ちょっと道草 210218  写真で Go to西表島(3  独居おじさんから四国遍路へ

 

 

 

 

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白浜にて 140423

 

フランス語には母音、鼻母音、半母音をあわせて19、ドイツ語には母音、二重母音をあわせて11もの母音があるそうです。日本語の母音は5つであり、沖縄語は「アイウの3母音しかないというのは間違い」だそうですが、まあ言語学者の細論に付き合う暇はないので、とりあえず先島諸島の母音はアイウの3つということにしておきます。すると上記地図の内離島はウチバナレ島ではなくウチバナリ島と読むのが正解であり、地図にもUchibanari Islandとローマ字表記があります。

 

 

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内離島 140423

 

白浜港から目と鼻の先にあるウチバナリ島は無人島ですが、じつはフランスのメディアで紹介されて有名になった(笑いものにされた)Free Chinの独居おじさんが住んでいました。「住んでびっくり西表島」2006年出版を書いた山下智菜美女史は大胆にもこの変なおじさんに面会しています。それから16年が過ぎ、おじさんはおじいさんになったはずだが、今も内離島に居るのだろうか、あるいはと縁起でもないことを考えながらネットをさぐると猥褻物Chin列のツミを得て無人島を追っ払われ、別の地に移ったが、ここも追われそうになって可哀相だという2018年の記事がありました。(例によって正義の味方然とした記者が可哀相なおじいさんに愛を注ぐ涙物語ですが、行政の立場から見ればふざけんなよって感じの記事です)

 

 

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南風見田(はえみだ)の浜から見た

新城島(あらぐすくじま)170701

 

与論島宮古島波照間島のように

南西諸島には山のない島が多くあります

山だらけの四国からやってきたぼくなど

平たい土地にポンとおかれると

自分がどこにいるのか分からず不安になります

 

西表島の南側、大原港から鹿川につづく南風見田の砂浜にはキャンプ場があり、今もテント暮しをしている人たちがいます。観光ではなく長期滞在組わかりやすく言うとヒッピーみたいな人たちの溜まり場ですが、気安く声をかけるのは憚られました。生き方は人それぞれですから、それぞれの過去を抱えて今ここに在るわけだし、彼らが公序良俗に反することをしたわけでもないので島の行政は、迎えるというほどではないにせよ多少の利便を提供しています。何といっても人口密度が薄いことから、事情のある人たちがひっそりと休む場を与えられた西表島は、都市にはないおおらかさを感じます。いつか自分もと夢見ていますが予定が狂ってそれどころではない後半人生になりました。だから写真でGo toです。

 

 

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南風見田の浜木綿 170701

 

むかし西表島の南側、鹿川湾にも独居おじいさんが暮らしていました。南風見田のキャンプ場から砂浜を渡り、干潮時に岩場を上がったり下がったりしながら行けばたどり着ける距離だと聞いたので途中まで歩いてみましたが、こんな所で足を踏み外して動けなくなったら一巻の終わり、観光に来てバカをやる理由はないので、途中で引き返しました。

 

 

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夜咲く花はサガリバナ170709

 

歩いて分かったのは、ここの独居おじいさんの棲み家は人里から遠く、彼を訪ねるなら、目的をもって歩くか、小舟で海から入る他ないということでした。行政の人たちはそれなりに気にかけていたようですが、好んで独居する世捨て人に特段の配慮をしたわけでもないようです。これが自由の国USAなら住むのも自由、飢えて死ぬのも自由だから問題ないでしょってことになります。ただ見取りとその後は行政が手だてする他ないので、あの世へ行く人にはこの世の責任が残ります。

 

 

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蟹の潜望鏡 130919

 

いまの四国遍路は明るく語られます。観光遍路も健康遍路もみんないらっしゃいという次第で、ケチなことを言わないのが弘法大師のえらいところであり、四国巡礼が1200年も続いた理由なのですが、遍路は本来、死出の旅路であったはず、今でも白装束のお遍路さんはこの世と違う世界の住人として距離を置いて見られます。それはロジックではなく感覚の問題なので文字にすることはできませんが、白衣(はくえ)でコンビニに入ったり、コンビニの中で白衣に出会ったりすると、誰も顔には出さないものの言いようのない違和感を覚えますね。

 

 

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マングローブの膝根 仲間川 170701

 

四国を死国と縁起でもない文字に置き換えてホラー小説を書いたのは高知の板東真砂子です。行き倒れを覚悟で”死国”に入った漫画家黒咲一人は、幾ばくかの金を包んだ封筒を呑み、不時の際はこれでよろしくと一筆認めた上、全財産を積んだ中古自転車を押しました。88箇所を歩き終えて描いた「55歳の地図」は、おれら高知の住人にとってはご近所物語でもあり、あの事かこの事かと思い当たるフシが一杯あります。次作の「55歳の地図~虹の峠から~」は鉛筆の原画をネット配信していることから紙の出版には至らなかったと見えます。おそらく筆者はそこで筆を折ったのでしょう。

 

 

 

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その後の行方が気にかかっていたのですが、今たまたまネットを検索すると高知県幡多郡の遍路宿で働いているようでした。四国4県の内なぜ高知か、なぜ幡多かと考えるとき、ぼくの地元であることとは関係なく、なんとなく分かる気がします。幡多は東京からの時間距離が全国一遠いところです。したがって田舎の中の田舎であり、昔ながらの風俗習慣が人の心に残存しているのかなと思ったり、、

 

ずっと前の話ですが、遍路道にある三原村の村長さんを囲んで飲んでいると自宅に遍路を泊めた話になりました。様々な事情を抱えた人を自宅に迎えるとなればリスクが付きまといます。見も知らぬ旅人に居室を提供し、お風呂はこちら、ご飯をどうぞという究極のお接待ですが、悪意をもって想像すればその遍路は、お金に困っている人かもしれず、感染症の持ち主かも知れません。そのリスクを押して接待することは勇気の証であり、より高い功徳をほどこしたことであり、聞き手の尊敬を集められて嬉しい、、というエグイ話ではなく、なんとなく昔から続いてきた習慣にすぎないのでしょう。

