日本ところどころ④ 四万十川 赤鉄橋ゴルフ俳句

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四万十市(旧中村市)入田の河原。向こうに見える赤鉄橋は垂直材を入れたワーレントラス橋。まさか国道を沈下橋にするわけにはいかないので勿論抜水橋である。この町で生れ育った人には記憶の中心に置かれるランドマークだろう。

青丹よし奈良の「青丹」は、諸説あるが、薄い緑と朱の対比のようだ。深い山奥でひょっこり出会った赤い橋はなぜか懐かしい。赤鉄橋の周辺も360度ほぼ昔のままの風景が広がり圧倒的な緑に包まれた赤い橋には違和感がない。そのむかし宿毛の子どもは高知に向けてこの橋を何度越えたかが仲間内のステイタスだった。

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 むかしは赤鉄橋が文明の架け橋だったが、いつの間にか下流に4つも橋が出来た。橋梁技術が凄まじく進化し、全長3911mの明石海峡大橋までやってのけた今、この程度の川幅なら何の苦もない土木なのだろう。吊り橋やトラス橋とちがい桁橋には導入部に目立つものがなく車を運転していると知らぬ間に通り過ぎてしまう。それでは勿体ないので橋の真ん中で川でも眺めなさいという物見台が置かれているけれど、橋の上に車を停めるわけにはいかないし、橋詰から歩いて渡るには遠すぎるからか見物客の姿を見ることはまずない。四万十川も河口が迫ると川幅が広がり構造物のスケールが人間を超える。

川面に対し垂直に立ち上がる丸い橋脚を下から見上げるとビルのようだ。ゴムボートから手を伸ばしコンクリートの円柱に触ると、危ないから近づくなという無言の声が聞こえる。橋脚の下は深くえぐられ水流が複雑な動きをする。橋梁技術の粋は水の下に隠れているそうだ。名を残すことのない土木家に敬意を表して遠ざかることにした。

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オカでぱんぱんに空気を入れたゴムボートも張りが緩むと足が鈍くなる。たるんだゴムボートを風上にむけて漕ぐくらいばからしい行為はない。だれて風まかせに浮かんでいると細身のダブルスカルがさして力を入れた風もないのに脇をすいすい抜けて行った。競技用のボートが矢のように細い理由がよくわかる。

その向こうでは、アルミのボート2艘をお尻でくっつけて伸ばし、二手に分かれた10人ほどの漕ぎ手が、掛け声に合わせて競争していた。自衛隊の訓練なのだろう。屈強の男どもは力任せに櫂を使うが、みんなの呼吸があっているとはいえず、気合の割に舟は進まない。野球部の生徒をプールで泳がせたようなものだ。

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ここは四万十川の汽水域、北海道のイトウや南米のピラルクーに並ぶアカメのふるさとでもある。滑り台のような額を持ち、アントニオ猪木のように顎がしゃくれたアカメは本当に目が赤い。ウェットスーツで潜るのが趣味という友人が、海岸に置かれたテトラポットを覗くと「ルビーのような目が見えた」次の瞬間「ブンという音が聞こえた」頬のあたりに「軽い水圧を感じた」と生々しい描写をしてくれた。

アカメの分布域は広く、高知市鏡川の汽水域にも棲息している。アカメに誘われ、県外から来高ないし移住して苦節○年やっと釣り上げた怪魚の後ろで満面の笑みを湛える釣り師の写真がたまに高知新聞を賑わせる。

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ボートの写真をよく見ていただくと後ろにキャスティングロッドを置いている。釣り具屋の入口で980円の値札が付いていたものだ。これでアカメを引っかけてやろうなどと恐れ多いことを目論んだわけではない。このあたりにはスズキもいるはずだから、ひょっと間違いでということはあるかもしれないが、万に一つの期待より、なんとなく川の真ん中でルアーを投げてみたかったからだ。道具を持つと川が違う顔を見せる。

魚を食べたければ魚屋へ行けばよいのに、道具ひとつに何万何十万円を投じ、土日をつぶして夜討ち朝駆け、釣ったぞぉと言ってご近所さんに配る人はいったい何をしているのだろう? どう考えても無駄な行為だから目的論的な経済学では説明できない。実は一昨日知人からグレの良形を5枚もらって刺身、焼き切れ、鍋、煮つけと楽しませてもらったのだが、趣味とはいえ土曜日に仕事を終えて夜中に車を走らせ、香南市宿毛市を往復したご苦労な釣果であった。

生れて初めて飛行機に乗り、成田の上空から千葉県を見下ろした時、サンゴを食害するオニヒトデのごとく大地に忍び寄るゴルフ場がそこかしこにあることを知ってショックを受けた。美しい山にバリカンを当てた夏場のスキー場も酷いものだが、広大な面積を占有し野山を侵食するゴルフは、緑滴る日本の風土には適合しない。意地でもゴルフはやるまいと心に決めた。

