日本ところどころ③ 四万十川 木造軸組 洪水 ダム

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四万十川沿いにあるお屋敷に招かれたときの一枚。内装これすべて木材とはなんと贅沢なお家であるかと三嘆し、わが家を思い出してはため息をついた。お金がなければできないが、金さえあれば建つというものでもない。ご主人は材木商と聞いて納得した。木造の豪華に比べたら鉄とコンクリートのマンションなんて贅沢の内には入らない。

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このお屋敷は四万十川を訪ねた橋本大二郎月尾嘉男山本寛斎といった方々が常宿にしていたそうだ。有名人だから迎えたということもあろうが、お屋敷の奥様はおれらのような無名の者だって快く入れてくれたから有名無名にかかわらずきっと余所者が好きなのだろう。

高知県幡多郡は東京からの時間距離が日本一長い。なんせ辺鄙な土地だから昔から客人(まろうど→まれびと)がもたらす情報は眩しいほど新鮮であったにちがいない。いま流行りの「おもてなし」はお客様をほんわり包んでしっかり頂く都会的に洗練された言葉だが、土佐の「おきゃく」は打算がない。珍しい話が聞けたらそれで嬉しいのである、と勝手に思い込んでいるが、みんなで散々飲み食いさせてもらって奥様には土産も置かずに別れたことだった。

若いころ一篠大祭で酔っぱらって気がつけば知らないお家で飲んでいたことがある。その家がどこだったか記憶にないから返礼しようがないけれど代わりに何処かで誰かに罪ほろぼしを返せば神様はきっと得心される。それをみんながぐるぐる回せば釣合いがとれるだろうというのが四万十方式なのである。

その素朴で美しい鄙の心を今、都会発の電波が非常な勢いで崩しているが、まだ全部消えてしまったわけではない。嘘だと思うなら都会の皆さま、車を降りて、ぜひご自分の足で歩いてみなされ。あなたが心を開いたら道端で畑を打ったり大根を洗ったりしている田舎のおばちゃんは完全無防備の笑顔を見せてくれる。もちろん中学生もやや例外を除いて高校生だって可愛いものだ。急がねば、、

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屋形船の乗船口に向かう観光客が見ているのは法面に置かれた平成17年9月6日台風14号の洪水痕跡の指標。俄かに信じられないほどの高みにあるが、川が暴れると四万十川は海になる。近頃の台風は時期もコースもわきまえないが、昔の台風は稲に花が咲くころ黒潮に乗ってきた。しとしとと長雨が続きなんか変だなと思っていたらドンと来る。嵐の夜はカッパを着て田んぼの見回りから戻った父が母といさかいを始めたものだ。やがて富士山のてっぺんに気象レーダーが置かれ台風の位置把握はできるようになったがコースの予測精度はゴジラのそれと大して変わらなかった。宿毛市の松田川下流では、土手が決壊し、田んぼの水嵩が増すと、沈んだ稲穂の上を小舟が走った。寝ているうちに背中が冷たくなって目が醒めたという人もいる。

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だからダムが必要だという声には説得力があり現に松田川ダムが完成してから農地が水没したことはないのだけれどダムはよいことばかりではない。水を力で制御する前に森の植林に目を向けるべきではあるまいか。

ぼくが子どもの頃だから昭和30年代のノスタルジーだが、台風で増水した松田川は、いきなり濁水が暴れることはなく、かすかに混濁した青い水が時間をかけて水嵩を増した。工事といってもモッコとツルハシが現役だったから人為的な土砂など知れたもの、山には緑のダムがあり段々畑や水田も保水に一役買ってくれた。

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群馬県八ツ場ダム工事現場下流 2013年春


今は植林の斜面を滑り落ちた水が、重機が引っ掻いた土を乗せて町を襲う。メディアは目前の水害ばかり強調し水の源を訊ねようとしない。行政はこんな酷い目に遭いました。だから災害指定をお願いしますと国に泣きつく。その傍らで堤防を強化しダムを造らねばという土建主体の論理が動く。だが悲しいかな「コンクリートから人へ」という謳い文句を発明し、群馬県八ツ場ダムを停止させた政党も、ダム予算を人手に回して植林の森を再生しようという動きはとらなかった。

1998年9月25日の高知豪雨も2001年9月6日の高知県西南部の大洪水も現場の山を訪ねてみれば問題点は一目瞭然だ。天然自然の森は雨が降ったくらいで傷むものではないが、スギ・ヒノキの森はひどく脆いのである。密植したスギ、ヒノキは根が浅く保水力が弱い。光が届かないから下草は生えず根元は瓦礫でゴツゴツしている。高所の谷間は逆三角形に崩落し、へし折られた流木とともに土石流が本流を狭める。そこに問題の本質があることは誰だって分かるのにテレビも新聞も山に入らないのは何故だろう。

四万十川に憧れ都会から観光にきた人が周辺の森を睨んでそのまま帰ったという悲しい話がある。森の手入れは観光資源としても大切だ。とりあえず間伐に力を入れて欲しい。自治体によっては植林を伐採した跡に広葉樹を植えているところもある。

 

180310記