 

別れてしまえばそれで終わりなので「接待」は対価を求める行為ではありません。ただし良いことをしたという安心感は自分の心に残ります。お寺を巡って四国を廻る奇異な行為と、それを迎える道端の人々の間には何となく通じ合う信頼関係があるにちがいなく、その微妙な感情の交流が宗教の本質かなと思ったりします。思わぬところから話が高知に帰ってしまいました。次回また西表島に戻ります。

210218記 つづく

 

 

 

# # #日本の今# # #

201231号、210201号ひとり旅で「PCR検査には問題がある」とする井上正康医師の提言を紹介しました。下記松田政策研究所によると1月22日付けで厚労省はひそかにPCR検査の感度を落とす(40~45サイクルを30~35サイクルに落とす)通達をしていたそうです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=mCZripRXZUE

 

2月17日付けJapan Dataでは「新規感染者数11日連続で2000人以下、東京の新規感染は378人、500人以下の日が11日間連続している」とありますが、「陽性者を感染者としてあぶり出す」PCR検査の感度を落とした(正常化した)のだから当たり前、これをGo to中止など自粛要請の結果と混同してはならないとのこと、全くその通りだと思います。「感染抑止に成功した」台湾は最初から30~35サイクルで行っています。

 

前号のコメ「気の毒なほどまわりに謝罪した」方が、高い感度でPCR検査を行った結果たんに陽性反応が出たに過ぎず、無症状ないし風邪ていどの症状であったとすれば、その方はとんだ茶番に突き合わされたことになります。コロナは感染力の強い風邪とする井上正康医師によると「桜のころ」には落ち着くそうです。

 

以下は私の「陰謀論」です。眉に唾してどうぞ(^^

ワクチン販売の世界展開が一段落したらコロナ騒ぎは収まる。人類が初めて経験する遺伝子ワクチンの筋肉注射は、段詰まった欧米白人国が覚悟を決めてやればよく、日本人が急ぐ理由はない。そもそも遺伝子ワクチンは軍事技術として開発されたものであり、後遺症がどうなるかは次の世代まで観察せねば分からない。医者が打つなら総理以下国会議員も同時に打つべし。同調圧力をもって全国民に強要するなら日本は独裁国になる。急ぐのはオリンピック経済と関係があるのか?

 

ついでに言えば今次米選挙で流行った「陰謀論」にはコロナでトランプをやっつけた後バイデンが成功した証に感染者数を下げる手だてが打たれるだろうというのもありました。何が真実か分からない時代ですが、今日の日経新聞コロナ報によると高知のコロナ死者数は(年齢不明)17人。風邪死インフルエンザ死の記述はありません。高知県だって人口75万人もいるのですよ。選手交代しなかったら若い子が困りますがな~~!

 

ちょっと道草 210213  写真で Go to西表島(2  白浜のトビハゼ

 

 

 

 

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西表島白浜民宿の晩のおかず140422

 

さばいた魚のいらんところは海にポイ

それは距離ゼロの食物連鎖であり

究極の地産地消であり

地方が都市に優越する所以でもあります

 

 

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蛤ではありません140422

どデカ蜆です!w

 

蓋を開けると身は小さいのですが

水がいっぱい溜まっているのは

干潮時をやり過ごす知恵だそうです

 

 

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白浜 140422

 

左が民宿

中央が白浜小学校

丸い屋根は体育館

ここは台北より南にあり

もうひと息で北回帰線です

 

 

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白浜小学校下マングローブ(ヤエヤマヒルギ)  170708

 

焼失したノートルダム寺院バットレス⇒突っかい棒の建築芸術はヤエヤマヒルギの蛸足を模したものというのは根拠のないボク説です^^! 細い足がつくる三角形は、雨ニモ負ケズ海ノ潮ニモ負ケナイ天然自然のトラス構造であり、つくづく造化の妙を感じます。

 

 

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ヤエヤマヒルギの根元にいたトビハゼ 170708

このあと彼は忍者になります

 

有明海のムツゴロウを小さくしたようなミナミトビハゼ⇒地元語でトントンミーは、干潟の土を尻尾で蹴って結構な幅をジャンプします。*wikiには、体を「つ」の字型に大きく曲げ、それを強く振り出して跳躍するとあります。水の浅い干潟でぴょんぴょん飛び跳ねるトビハゼは何度か見ました。ムツゴロウも似たような移動の仕方をします。

 

ところが、このトビハゼは人の気配を感じると、体を水面に立て、尻尾を櫓にしてしゃしゃっと水路の向こう岸に渡るのでした。思わず目をこすって何度も見ましたが、和舟の櫓が水を斜めに切るようにジグザグの波紋を残して立ち泳ぎします。かつてNHKアマゾン川編でトビハゼよりずっと大きい魚が、そのような泳ぎ? というか逃げる姿をビデオが見事に捉えていました。その映像を思い出しカメラを構えましたが、なんせ一瞬の出来事なので写真に定着させるのは至難の業です。本気で撮るなら一眼レフに特殊なレンズを付け、テントに身を隠し、根性据えて待つほかありません。勿論そんな機材も暇もなかったので上記写真でお茶を濁させてもらいますが、こいつが忍法「水蜘蛛の術」を使って水面を走る様をご想像ください。かわいいと言うか、愛嬌があるというか、つくづく生きものって不思議ですね。*トビハゼの立ち泳ぎに関する記述はwikiにもないので、ひょっとするとぼくの新発見だったりしてw!