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写真は四万十川と中筋川が出会う州に造られたゴルフ場である。いきなり宗旨替えして申し訳ないが、この広々とした緑の空間に仲良しの善男善女が球を転がしては歩く風景っていいなと思った。環境保護原理主義的に語るとキリがないし、既に人類は来るところまで着てしまったわけだから、余りに厳密なことを言っても始まらない。元々平らな所を芝で埋め、転がった球に引かれてせっせと歩く健康づくりなら良いではないか。クラブのシャフトで肩を叩きながら歩く人はスポーツとは別の何かをしているのかもしれない。

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鰻ウケ(ぼくのワープロは竹冠に全の字を知らない)を宿毛ではモジとかツツと呼ぶ。蜜柑の木の根元を掘るとほこほこの土からミミズが躍り出る。それを竹で編んだ筒状の仕掛けに入れて川に沈め、翌朝ヒモを引っぱるとたまには鰻が入っている。オヤジが鰻の頭に錐を刺し、包丁の先を砥石で研いで嬉しげに捌いてくれたものだ。作者は川漁師なのだろうか、「二度三度叩いて」筒を覗いたら鰻と目が合った。おった! やべぇという掛け合いが聞こえてきそうな生活臭ふんぷんたる良句である。「ALWAYS三丁目の夕日」に出てきそうな昭和30年代の思い出が四万十川では生きている。

「文化果つる地」と土佐の高知を自虐的に語るムキもあるが、バイクで小道をとことこ走っていると至るところで句碑歌碑に出会う。戦時の悲しみを詠んだ句もあれば、新春をことほぐ季節の歌もある。うまい句もあれば左程でもない歌もあるが、ぼくらは芭蕉翁でも晶子さんでもないのだから出来の善し悪しは二の次だ。まだ説明されていない現象を17ないし31文字で捉える離れ業を一般庶民がやってのけ、それを持ち寄って愉しむ文化が現存することに注目したい。

歴史は英雄がつくり、文化はエリートがつくるのが普通の国の習わしだが、日本の庶民は江戸の昔からエリートと同等の文化を追求してきた。ハンチントン教授は「文明の衝突」において世界で唯一日本を一国一文明として分類した。 玄海灘で大陸とほどよい距離を保つ日本列島では俳句どころか絵画、芸能、娯楽、武術、食事、建築、、、ありとあらゆる創作、ものづくりが人口の総力を挙げて展開されたのである。

私事ながら、貧しい農家に生れ娘時代が軍国時代で学ぶべき時に学ばなかったぼくの母は字が書けない。それでも銀行で預金を卸すときには自筆でサインしなければならず、行員の前でおろおろしながらボールペンを握る姿は、わが母とはいえ哀れを誘う。街中に氾濫する外来語の意味など分かるはずもないから彼女にとって今の日本は外国だ。

しかし書けないからといって読めないわけではなく、暇にまかせて新聞をめくるのが彼女の趣味なのだが、彼女の語彙には抽象語がないから右手で開けるページには関心が薄い。新聞は左から読むものと決めているようだ。テレビ欄、三面記事、地元記事と広げ、頭にストックされた日常語で理解できる記事だけ拾い読みしているのだろう。

90歳の老婆を責めるわけではないが、話をするにも抽象語が使えないから、こちらは頭の中にある概念を具象語に翻訳せねばならない。明治期にわれらの祖先が苦心惨憺して造り上げた概念語を捨て、中世のボキャブラリーで再構築して彼女を説得するのはとてもホネが折れ、つくづく小学校の先生のご苦労が偲ばれる。

そのようなわけで彼女は教養とはおよそ無縁の人生を生きて来たわけだが、なんとその母が「俳壇歌壇」欄を愛読していることをつい最近知って非常に驚いた。おかあこれが読めるがかよ?! と思わず声をあげ、韻文とは何かと考え込んだ。

昔は語彙が限定されたから高度な概念も具象語で語る他なかった。「道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ西行の遊行柳は全て日常語で組み立てられている。道も清水も柳も誰だって知っているからこの和歌が読めない人はいない。三十一文字の具象語で綴られた和歌はわれわれを遠い世界に誘い込むのである。

近代の韻文は何でもありの入れ物だが、そうは言っても俳句や短歌は具象語を使うのが基本だから、わが母は読める漢字を拾い上げ、頭の中に日常語で絵を描いているのだろう。自分で作ることはとても出来ないが、他人が書いた短歌をそれなりに読むことはできると知ったので、戦争前後の「昭和万葉集」を贈ってやった。

 

180316記