ちょっと道草 210209  写真で Go to 西表島 (1 イリオモテヤマネコ カンムリワシ 小野田寛郎少尉

 

 

  東(ひむがし)の野に陽炎(かぎろひ)の立つ見えて

                かえり見すれば月かたぶきぬ  (柿本人麻呂)

 

天球を180度広げて朝の風景を見せたのは8世紀の柿本人麻呂です。それから1000年ほど経た江戸中期の与謝蕪村は、月と日を東西に配し、わずか17文字の中に春の夕刻を詰め込みました。

 

  菜の花や月は東に日は西に (蕪村)

 

お日さまは東から上がり西へ入ることから沖縄語では「東がアガリ西はイリ」だとダイビングのお師匠さまが教えてくれました。日のイル西表島沖縄本島に次ぐ広さですが、人口わずか2400人ほど森の哺乳類はネコとイノシシしかいません。

 

 

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西表島大原仲間橋 170627

 

イリオモテヤマネコは、耳が丸く、尻尾は長く、目の周りに白い隈取りがあり、腰の筋肉が発達しているのが特徴です。大きさは家猫とかわりませんが、このネコ像は前足もデカくプロレスラーの腕っぷしのようにも、、それより「なかまばし」と仮名で書かれたセオリ通りの筆遣いに感心しました。「なまば」は丸で結ぶか三角で括るしかないのですが、ここはきっちり三角でまとめています。

 

「空飛ぶ電車」は格安ピーチで舞い降りた石垣島からびっくりするほど足の速い連絡船で石西礁湖⇒石垣島の西にある珊瑚礁の海を渡り、西表島大原港に着きました。

 

 

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ヤマネコマークの観光バス 170704

 

1965年に発見され大騒ぎになったイリオモテヤマネコツシマヤマネコと並ぶ島の固有種です。西表島対馬のネコは、どっちがかわいいかと尋ねたら対馬側に軍配があがりそうですが、そんなことはどうでもよくて、もしもイリオモテヤマネコが島固有の独立種であれば生物学を超え、地質地形の謎解きにも関係する大発見なので学者は色めき立ち、島人はふるさとidentityのよすがとしてネコを守れと合意しました。あおりをくらったのが土建業者で、島をぐるりと一周するはずの道路工事は止まり、今も観光バスは海岸線に沿って島の半分を行ったり来たりしています。

 

 

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冠鷲170706

 

島を挙げてヤマネコを守れという運動に

カンムリワシも一役買いました

ワサビの効いた駄洒落ですが

惜しむらくは、もうちょっと絵がうまければ(--

 

鳥山センセが鳥の絵を描いて

冠を戴いたお怒りのワシが

亀仙人の肩で睨みを利かせていたりすると

運転手は反省するかもしれません

 

学者の推計によるとイリオモテヤマネコは島全体に100匹ほどしか棲息しておらず、原始の森でネコを探し、本格的な写真に収めようとすれば大変な作業が予想されます。そのイリオモテヤマネコを撮るべく丸1年山に籠もったのが若き写真家の横塚眞己人氏です。写真家の多くは文筆家でもあり、横塚氏もまたネコを巡って島に移住したドタバタ劇を見事に活写しています。出版社と話を付け、新妻を連れて移住したのはよいが、島人は機材を抱えて毎日毎日山に入る人間をカタギの者とは認めてくれず、やがて不足するものを補うため妻を働きに出したら「あいつはヒモや」という噂が広がった^^!

 

 

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祖納のカンムリワシ170706

 

これが本物のカンムリワシなんだけど

電柱に停まるのはちょっとな

あなたは西表島の宝なんだから

もっとカッコいい現れ方をしてもらえんろうか

 

怒ったカンムリワシは頭に冠を作ります

その姿を横塚眞己人氏は森の中できっちり捉えています

シャッターを切るためにどれだけ森を歩いたことか

プロは汗を見せませんがつくづく

写真家の執念を感じます

 

高知にマムシがいるように西表島にはハブがいます。ヘビに喰われて死んだという話は滅多に聞きませんが、罹患率・死亡率でいえば全然たいしたことのないコロナを今の日本人がインフルエンザより怖がるように言葉の魔法はヒトを恐怖に陥れます。木のウロを覗き込んだらハブと目が会うかもしれない。尻尾を踏んづけたら危険だ。ハブは「打つ」と言われるように樹間から襲ってくるので逃げようがない等々、家で文字を読む分には、へえハブっておっかないんだくらいのものですが、そのような言葉を脳味噌にまぶしていざ森に入ると疑心暗鬼になります。

 

 

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浦内川沿いの炭鉱跡 170710

 

ハブの歯が届かないよう登山靴を履き、ヤバイときにはコレと急遽買い込んだ毒虫対策の吸引具をリュックに忍ばせてぼくも西表島の森に入りましたが、言葉は放射能のように浸透し心の柔らかい部分を刺します。確率でいえば交通事故の方がよほど危険なことは分かっていても感覚の前に論理は無力です。日本中のヒトがコロナの集団ヒステリーに罹り、高偏差値の大学生が怪しげな宗教にコロリとやられるようなものでしょう。

 

 

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炭鉱で命を落とした坑人の碑 170710

 

そのような森に分け入って苦心惨憺した経緯が、横塚眞己人著「ヤマネコ騒動記」小学館文庫に活写されているのでヤマネコと西表島にご興味のむきには参考になろうかと思います。圧巻は夜の森、テントに身を隠しひたすらネコの出現を待っているとネコの代わりに人魂があらわれたという段です。青白い光がぐるぐる回り、怒ったように速度をあげ、やがてテントの中に入り込んだ。写真家は恐怖の叫び声をあげ、山道を全速力で逃げ帰ったというあたり、まだ誰もまともな写真を撮っていないイリオモテヤマネコを狙うプロ写真家の執念と感受性が読み取れ、読者の頭の中に漫画のコマが一杯つくられます。(原文を引用したい段ですが文庫本が書棚に隠れて見つかりません)

 

 

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ルバング島小野田寛郎少尉 *ネットより

 

人魂だなんてバカなと一蹴するのは自由ですが、夜の森に独り身を置いてみれば、目も耳も研ぎ澄まされ、明るい電気光の下の感覚がヒトの感覚のすべてではないことが実感されます。フィリピンはルバング島に戦後30年立てこもった小野田寛郎少尉によると「本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになった」「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました」とあります。*wiki 

 

それが異常な体験であるのか、それともジャングルで30年も戦闘行為を続けた兵士にとっては普通の感覚であるのかは自分で類似経験をしてみるまでわかりません。夜の森で写真家が見た人魂をまぼろしだ、幻覚だと笑って聞き捨てるのは簡単ですが、森から文明を見れば、夜なのに皓々と明かりが灯り、善男善女が小さな機械を耳にあて、あたかも目前にヒトがいるかのようにお喋りする風景は、夢なのか現実なのか俄かに判断できないところがあります。たまには本もスマホも残し体ひとつで森に入ればまた別の風景が見えるのかも知れません。

210209記 つづく