 

われわれ普通の人間は、月だ火星だ微惑星だという豪快な謎解きに参加することはできませんが、足元のいのちに目を向けることはできます。そもそも宇宙探査の最終目的は、生命のルーツを探ることであり、ヒトの先祖探しでもあります。接写レンズのひとつもあれば肉眼では見えないいのちの不思議な営みが、そこらここらに無数に転がっています。

210213記 つづく

 

 

 

  # # #日本の今# # #

某氏より「先日取引先でも陽性反応が出た人が気の毒なほどまわりに謝罪していました」というコメントをいただきました。井上正康医師によると日本のPCR検査は、意味のないレベルまで感度を上げて行われ、ウィルスの死骸を見付けて怯えているようなものらしいです。メディアは数字の意味を説明することなく感染者・死者数を垂れ流し、恐怖を煽りますが、1.2億人もいる国で40万人が感染し6,600人が死亡したという程度の話にすぎません。しかも、

 

医療法によると別の病気を持つ患者がコロナに感染していた場合コロナ死と報告する義務があるそうで、あたかもコロナでどんどん人が死んでいるかのような錯覚を覚えますが、インフルエンザでも年間1万人程度の死者数はあり、そもそも日本人は年間130万人ほど死亡しているわけでもあるから、その程度の数字に驚く理由があるのでしょうか? ヒトは後から後から生まれて来るのに年寄りが死ななかったらこの世はどうなるのでしょう。

 

「気の毒なほどまわりに謝罪していました」ということは、ご本人はお元気であり、PCRによってコロナの烙印を押されただけのことかと思われます。「病気自体よりまわりの目の方がずっと怖いです」とありますが、全く同感です。シシトウを栽培している農家が数日前に撤退しました。ピーマンからシシトウに切り換えた途端、コロナ⇒Go to中止⇒外食産業とりわけ飲み屋のヤキトリ需要が縮小し市場価格は暴落という連鎖反応です。冠婚葬祭がパアになった花卉農家はもっと悲惨で既に転作を始めたという声も聞きます。先日葬儀に参列し祭壇に菊の花がどっさり飾られていることにホッとしたことですが、お葬式に使われた花を見て安堵するだなんて、、そのような次第でコロナは高知の田んぼにも風評被害をもたらしています。

 

既に集団免疫があると言われる日本(東洋)は欧米白人国より2桁低い数値でしかありません。今年の風邪はタチが悪いという程度の病気にビビる(もしくはビビらせる)理由は何だろうと考えたとき連想が連想を呼びます。とある山奥で洞窟を見つけ中に入ってずんずん行くと光が漏れる一室に出くわした。戸の隙間から覗くと悪い奴らが札束を積み上げて酒池肉林をやっていたという陰気な物語が頭に浮かんだりして、既に動き始めたワクチンビジネスで儲ける奴は誰だろうと考えたりしますね。あれから丸1年が過ぎた今年、WHOは武漢ウィルス研究所の調査に入り、よく分かりませんでしたという阿呆みたいな報告をしました。

 

昨秋来アメリカの大統領選挙を追いかける中、およそ公平性に欠ける作文ばかり読まされ、米日ともメディアは信用できなくなりました。この世の真実は自分で情報を集め自分で判断する他ないようです。長いこと生きてきましたが、こんなことは初めてです。

ちょっと道草 210209  写真で Go to 西表島 (1 イリオモテヤマネコ カンムリワシ 小野田寛郎少尉

 

 

  東(ひむがし)の野に陽炎(かぎろひ)の立つ見えて

                かえり見すれば月かたぶきぬ  (柿本人麻呂)

 

天球を180度広げて朝の風景を見せたのは8世紀の柿本人麻呂です。それから1000年ほど経た江戸中期の与謝蕪村は、月と日を東西に配し、わずか17文字の中に春の夕刻を詰め込みました。

 

  菜の花や月は東に日は西に (蕪村)

 

お日さまは東から上がり西へ入ることから沖縄語では「東がアガリ西はイリ」だとダイビングのお師匠さまが教えてくれました。日のイル西表島沖縄本島に次ぐ広さですが、人口わずか2400人ほど森の哺乳類はネコとイノシシしかいません。

 

 

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西表島大原仲間橋 170627

 

イリオモテヤマネコは、耳が丸く、尻尾は長く、目の周りに白い隈取りがあり、腰の筋肉が発達しているのが特徴です。大きさは家猫とかわりませんが、このネコ像は前足もデカくプロレスラーの腕っぷしのようにも、、それより「なかまばし」と仮名で書かれたセオリ通りの筆遣いに感心しました。「なまば」は丸で結ぶか三角で括るしかないのですが、ここはきっちり三角でまとめています。

 

「空飛ぶ電車」は格安ピーチで舞い降りた石垣島からびっくりするほど足の速い連絡船で石西礁湖⇒石垣島の西にある珊瑚礁の海を渡り、西表島大原港に着きました。

 

 

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ヤマネコマークの観光バス 170704

 

1965年に発見され大騒ぎになったイリオモテヤマネコツシマヤマネコと並ぶ島の固有種です。西表島対馬のネコは、どっちがかわいいかと尋ねたら対馬側に軍配があがりそうですが、そんなことはどうでもよくて、もしもイリオモテヤマネコが島固有の独立種であれば生物学を超え、地質地形の謎解きにも関係する大発見なので学者は色めき立ち、島人はふるさとidentityのよすがとしてネコを守れと合意しました。あおりをくらったのが土建業者で、島をぐるりと一周するはずの道路工事は止まり、今も観光バスは海岸線に沿って島の半分を行ったり来たりしています。

 

 

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冠鷲170706

 

島を挙げてヤマネコを守れという運動に

カンムリワシも一役買いました

ワサビの効いた駄洒落ですが

惜しむらくは、もうちょっと絵がうまければ(--

 

鳥山センセが鳥の絵を描いて

冠を戴いたお怒りのワシが

亀仙人の肩で睨みを利かせていたりすると

運転手は反省するかもしれません

 

学者の推計によるとイリオモテヤマネコは島全体に100匹ほどしか棲息しておらず、原始の森でネコを探し、本格的な写真に収めようとすれば大変な作業が予想されます。そのイリオモテヤマネコを撮るべく丸1年山に籠もったのが若き写真家の横塚眞己人氏です。写真家の多くは文筆家でもあり、横塚氏もまたネコを巡って島に移住したドタバタ劇を見事に活写しています。出版社と話を付け、新妻を連れて移住したのはよいが、島人は機材を抱えて毎日毎日山に入る人間をカタギの者とは認めてくれず、やがて不足するものを補うため妻を働きに出したら「あいつはヒモや」という噂が広がった^^!

