ひとり旅 230717 四国所々➁ 出羽島
2023.07.02
徳島県牟岐港から巡航船で15分ほど走ると出羽島に着きます。定員70名の船に行きは3人、戻りは1人。片道200円の旅でした。島人口は(なぜか巡航船の定員と同じ)70人だそうですが、港を取り巻く集落をぐるりと歩いて島人には5人しか出会わなかったので実人口はわずかでしょう。島に店はなく子どもの声も聞こえません。
港北側から巡航船を望む 2023.07.02
ぼくら高知の人間はカツオと聞けば、佐賀の明神水産や中土佐を舞台にした「土佐の一本釣り」を連想します。いずれも小型の機械船に乗り、生きたイワシをナブラに撒けば、ざわめく海面から飛び出たカツオが宙を舞う男の仕事です。が、時代とともにカツオ船は大型化し、漁場を求めて南洋へ向かい、巻き網で群を一網打尽にするようになって漁師の姿は小さくなりました。
出羽島は「江戸後期から昭和前期まで鰹漁の隆盛に伴って拡大した漁村集落wiki」とあります。漁師の仕事を労働価値説でいえば、大型船の網に巻かれてギュウギュウ詰めにされたカツオより、櫓漕ぎの和船をあやつって一尾一尾にヒトの労力を詰め込んだカツオの価値が高いことは言うまでもありません。
カツオは縄文遺跡からも発掘されるそうです。丸木舟を漕いだ縄文漁師のプリミティブな釣り道具に引っかかるくらいなので海にはカツオが湧いていたのでしょう。カツオは鎌倉時代の徒然草にも登場します。「この魚、己らの若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」(第119段)とあります。
「オレらが若いころはカツオなんぞという魚はちゃんとした身分の人間が食べるものではなかった。しかし世が移れば」…と兼好特有の懐古趣味で語られます。とすれば高知を代表するカツオも当時は高級魚ではなかったようですが、待てしばし、
タイムマシンで兼好法師をお連れして、取れ取れのカツオを藁火であぶり、薄切りの新タマネギとワケギの細切りを乗せ、わずかな臭みは生ニンニクで消し、土佐酢を使ったタタキのタレをぶっかけて、サントリー又はエビスの新作ビールで乾杯したら幸せですよと申し上げたいところです。
蔀帳づくり 2023.07.02
カツオで稼いだ漁師が蔀帳(ぶちょう)という名の雨戸を作りました。観音開きを横にした形で上半分は軒に引っかけます。狭い路地を有効利用するため軒先に縁台を置き、ぢっさまばっさまが腰を下ろして世間話に花を咲かせ、ときに小さなお店を開いたりしたのではないでしょうか。
曲線のお洒落 2023.07.02
蔀張の支えに強度を与えるだけなら
三角板を突っ支いにすればよいのですが
それでは寂しかろうという時代の気分が
唐草っぽい波模様をつくりました
連子窓 2023.07.02
風をふせぎ視線をさえぎるためなら単純な板張りにすればよいのですが、それでは殺風景です。長い年月をかけて磨かれた木材は年輪が縦の線を作って美しく、目を凝らせば上部の欄間?に水鳥が泳いでいたりします。これを切り取って京都の町屋へ運んだら違和感なく溶け込みそうです。
拙宅近くの漁師町御畳瀬にも連子窓があり
そこに嫁いだ何代目かの主婦が、暮れも押し迫ったころ
せっせと磨いているのを見たことがあります
天然の素材は古いほど味が出ますね
巡航船の荷物を待つネコ車(手押し車) 2023.07.02
島にはバイクも自動車もなく
路地にエンジン音が響くことはありません
その昔、改革解放前の中国昆明のホテルで
深夜に荷車を挽く馬のひづめの音を聴きました
なぜか懐かしく遠い記憶がひき出されるような気がしたものです
ヒトの微かな足音にも機械音とは違う何かがありますね
標高76mの灯台から津島、大島を望む 2023.07.02
島の森にスギ・ヒノキの植林はなく
おのがじじ土地の樹種が光を浴びて
バイキンマンの隠れ家みたいな森をつくります
樹木を訪ねてあちこち周りましたが、原生的な森は
もはや島にしか残されていないように思います
巡航船の船着場から森を見る 2023.07.02
画面を拡大すると山の斜面に物見台が見えます
その周辺に実を付ける木を植え「食べられる森」として
売り出そうという人があらわれました
元青年海外協力隊の発案だそうです
うめ 2023.07.02
ざっと数えて
キウイ レモン 黒いちご スイートアリス
タイサンボウ グァバ ブルーベリー
びっくりグミ ワイルドストロベリー
西洋グミ プルーン…等々
どっさり植わっています
これが実をつけたころ
また訪ねようと思っています
2023.07.17記 つづく