日本ところどころ⑩ 四万十川 マニラ三峡ダム諫早湾

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*フィリピンバイ湖にて2002年夏

その昔マイノリティーを訪ねるツァーに誘われてフィリピンを訪れた。開発によって住処を追われる人々、山かと見紛うゴミ捨て場で働く少年、母親が海外へ出稼ぎに出て不在の少女、空き地で遊ぶ笑顔の子どもらと出会った。

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  *湖岸の工事現場2002年夏フィリピン 

湖岸の開発で立ち退きを要求された人々は強い抵抗の意志を示していたが、それで工事が止まるわけもない。補償金など知れたもの故郷を追われてしまえば悲惨な末路が目に浮かぶ、、、眉間に皺を寄せた浅黒い肌の人々が、日本から来たわれわれに鋭い眼差で工事の理不尽を訴えた。

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*川岸のスラムで洗濯する少女2002年夏フィリピン

水のある所には工事がある。工事のある所には人が住む。水が流れて低地に溜まるように追われた人々は、それなりの場で肩を寄せ合う。その住居を気安くスラムと呼んでよいかどうかは知らないが、貧困を剥き出しにした家々は日本では見たことのない光景であった。

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*カメラを向けるとポーズをとる子どもたち 2002年夏フィリピン

フィリピンはバスケットボールの盛んな国である。貧しい地区にはなぜか子どもが多く、わずかな空き地があれば籠をめがけて球入れに興じる。大人は富貴なる人々と比べ我が身の不遇を嘆くが、子どもにとっては生れた所が座標の原点だから幸せも不幸せもない。屈託ない笑顔は子どもの特権だ。

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*ゴミ袋を裂いて分別するスモーキーバレーの少年2002年夏フィリピン

少年が右手に持つのはゴミを引っかけるための先の曲がった鉤である。ハンドルに工夫があって力は無駄なく後方へ向かう。その重さ形に絶妙のバランスがあり見た目にも美しい。少年から借りてゴミ拾いの真似事をしているうちに欲しくなった。


かつて東京都江東区に「夢の島」という美しい名前のごみ捨て場があった。1950年代にはゴミから涌いたハエが手に負えなくなり自衛隊まで出動して「夢の島焦土作戦」が実行されたという。高知市三里地区にもゴミの最終処分場がある。埋め立て前はゴミが地下で発熱し煙突から白い煙が出ていたものだ。やがて満杯になるとゴミの山はラバーと土で厚化粧されツンと澄ました横顔を見せる。嫌がる住民を宥めるため行政は迷惑施設と抱き合わせで公園や運動場を設置するのが常だ。

しかしゴミを処分すると言っても所詮は物質の移動にすぎない。汚いものは見ないという思想で都市空間は設計されるが、見えない所に移されたからといってゴミが存在をやめるわけではない。そこを意識できるかどうかで人間の品位が問われるように思う。

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*人民帽とカバン、これに人民服を加えた三点セットが街を歩いていた1983夏

1983年だから35年も前の話になるが、リュックを背負って重慶の街を歩いていたとき一人旅の日本人女性が嬉しそうな顔で寄ってきた。聞けば三峡を越え揚子江を船で上ってきたそうである。「もう一週間も日本語を話していない」とかで見も知らぬ自分を懐かしがってくれ一緒に食事をしたことを覚えている。いつの日か自分も船でと願ったが、2009年に竣工した三峡ダムによって揚子江は区切られ、一気に上り下りすることはできなくなった。

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*馬踏飛燕のレプリカ

三峡ダムは「2007年時点で140万人が強制移住を余儀なくされ」「2020年までには230万人が退去予定*」というから、ざっくり四国の人口の半分が移転させられる。それを共産党政府の号令一下やってのけるとは驚きだが、採決に当たっては、全会一致が基本であるにもかかわらず反対票が多かったという。当初このダムは1000年持つと言われたが、やがて100年は持つと変わり、10年で崩壊するという説まで現れた。今年で9年目に入る。(ご興味のある方はググってみてください。巨大工事が誘発する桁外れの問題が山積みです)


工事によって居住地を追われた人々は都市へ流れ、海外へ移民し、新たな地を求めて中華民族は拡散する。世界が無限に広ければ、それは人類の繁栄とも言えるが、世界人口が70億を超えた今フロンティアと呼べる土地はどこにもない。Google Mapを開いて任意の一点を拡大すると砂漠かと思われたところにも街があるほどだ。*Wikipedia