 

 

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祖納のカンムリワシ170706

 

これが本物のカンムリワシなんだけど

電柱に停まるのはちょっとな

あなたは西表島の宝なんだから

もっとカッコいい現れ方をしてもらえんろうか

 

怒ったカンムリワシは頭に冠を作ります

その姿を横塚眞己人氏は森の中できっちり捉えています

シャッターを切るためにどれだけ森を歩いたことか

プロは汗を見せませんがつくづく

写真家の執念を感じます

 

高知にマムシがいるように西表島にはハブがいます。ヘビに喰われて死んだという話は滅多に聞きませんが、罹患率・死亡率でいえば全然たいしたことのないコロナを今の日本人がインフルエンザより怖がるように言葉の魔法はヒトを恐怖に陥れます。木のウロを覗き込んだらハブと目が会うかもしれない。尻尾を踏んづけたら危険だ。ハブは「打つ」と言われるように樹間から襲ってくるので逃げようがない等々、家で文字を読む分には、へえハブっておっかないんだくらいのものですが、そのような言葉を脳味噌にまぶしていざ森に入ると疑心暗鬼になります。

 

 

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浦内川沿いの炭鉱跡 170710

 

ハブの歯が届かないよう登山靴を履き、ヤバイときにはコレと急遽買い込んだ毒虫対策の吸引具をリュックに忍ばせてぼくも西表島の森に入りましたが、言葉は放射能のように浸透し心の柔らかい部分を刺します。確率でいえば交通事故の方がよほど危険なことは分かっていても感覚の前に論理は無力です。日本中のヒトがコロナの集団ヒステリーに罹り、高偏差値の大学生が怪しげな宗教にコロリとやられるようなものでしょう。

 

 

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炭鉱で命を落とした坑人の碑 170710

 

そのような森に分け入って苦心惨憺した経緯が、横塚眞己人著「ヤマネコ騒動記」小学館文庫に活写されているのでヤマネコと西表島にご興味のむきには参考になろうかと思います。圧巻は夜の森、テントに身を隠しひたすらネコの出現を待っているとネコの代わりに人魂があらわれたという段です。青白い光がぐるぐる回り、怒ったように速度をあげ、やがてテントの中に入り込んだ。写真家は恐怖の叫び声をあげ、山道を全速力で逃げ帰ったというあたり、まだ誰もまともな写真を撮っていないイリオモテヤマネコを狙うプロ写真家の執念と感受性が読み取れ、読者の頭の中に漫画のコマが一杯つくられます。(原文を引用したい段ですが文庫本が書棚に隠れて見つかりません)

 

 

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ルバング島小野田寛郎少尉 *ネットより

 

人魂だなんてバカなと一蹴するのは自由ですが、夜の森に独り身を置いてみれば、目も耳も研ぎ澄まされ、明るい電気光の下の感覚がヒトの感覚のすべてではないことが実感されます。フィリピンはルバング島に戦後30年立てこもった小野田寛郎少尉によると「本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになった」「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました」とあります。*wiki 

 

それが異常な体験であるのか、それともジャングルで30年も戦闘行為を続けた兵士にとっては普通の感覚であるのかは自分で類似経験をしてみるまでわかりません。夜の森で写真家が見た人魂をまぼろしだ、幻覚だと笑って聞き捨てるのは簡単ですが、森から文明を見れば、夜なのに皓々と明かりが灯り、善男善女が小さな機械を耳にあて、あたかも目前にヒトがいるかのようにお喋りする風景は、夢なのか現実なのか俄かに判断できないところがあります。たまには本もスマホも残し体ひとつで森に入ればまた別の風景が見えるのかも知れません。

210209記 つづく

 

ひとり旅 210203 China17  韓国銀行 タヒチのゴーギャン  

 

 

 

 

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韓国銀行貨幣金融博物館(旧朝鮮銀行) 190822

 

ソウル駅から青瓦台方面に向け

とりたてて目的もなく歩いていると

石造りの立派な建物が見えました

東京駅を設計した辰野金吾のデザインです

 

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行) 190822

 

背後のビルと道行く車を取り払えば

1910~1945年の朝鮮併合時代が目に浮かびます

力車を牽きながら見上げた車夫の目に

豪壮な石の建築はどう映ったのでしょうか

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行) 190822

 

石柱の高さはヒトの背丈の何倍あるのか

この柱が1階天井部にあたる銀行空間の業務とは何か

預金を回してこんなに儲けました^^と自慢するわけではなく

銀行建築にはカネとは別の企図があることになります

 

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行)の石の壁190822

 

これだけ豪華な壁は東京の街を隈なく探しても容易にはみつからないでしょう、と言えば「はて?ウチの会社は石の壁だが」「貝の化石が浮きでた壁もあるぜ?」とおっしゃる声も聞こえます。そのことに間違いはありませんが、今は石を合板のように薄く切る技術が生まれたので、ちょっと贅沢すれば本物の石材で仕上げることもできます。ただし壁が力を受けるわけではないので化粧美人って感じがしないでもありません。

