 

 

マルコポーロ   ネットより

 

マルコポーロ(1270~1290)の「東方見聞録」によると「ジパングは~大陸から1500マイル離れた大きな島で、住民の肌の色は白く礼儀正しい。また偶像崇拝者である。島では金が見つかるので彼らは限りなく金を所有している。しかし大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、そのため法外の量の金で溢れている」「その島の国王は大宮殿を所有している。その建物は私たちの教会が鉛で覆われているように、すべて純金で覆われている。宮殿の窓は金で飾られ、細工が施されている。広間や多くの部屋の床には、黄金の板が敷かれ、その厚さは指2本ほどである」(東方見聞録より)

 

指2本⇒ツーフィンガー

琥珀色のウイスキーから連想された文句かも

どや? 金ピカの宮殿だぜ、わくわくさせるじゃねえか

といったニュアンスなのだろうと思われます

 

地球が丸いことさえ知らなかった時代の冒険家が

われらのジパングに怪しい夢を乗せたわけです、が

当時の日本の金産出量から見て

まんざら出鱈目でもなかったようです

 

 

コロンブス ネットより

 

カッコ良すぎのマルコポーロに対し

コロンブスの内面を抉った肖像画

刑場へ引かれる囚人のごとくです

この陰気な瞳をじっと見つめていると気が滅入ります

 

マルコポーロの生誕より181年遅れて現れたコロンブス(1451~1506)は「東方見聞録」を愛読していたらしく、バスコ・ダ・ガマの成功に刺激され、地球は丸い⇒インド(東洋)に向かうなら西側から回るべしと大西洋横断を決意したのでしょう。学校教科書ではアフリカ経由でインド(東洋)に達したバスコ・ダ・ガマが香辛料をもたらしたことからコロンブスもまた香料群島を目指したことになっていますが、どうやら彼はインド(東洋)⇒黄金の島(ジパング)を狙っていたようでもあります。

 

 

コロンブスの航路 ネットより

 

マルコポーロが中国で書いた”ホラ吹き見聞録”に刺激され、いよくに(1492)燃えたコロンブスは西に向かい、いわゆる「新大陸」を発見します。ぼくが高校生のころコロンブス大航海時代の先駆けであり、歴史を切り拓いた英雄だと習いましたが、それは白人の論理であり、新大陸の先住民にしてみれば迷惑な話であってウィキペディアには以下の記述もあります。

 

1495年、3度目の航海に出た「コロンブスは~インディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は以後10年間、欧州人が繰り返した殺戮モデルとなった」「コロンブスカリブ海諸島で指揮した行き当たりばったりの大虐殺は”黄金探し”を使命としたスペイン海軍によって体系化され、あらゆる部族の子供以外のインディアンが、3カ月以内に一定量の黄金を差し出すよう脅迫された。金を届けたインディアンには”スペイン人に敬意を表した”という証として、その男女に首かけの標章が贈られた。金の量がたりなかった者は、男だろうと女だろうと手首が斬り落とされた」wikiより

 

スペイン出身のカトリック司祭ラス・カ・サスが1552年に著した「インディアスの破壊についての簡潔な報告」には南米におけるスペイン人の残虐非道な行為が「簡潔」どころかしつこくあからさまに描かれています。「報告の内容は、スペイン本国や植民地で賛否を呼んだ。内容が恐ろしいために、事実だとしても出版するべきではないとされて禁書となり、ラス・カサスは植民者や本国の征服支持者から批判を受けた*」wikiとあります。(書棚にあるはずの岩波文庫が見当たらないので原文引用は控えますが、残虐行為を限界まで想像していただくと概ね正解かと)

 

人間を動物のごとく扱った白人の蛮人がおり

同時にラス・カ・サスのごとく普通の人間感情をもつ

白人司祭だっていたことの証明でもあります             

 

 

フランシスコ・ザビエルの行路  wikより

 

1549年鹿児島に上陸したスペイン出身のカトリック宣教師フランシスコ・ザビエルは概ね好ましい人物として描かれていますが、ザビエル個人の意図とは別に彼を送り出した国家には悪意が隠されており、愛と天国を説く布教活動と勢力拡大にまつわる争いの歴史は隠し絵のような二面性をもちます。

 

 

五島列島福江島三井楽 墓地の朝  2020.08.30

 

五島列島にもコロナの感染者(陽性反応?)が出た年

島の至るところで立派な教会を見ました

おっとこんな辺鄙な所にも教会があるかよと驚かされながら

中通島若松島福江島の細道をバイクで走ったときの一枚です

 

 

頭ヶ島天主堂 2020.08.25

 

福江島には田んぼも畑もありますが

中通島若松島に農地と呼べるものはありません

その中通島に橋で接した頭ヶ島

とても暮らしが成り立つとは思われない谷間に

小振りながら驚くほど立派なカトリック教会があります

 

 

頭ヶ島天主堂 2020.08.25

 

1873(明治6年)のキリシタン禁令解除後

十数年の歳月をかけ1919年(大正8年)に完成した

日本唯一の石造りの聖堂です

 

 

天主堂内部 案内板より 020.08.25

 

頭ヶ島天主堂は2018年

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

として世界遺産に登録されました、が

ぼくはユネスコの権威には興味がないので

自分の頭で建物とその建設過程を想像しました

 

 

頭ヶ島天主堂のルルド 2020.08.25

 

五島列島の至るところにルルドがあります

お美しいマリア様を見上げ賛美歌に包まれた島民が

カトリックに帰依しても何の不思議もありません

 

というより隠れ(潜伏)キリシタンが島に入植し

明治6年に禁令が解除されて以降、島内各所に

堂々と教会が建設されました

 

 

頭ヶ島天主堂 案内板より  2020.08.25

 

1925(大正14年)

旧まかない部屋建設のため

「レンガ運びに汗を流す信徒たち」

 

大正時代だからそれなりに機械も技術もあったのでしょうが、絶海の孤島に教会建設を思い立ち実行した信徒の執念に驚かされます。思いますに教会施設そのものより、むしろ信徒が力を結集し、建設するプロセスそのものが大いなる宗教行事といえるのではないでしょうか。祭りも祀りも詰まるところヒトが集まることに意味があるからです。

2023.02.12記 つづく