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*群馬県八ツ場ダム建設地130531

2009年に政権を執った民主党は「コンクリートから人へ」という名文句を謳い、その矛先を工事途中の群馬県八ツ場ダムと潮受け堤防によって海水と淡水が分離された長崎県諫早湾へ向けた。結果として八ツ場ダムは一時休止されたが、2018年現在再び工事は進行中である。群馬県在住の友人に尋ねたところ今となっては「ダムの是非が地元メディアで報道されることもない」そうで、あの騒ぎは何だったのかと狐につままれた気分である。

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*宇宙から見た長崎県諫早湾干拓地 Wikipediaより(もしも転用不可の写真であれば直ちに消去します)

諫早湾干拓事業は、八ツ場ダムと同じ1952年に発案され、バブル期の1989年に着工、1997年に湾は潮受け堤防によって「ギロチン」された。当初は食糧難を解消するためコメの増産を目的としたが、やがてコメ余りの時代になり、目的は水害や塩害防止に変わった。「古い計画が目的を変えながら、ひたすら完成だけを目指す止まらない公共事業*」だ。*高田泰「諫早湾ギロチンから20年深まる混迷と対立でいまだ出口見えず」

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*長崎県諫早湾干拓地 Wikipediaより(同上)

この高さから干拓地を見ると普通の農地かなと思ってしまうが、左の密集した民家をカットアッドペーストすれば町がすっぽり入ってしまう。八郎潟干拓地や北海道の農地なら普通かなという区割りだが、高知ではあり得ない広さだ。車を停めて堤防沿いに歩くと遥か彼方に目標物が霞む。長すぎる直線に置かれた自分が小さく見えて淋しい。

農地の中央にある白い建物はとんでもない規模のトマトハウスである。覗いてみるとミニトマトが一棟、あとの棟は大玉を主体に栽培していた。ウチのハウスは中玉を植付けたばかりだったので同業者の事情が気になり、夏のハウスから汗まみれで出てきた従業員に「中玉はやらないのか」と尋ねたら怪訝な顔をされた。その意味はやがて痛いほど分かった。

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*遊水池から見た潮受け堤防東岸140908

かくて干拓地は広大な農地となりタマネギ、ジャガイモ、トマト等の供給地になった。一方、潮受け堤防によって遮断された海側では異変が起き、ノリの養殖に影響が出、魚類貝類の漁獲量は急減した。それが「ギロチン」と関係があるかどうか、専門家の間では議論が続いているようなのだが、衛星写真を見れば海と干拓の関係は素人目にも明白だ。

他の湾岸と同じく諫早湾もまた江戸の昔から人力・馬力のペースで干拓、埋め立てが続いてきたのだが、人為が自然と馴れ合う長い時間を無視し、鉄の板で一気に海域を塞いでしまえばどうなるか、、、漁業者は開門を迫る。農業者は開門を恐れる。

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*雑草が繁茂する遊水池から見た潮受け堤防西岸140908

いわゆる専門家は、分かりきったことを、素人を寄せつけないほど難しく議論するのが好きだ。実は誰が見ても一目瞭然だから、その気になれば簡潔な言葉を置けるはずなのだが、ある大きな意図の下で彼らは自由な思考が封じられているのだろう。それは諫早湾のみならず大工事に共通して見られる傾向である。素人が何かを問えば、それは自明の理でしょうがと冷笑を浴びせられて悲しい。

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諫早湾140908

有明海佐賀県、福岡県、長崎県に面している。佐賀地裁福岡高裁は海を守るため開門せよとの判断を下し、2010年元市民運動家菅直人首相は、上告を断念(開門を支持)した。ところが地元の長崎地裁は既に造られた農地と農業者を守るため「開門差し止めの仮処分」をした。海域の変化によって漁業を台無しにされた漁民と遊水池に塩水が入り農業が成り立たなくなることを恐れる農民の対立は、諫早湾を越えて有明海に及び、佐賀福岡対長崎の司法の対立にまで拡大したわけだ。

慎ましくも豊かに暮らす人々の前にカネと工事が投げられた。暮らしを脅かされた人々はそれぞれが違う方向に誘導され争いが起きた。行政と司法が絡み、立法府の長まで登場して激論は続く。

戦後復興期の1952年に計画された八ツ場ダムと諫早湾干拓事業はたまたま自分と同い年だ。技術力が爆発的に進展し、世界がネッワークで結ばれ、有り余る工業力が人類の生存さえ脅かし始めた異様な時代の一コマである。

 
180603記