 

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行)の石材190822

 

深いところでマグマがゆっくり固まった花崗岩は嘘偽りのない石の壁です。当時の技術でこれだけの細工を施し、山と並べた石材を図面通りに積み上げた労力は大変なものでしょう。ダイヤモンドカッターでしゃしゃっと切ってクレーンで吊り上げるワケにはいかないのです。

 

5軸加工機を操り石でも鉄でもどんな形にでも切って見せる現代の技術者が、タイムマシンから降りて、この石材を加工する現場を見たら何を思うのでしょう。レクサスのオーナーが馬の尻をひっぱたいて大八車を牽かせるようなものかも知れません。現代人が目にする事物は、もはや日用品になったスマートホンから光の速さで20分もかかる宇宙の彼方の小さな星を往復した”はやぶさ”まで、その尽くがハイテクの結晶であり、凄いといえば凄い時代なのですが、しかし、

 

機械系の生産物が芸術系に持ち込まれてなお人間を感動させるかと言えば、それはまた別の話になります。巨大な東京都庁は石の外壁を持ち、入り口ホールを見上げると豪華なシャンデリアが田舎者を驚かせます。あの建築の大きさ、高さ、突っ込んだカネの凄さに比べれば韓国銀行なんてかわいいものかもしれません。にもかかわらず人の心がどちらに惹かれるかは簡単に言えないところがあります。機械力で突き進む文明にはどこかよそよそしさが残りますが、人間の意志が詰まった文化は軽々と時代を飛び越えて心に響くものがあります。

 

 

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ポール・ゴーギャン「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」  *ネットより

 

ヒトは過去から未来へ向けて流れる時間軸のどこかに位置しています。タヒチ島ゴーギャンが「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」と絵をもって自らに問うたように、ぼくらもまた歴史を訪ねて自分を確認しています。遺跡を発掘して民族のルーツを探り、お墓参りをしてご先祖さまに手を合わせるのも自分探しの一種でしょう。遺跡やお墓は形に残された記憶であり、記憶が消えたら自分が何者か分からなくなるからです。どの国も自国の歴史的建造物を大切にするのは後世にむけた無言の教育でもあるからでしょう。

 

 

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朝鮮総督府 *ネットより

 

だから歴史的建造物は残せという命題が成り立つわけですが、恨ハンの国の思考回路は日本とちがうところがあり一筋縄では説明できません。小中華を標榜する韓国人の頭には中国⇒朝鮮⇒日本という落差の構図があります。上位の朝鮮に下位の日本が残したところの悔しいけど立派な朝鮮総督府をどうするかと悩んだ末もったいなくも1995年、金永三政権は撤去命令を出しました。

 

景福宮の真ん前にデンと立ち上がった支配の象徴が誇り高い両班ヤンバンの心をいかに傷つけたかは想像に難くありません。が、一方で同じように立派な旧ソウル駅舎や韓国銀行(旧朝鮮銀行)は博物館として残し、それが「日帝残滓」だ「敵産家屋」だという強い声は聞こえないことから彼らの思考回路はとても複雑です。それは矛盾しているだろ? 「壊すなら全部壊せよと」キレて言える日本人は朝鮮半島が置かれた地政学上のアンビバレントを経験したことがない仕合わせなお坊ちゃんです。

 

China親方には頭が上がらないけれど小中華の思想をもって日本をへこますことはできる。それがChina発の文化であっても朝鮮半島を中継し日本に「教えてやった」とは言える。だから韓国は兄であり日本は弟である。弟の分際で「天皇」を戴き兄に歯向かうとはとんでもない野郎だとまあ朝鮮儒教はざっくりそのような原理に基づくとぼくは概括しています。姜昌一カンチャンイル新駐日大使はかつて天皇を「日王」と呼びました。今次あえて天皇という言葉を使ったのは政治的配慮に他ならず、朝鮮半島の人々にとって「皇と王」の間には越えがたい序列の壁があるのです。

 

そのむかし日本をよく知る韓国の友人がいつになく真面目な顔で「日本人は触れてはいけない国に触れてしまった」と呟いたことが思い出されます。流暢な日本語をあやつる彼は、日本語を話すときの自分に違う人格を覚えるらしく、頭の中で韓国と日本を行きつ戻りつしながら政治を語るのは苦痛だそうです。

 

1998年に韓国の大学生十数名を引率して高知大学元学長立川涼先生のご講演を頂きました。幼少期にソウルの「租界」で成長し、敗戦後に「引揚げ」た先生と学長室で打ち合わせしたとき、私が「ではありますが戦後生まれのわれわれに朝鮮併合の責任を求められても」と発言したことに対し「いや日本人は原罪として忘れてはならないことです」と笑顔で返してくれたことが思い出されます。「原罪とは具体的に何ですか? 」と問い返す機会を逸しましたが、とかく過激になりがちな日韓問題を考えるときぼくの心の座標に置かれた「原罪」という言葉が息を吹き返します。

 

当時のぼくにとって韓国とは「近くて遠い国」に過ぎず、夏場に大学生を迎えてどんちゃん騒ぎするのが面白かっただけでした。テレビや新聞で韓国が取り上げられることは稀であり、1997年タイに始まった通貨危機で韓国はひどいことになっているぞと薄々は知っていたものの所詮は外国の出来事でした。仕事は忙しく、わずかに残されたリソースを歴史の勉強に振り向ける余力がなかったことは多分、多くの人達と同じだったのでしょう。韓国はまだ日本人の中で小さな面積を占めているにすぎない国でした、、という弁解の言葉を置いた上で、立川少年は「租界」と「引揚げ」の現場で何を見、何を考えたのか、その思索の過程を伺うべきであったと返す返す残念です。

210203記 つづく

 

 

 

 

  # # #日本の今# # #

201231号で紹介した井上正康医師がコロナに関し

新たに分かりやすい説明をしています。

https://www.youtube.com/watch?v=ZF0EyTafiOA

 

日本人は既に抗体をもっている

PCR検査には問題がある

鎖国をしても何の効果もない

風邪とインフルエンザはどこへ行ったのか

外食産業は濡れ衣を着せられた

人類が初めて経験する遺伝子ワクチンは様子を見るべし

感染症指定2類を5類に落とせば医療崩壊はただちに解消する等々

ぼくは氏の説を正しいと考える者ですが

みなさまはどのように思われるのでしょう?

