日本ところどころ⑦ 四万十川から仁淀川へ

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初﨑の港

ここまで来ると河口というより海の港だ。水の色も波の形も上流とは違う。堤防の先では港を出入りする水流が複雑に渦巻き、漁船に遭遇するとゴムボートは上下に揺れる。尖ったものに触れたらプシュ~だからライフジャケットは必須の装備だと知った。構造物の真下は妙に人を寄せつけないところがある。▼対岸は水運が主役だった時代の中村市の玄関下田港である。下田も初崎も顔を川に向けている。

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仁淀川上流の池川町

昔は木材を筏に組んで川から下ろした。川が暮らしの主役だったから家は顔を川に向けていた。ところが山裾を切って家の後ろに道が造られトラックが木材を載せて走りはじめると家は顔を山に向けた。自動的にお尻は川に向き、川は水路となり、所によっては排水路とされた。さすがに今ではやらないが、ぼくが子どものころ養豚場の汚水を未処理のまま川に垂れ流していた業者がいて親に川では泳ぐなといわれたことがある。川の価値は時代がどこに向かっているかで決まるようだ。

そのむかし北京から来た留学生が吉野川の上流を見て「あれは青いペンキでも流しているのですか」と驚いていた。中国だって奥山に入れば水は青いはずだが、大都市周辺の大河は黄土色に濁り水を手に結ぶと細かい粒子が見える。「日本人は水と安全は只だと思っている」という名言があるけれどトイレの水が飲める水だなんて国は多くない。

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下流域では巨大な堤防に仕切られて川と町が分断され、住民は暮らしの中で川を意識することはない。中流域では洪水時の水位ぎりぎりの地点で家は川を向いたり山を向いたりしている。ところが上流域に入ると風景も水質もまるで違い今でも川は暮らしと共にある。車で河原に下りられ、家から川へつながる階段もある。

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階段を下りれば、絶妙のポイントに崖と淵があり、黄色い叫び声とともに飛沫が上がる。体育の授業だろうか、水は清く風は爽やか、どんなに大騒ぎしても誰にも迷惑をかけない空間だ。ここには都市のバイブレーションもなければ変態さんから視線を守る囲いもない。そもそも人の姿が見えない。


高知市を流れる鏡川の上流にきれいな円を描いた蛇行部がある。その首をちょん切ってショートカットすれば洪水時に水を早く流せて安全だというわけの分からない工事案が持ち出された。仲間と組んで反対運動をやったとき「川歌」を連載していた漫画家の青柳祐介さんが加勢してくれた。山の学校にプールは要らない。川で泳げばいいじゃないかというのが氏の持論であった。そんな議論を知るよしもない池川町の中学生は仲間に囃されて淵から飛ぶ。角度を間違えると気絶しそうになるから気を付けよう。

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都会の子がこの授業をお金で買うとすればお代はいかほどになるのだろう? 

180331記