 

 

ちょっと道草 210128  高知のタヌキ  

 

 

 

 

 

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高知県香南市赤岡町210125

 

仕事を終えた帰宅の途中

川沿いの路上に何かがみえました

慌ててブレーキを踏むと狸でした

 

 

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前照灯の強い光に曝された狸は

枯れ草の中から出たり入ったりしていましたが、

かれは自分の置かれた状況が分かっていないようです

世の中にはいろんな指標があるもので

わが高知県はタヌキの棲息率日本一^^! なのですが

人口?過密のゆえか道路であえなく昇天した狸も多く

気い付けなあかんでと心の中でつぶやいているうちに

平成狸合戦ぽんぽこ」を思い出しました

 

 

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そのむかし市民運動の仲間と自然保護を考えていたときジブリのアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」を見てガンとやられました。多摩ニュータウンの開発に追われた狸軍団は、得意の幻術で人間どもを追っ払おうとしますが、葉っぱをくわえてでんぐり返ったところで所詮は幻に過ぎません。圧倒的な機械力で森は伐られ、野は埋められ、狸の棲み家は見る見るコンクリートの大地となりました。追い詰められた狸は総力を挙げ、最高度の幻術をもって、かつての美しい森を復元し、人間どもに見せつけたあと儚いレジスタンスは終わります。

 

森がコンクリートの街となり、人間との共存を模索する中で、タヌキはヒトに化け、アパートに住み、電車で通勤するという寂しげな結末でした。アニメの終幕に、狸はヒトに化けられても「ウサギやイタチはどうなんですか?」という答えがひとつしかない疑念がだされました。ヒトとタヌキが土地争いをした際ほかにどのような手だてがあるのでしょう。ぼくらがやってきた自然保護運動もまた自然は護りたいが、ヒトの存在を否定することはできないので、結局答えはひとつしかないんだよなと悲しく思い出されました。

 

 

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拙宅の狸くん 210128

 

焼物のふるさと滋賀県甲賀市信楽に行くと道端に巨大狸が群れをなして居ます。ウチは中古住宅なので狸は前に住んでいたおばあちゃんの置き土産なのですが、それにしても編笠かぶって、徳利提げて、八畳敷きのナントカまで広げた狸だなんて凄い想像力です。ここまで情緒的に動物をデフォルメした日本人と狸の関係は何なのでしょう。

 

人間中心主義のキリスト教国ではまず考えられないし、ムスリム教徒は動物を絵に描くことさえ禁じられているのでヒトとタヌキを水平に置くことなどありえません。朝鮮半島ではどうなんだろ、そんな民話があるのでしょうか?  China大陸には、旨いか不味いかの判断基準はありそうですが、狸が秋の葉っぱをお金にして晩酌のご相伴にあやかりたいだなんていう漢詩は見たことがありません。

 

 

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鈴木寿雄「はいくのえほん」足立美術館 210128

 

戸をたたく狸と秋を惜しみけり  (蕪村)

 

Lamenting the passing of autumn

together with a racoon dog

knocking at my door.

 

酔っぱらいの信楽狸を慕って来たのか、裏山の狸がわが家の庭に出没し、多い日には親子5匹が猫の餌を入れた丼鉢に首を突っ込んでいたことがあります。どういう訳かは知りませんが、俗にもりぐそと呼ばれ、狸は同じ場所にふんをする習性があります。夜な夜なおれの車の真ん前に忘れものをして帰るのでフン慨しながら出勤前にスコップで掬って庭の隅に埋めるのが朝の仕事でした。

 

だいぶ前のことになりますが、狸に感染症が入り、裏の渚に死骸がころがっていたり、住宅地でよろめいていたりしました。やがて車に撥ねられた狸を見ることもなくなり、狸の棲息率日本一は返上かなと思ったこともありますが、集団としての生きものはウィルスにやられて絶滅するほどヤワではないようです。今また復活してきました。

210128記 つづく

 

ひとり旅 210121 China15  長春の帝冠様式 追手前高校 小津高校 東京都庁

 

 

 

 

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帝冠様式 満州国新京(現中華人民共和国長春市) *ウィキより

 

四角い箱に城を乗せた珍な建物は、時を経た今ひとつの時代を象徴しています。西洋ビルと日本の城はちぐはぐな組み合わせにすぎないのか、それとも広い大地にぽんと置かれた建築が風景と似合っているかどうかは自分の感覚で感じ取る他ありません。満洲国における和洋折衷の建築は、多くは取り壊されたにちがいありませんが、一部は残っているはず、いつの日か大連から列車に乗って北へ上がり、写真では伝わらない現物の迫力を自分の目で感じたいものです。

 

もしも今のChinaが20世紀のChinaであったらリュック背負って明日にでも出かけますが、中国通の農業学者、川島博之があらわした「24時間を監視され全人生を支配される中国人の悲劇”習近平のデジタル文化大革命”」2018年発行を読んだころからChinaイメージが変わりました。やがてトランプ大統領による米中貿易戦争が始まり、武漢発のコロナウィルスが蔓延し、その後の展開に目を晒すうちにぼくの心にあった豊かなChinaイメージは瓦解しました。

 

 

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高知県立追手前高校 *ウィキより

 

校舎中央部に立つのは北海道大学を思わせる時計塔、ビルの頭に和風屋根が乗っかった帝冠様式です。西洋由来の建築の魅力は天井の高さにあります。隣接する土佐女子高校4階部は追手前高校の3階にあたるので、現行標準の天井高を2,500㎜とすれば、追手前高校はざっくり3,300㎜強の天井高をもちます。この高さは圧倒的で廊下を歩くと高さにひかれて背が伸びるような気さえします。

 

 

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高知県立小津高校 *ウィキより

 

この手の建物は高知にふたつしか残っていません。そのひとつが小津高校です。「小津と追手前ではどちらが面白いですか?」と建築家に尋ねたところ「造りとしては追手前が立派だけど面白さで言えば小津ですね」という感想が戻ってきました。三つの屋根をもつ門柱はどこか愛嬌があります。入口ホールは一橋大学のようなロマネスク様式の丸みをもち、正面外壁にデザインされた2本の尖塔が景を引き締めます。道路脇から校舎を眺めて目で遊べる学校はそう多くないでしょう。

 

津高校は東大安田講堂とほぼ同じ時期に建設されました。半円形の同校入り口ホールと尖りアーチの安田講堂入り口ホールを比べ「どちらが好きか」と問われたら迷わずぼくは小津と応えます。かれこれ1世紀ちかく立ち尽くし無数の若者が出入りした石のホールに落書きはありません。中には変なヤツだっていたろうにヒトの悪意を誘発しなかったのは石と形に力がこもっているからでしょう。ホールから廊下に踏み込むと天井の高さがガンときます。

 

1990年代に小津高校を新築する案が出ました。この建物は残すべきとする建築家は、コンクリートの強度を調べ、補修案を提示しました。どうしても新築するのであればこのような案はどうかと暇を盗んで概念図を描いた建築家もいます。建築家は新築するのが仕事なのに古いものを残したのでは、おまんまの食い上げだぜとからかわれながら頑張りましたが、侃々諤々の議論の末、中央部を残して新築することになりました。その結果が写真左部に見える新旧の接合部です。時代の要求に合わせて建物は形を変えざるをえませんが、追手前高校も東京大学も補修しつつ残存するのだから小津高校だって違うやり方があったろうにとの思いが消えません。

 

当時、市民運動の仲間が椎名誠を呼んで講演会を開きました。氏はみずから小津の教室に入って確かめたらしく、自分の声が壁から戻る残響に触れ「この感覚がいいのですよね」と空間を音で説明するのを聴き、なるほどそんな論点もあったのかと目から鱗が落ちました。

 

赤門を潜った東京大学では今もネオゴシックの建築が現役です。ご関心のむきにはぜひ革靴で立ち寄り、廊下を歩く踵の振動が壁から戻ってくる感覚、できれば講義中の教授の声が壁や天井に反射して耳にどう伝わるかを確認されるのも一興かも。予想として、ヒトの声を正確に聞き分けるという機能主義でいえば、天井に吸音材のない古建築は残響が強すぎて問題が残るかもしれません。しかしヒトはいつも真剣勝負をしているわけではないので、コントラバスの低音部のような響きに包まれて、ぼんやりものを考えるのも悪くないでしょう。そのあと銀杏並木のベンチで彼女とお弁当を分け合ったりすると充実した一日が過ごせます^^いらんことでした。

 

津高校には残せ・壊せ論争の時代から、旧館正面の両脇にとりたてて興味をそそるものがない新造建築を挟んだ現在まで、自分なりに関わってきましたが、何はさておき天井高が殺されたことが残念です。やや唐突ですが、東京都庁の入り口ホールは、おっとこれがたまるかというほど贅沢な空間が広がっています。他の室はどうなのかと某編集長に問い合わせたところ「展望室、職員食堂、もちろん厚化粧の○○がふんぞりかえる知事室はそりゃもう立派で天井もドーンと無駄に高い造りになっていますが、それ以外のオフィスは割と普通じゃないかと思います」という返信が届きました。添付写真を見ると天井高はたぶん標準規格の2500㎜だからバスケット選手がジャンプしたら両手が天井板を突き抜けてネズミが目を丸くするかもしれません。

 

 

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ノートルダム大聖堂 *wikiより

 

東京都庁の元ネタらしい13世紀の建造物は2019年に焼失し世界の人々を悲しませました。むかし北アフリカはモロッコからドイツに向かう途中パリに立ち寄ったことがあります。ルーブル美術館ギリシャ館に2日通っただけでエッフェル塔ノートルダム大聖堂も見ず、いつか又と思っているうちに武漢ウィルスがLCCを破綻させ貧乏旅行を止めた今つくづく後悔しています。赤い炎を背景に大聖堂の背後を支えるフライングバットレスの曲線が見えたときオレみたいな者も泣きそうになりました。当時の技術では外壁の強度が取れないので脇から突っかい棒を当てたのがバットレスであり、美しさを演出するために不要な形を持ち込むのではなく、必要が美と調和した建築本来の造形です。

 

ぼくごときがこの大建造物に対して言葉を置くとバカみたいだからやめますが、建築家といっても無から有を生ぜしめるわけではなく、過去と現在は密接に絡みます。似ていようがいまいが、それは建築家にとって大した問題ではないのだろうと思います。高知県庁と高知市役所は丹下健三の匂いを感じさせる空間です。高知の官庁街を歩きながら東京都新宿区にドカンと立ち上がった”バブルの塔”を空想するのも悪くありません。

 

ついでに申せば、東京都庁には「宇宙からのメッセージ」と題するオブジェが置かれています。その彫刻家、速水史朗は高知市中央公園に「龍馬とお龍」と称する卑猥な造形を残しました。よさこい鳴子踊りに来られた皆さまには御目に触れることになりますが、これを見て何を思われますやら、、庵治石で有名な香川県にはイサム・ノグチ庭園美術館があり、巨石という抽象が孤高の風情で佇んでいます。かたや速水の造形は劣情に媚び意味を知る者には不快です。これが東京都庁に置かれていたら物議を醸したにちがいなく、つくづく高知は舐められたものだと~~!

210121記 つづく

 

追記  気がつけば今回の写真は全部wikiからパクっていました。市内の写真はバイクで走ればすぐ撮れますが、そんな暇さえない状態です。ノートルダム大聖堂の高解像度写真はロックが掛かっているようですがこれは低解像度ですから問題ないかと。たぶん他も。市内分はいずれ差し替えます。

 

 

 

  # # #世界の今# # #

We will be back in some form.という言葉を残してトランプ大統領が退任しました。今まで地球の裏側の選挙に感心を持つことはなかったのですが、今回は日本の近未来に直結するのでずっと注目しています。SNSを含む全米のメディアが公平性を逸脱した斜め記事を書き、それをコピーした日本メディアもバランス感覚を失ったようであることに恐ろしい思いがしました。戦後76年を経てパクスアメリカーナが今日終わったような気がします。

 

ひとり旅 210118  China14   旧ソウル駅 一橋大学 東大安田講堂 鹿鳴館

 

 

 

 

 

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旧ソウル駅左面190822

 

赤煉瓦の上にドーム型の屋根がデンと座り

色も形も複雑な部分が組み合わされ

統合された美観を形成しています

 

 

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旧ソウル駅右面190822

 

旧ソウル駅舎は、厚い壁、小さな窓、半円アーチが特徴のロマネスク様式です。空間の主役は人間であり、建物は脇役なので、外壁にきらきらしい色彩は使わないのがセオリですが、白をベースに赤と緑を控えめに配したところなど上品な唐三彩を連想させます。

 

 

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一橋大学 *ネットより

 

東京にお住まいで丸っこいデザインが好きな方はロマネスク様式の一橋大学へどうぞ。外観、内部空間とも半円アーチの繰り返しが優美です。タイムマシンで19の春に戻り、伊東忠太が設計した緑濃きキャンパスで、書をひらき、恋にくるしむ青春よふたたび^^!

 

 

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一橋大学 *ネットより

 

ですが何かの気配を感じたときには乞うご用心

あちらの隅こちらの高みから監視カメラのごとく

あなたのことを妖怪が見張っています

 

 

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一橋大学 *ネットより

 

沖縄のシーサーは愛嬌者ですが

ここの獣像はマジ顔で睨みます

魔をもって邪を払う正義の味方なのかも

 

 

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旧ソウル駅入り口ホール190822

 

駅が列車に乗るところなら吹き抜けの天井高もステンドグラスも要りません。建築が人民を威圧する場であるなら、優美なロマネスク様式ではなく、旧ソ連が得意とした中心が天に向かうソユーズロケットのような形体がふさわしいでしょう。

 

 

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東京大学安田講堂 *ネットより

 

ゴシック様式の尖りアーチが天を指す東京大学安田講堂もまた両翼に配下を従えた権威主義を彷彿させます。時代と建築は切り離せない関係にあり、この講堂が竣工した1925年(大正14年)は11年後に真珠湾を控えた不穏な時代でした。地べたから塔を仰ぐと高所より指令のだみ声が届きそうな気がします。

 

 

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安田講堂につづく銀杏並木 *ネットより

 

たしか安田講堂の地下には学食があったはず

友人に案内されて銀杏並木を歩いていると

木陰からバイオリンの音色が聴こえました

キャンパスという贅沢空間はないに等しい

おれっちの大学とえらいちがいで

つくづく羨ましかったです

 

日露戦争後の1910年に日本は朝鮮を併合し、1925年にソウル駅舎が竣工しました。時代は帝国主義軍国主義にあったわけですが、しかし旧ソウル駅舎の設計思想は、装飾を取り払った機能主義でもなければ支配のための権威主義でもありません。ギリシャ風の円柱は高さがもたらす解放感を与え、かすかに赤みを帯びた花崗岩と相まって温かい空間を演出しています。

 

建築家は何を思って日本にもない豪華な空間を造ったのか? 為政者は何のために莫大な建設費の持ち出しを許可したのか? つらつら思いますに建築を学びに西洋へ向かった明治大正期の留学生は、日本建築とは設計概念がちがう石の空間に惚れ、新時代の象徴として図面を引いたにちがいありません。新時代とはなにか?

 

日露戦争後の5年目、ハルビン伊藤博文が暗殺された1909年に夏目漱石は、大連⇒ハルビン⇒ソウル⇒釜山と渡った旅行記「満韓ところどころ」(青空文庫所収)を書いています。内地にいるときは日本人を「憐れ」だと思っていたが「満洲から朝鮮へ渡って、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となっている状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた」そうです。

 

その旅行記で使われた差別的表現は後世、内外の批判を浴びることになりますが、現在の価値をもって過去を断罪する批判は、言ってみれば後出しじゃん拳みたいなものです。過去の価値がゾンビのように起き上がって現在の価値に反論するわけではないので、大して意味のある行為とは思えません。むしろわれわれは漱石の心に湧いたナショナリズムを当時の時代思潮として、そのまま受け取るべきではないでしょうか。

 

 

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鹿鳴館 *ネットより

 

時代思潮を形にするためには、障壁の多い内地より外地がてっとり早いことから当時の建築家は、満州、朝鮮、台湾において伸び伸びと腕を揮ったにちがいありません。カネを出す為政者は、白人に一目置かれる西洋建築を求めたはず、鹿鳴館でダンスをしたメンタリティーの延長線上で、まずは西洋空間のコピーから始め、欧米列強に追いつけ追い越せの時代ではありました。当時アジア一帯が植民地化され、China大陸は白人国に蚕食される中で独立を保ったのはタイと日本だけでした。

210118記 つづく