番外編トマト

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年配の方ならトマト畑の青くさい匂いを知っているだろう。露地もののトマトは夏の日を浴びて真っ赤に熟れる。水をやりすぎると割れるから要注意だ。大小とりまぜて収穫される玉を一盛りいくらで市場に並べ、おばあちゃんが客を呼ぶというのが正しい農業だとぼくは今でも思っている。畑で鍬を振る母におんぶされて育ったぼくは、トマトは土から生えてくると信じて疑わなかったのだが、

わけありでトマト農家の手伝いを始めて三年、今どきの野菜は、地べたと切り離された培地に、ポンプで液肥を回して栽培するのであった。土の替わりに石から取ったアスベスト状の繊維=ロックウールを使い、窒素リン酸カリ+αを水に溶かして光を当てれば赤いトマトの出来上がりだ。

そんなもん不味いに決まっている。土を離れて農業はありえないと心のどこかで抵抗していたのだけれど、考えてみれば地球のどこにでもメールが送れる不思議な時代に農業だけが昔のままなんてことはない。肥料、水分、温度、湿度、光量が最適の組み合わせで管理できるのであれば、あえて土にこだわる理由はなく、土と野菜の関係は旧農家の感傷に過ぎないと思うに至った。ビニールハウスと言うより植物工場と呼ぶべき最新の施設が高知県窪川町に立ち上がったので仲間と連れ立って見学した。

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消毒液を浸したマットで靴底を擦り、スリッパに履き替えてエアシャワー室に入ると強い気流が体に付着したゴミを吸い取る。半導体工場で見たことがある。

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消毒用アルコールで手を揉み、白衣を付けて入った施設は、天井が高く、通路も充分な幅がある。総面積4.3ヘクタールはおよそ13000坪、庭付き一戸建ての平均的な敷地面積が50~60坪としたものだから小さな団地ほどの面積だ。野球の球をジャストミートしてもホームランを打つのは大変かなという広さである。

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熟れたトマトが手元に並ぶので腰を曲げずに収穫できる。立って作業ができることがどんなに楽かは地べたに這いつくばった経験のある人でなければピンと来ないだろう。体は楽だし作業効率がまるで違う。▼子どものころコメ農家の父がビニールハウスでイチゴ栽培を始め、よく手伝わされた。畝で収穫作業をすると腰に来る。立ち上がるときのつらさはスポーツ選手がウサギ跳びをやらされるようなものだ。持病の神経痛が悪化した父は早々と新事業をやめてしまった。

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黄色い小さな花が咲き、施設に放したマルハナバチが受粉を媒介する。茎の先端は光を求めて上へ伸びるが、トマトは草であって木ではないから自力で立ち上がれない。茎に紐を巻き付けて直立させる蔓おろし、蔓まき作業が延々と続く。

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オランダの農業技術を持ち込み、ふんだんに資金を投下した施設は軒高が6メートルもありトマトは無理なく背伸びできる。昇降台の足元にはペダルがあり靴底で押すと体が上下するので作業が楽だ。簡単な仕掛けだけれど輸入ものの装置は結構なお値段になる。

f:id:sakaesukemura:20190615181130j:plainビニールに包まれた根の下で送風機が回る。その下の二本の鉄パイプは昇降台のレールと温水管を兼ねる。外部でつくった温水を下から回してじわじわ温めるので植物にやさしい。小規模施設では主に重油が使われるが、ここではLPガスを主力に、木質片のおが屑をボイラーで焚いたりもする。木は大気中のCO2を取り込み、燃せばCO2が出る。その出入りを差引すればゼロエミッションになるという地球にやさしい仕掛けなのだが、現場の運営面では必ずしも合理的とはいえないようだ。おが屑はかさばる。エネルギー密度は低い。「木のチップは水分を含むので理論通りの熱量が得られない」とも。近場の宿毛市木質ペレットの製造工場を立ち上げたので、県は両者の互助関係を支援しているはずだが、スイッチひとつで付けたり消したりできるガスや重油に比べ、操作性に加え、経費の面でも使い勝手が悪いのかもしれない。

f:id:sakaesukemura:20190615181152j:plain右は煖房用のLPガス、左は光合成を促進させる液化炭酸ガスを入れた塔である。植物の葉は空気中のCO2を吸収しO2を吐く。ならばと実際にCO2を施設へ取り込んだところナスもキュウリも目を見張るほど収量が上がった。窒素リン酸カリの三大栄養素に加えてCO2も肥料の一種になったわけだ。今では普通に使われる農業技術で、ウチのハウスではセンサーが感知した濃度情報を見て小型の灯油ボイラーに点火するのだが、液化炭酸ガスを使う手があるとは知らなかった。

トマトを畑で栽培すると色も形も不揃いになる。それでは面白くないので人は様々な工夫を重ねてきた。放っておけば生物多様性のジャングルになる自然と対峙し、技術をもってヒトに有益な部分だけ抽出する努力が農業である。自然破壊の元凶は農業だという人もいるくらいで、もともと農業は自然と相反する概念なのである。山を切り、野を埋め、虫を殺して食用液果の必須条件を突き詰めたらこの形になった。太陽光を使うから完全閉鎖系ではないが、ここは植物工場なのだ。採算を度外視しLEDで惜しみなく光を照射すれば、たぶん宇宙空間でもトマトは作れる。

以上は新型農業に興味をもった外野的感想だが、農業ベンチャーに加担したぼくは面白がってばかりもいられない。小なりとはいえ事業だから目の前を流れる数字はサラリーマンの給料とは桁が違う。貸借対照表を出たり入ったりして得たものいくらと数えたら、さみしかったでは済まされず、借入金を残したままいなくなったり、この世からいなくなったりする人もいて事業の厳しさをひしひしと感じる。

驚いたのは今の農業を取りまくカネの流れだ。フツーの人間が銀行の貸し付け窓口へ出向き「金利なしで1000万円ほど貸してくれ」と言ったら怪訝な顔で見られるだろう。「とりあえず1億要るが、自己資金は2.500万しかない。返還義務なしで7.500万融資してくれ」と言ったら119番に電話される。情況によっては110番かもしれない。ところがこれが農業の世界ではあたり前に通用するのだ。

2009年に農地法が改正され農業への企業参入が可能になった。農水省経産省がどんと補助金を付けたので各地に植物工場が立ち上がった。密閉式だから害虫がいない。農薬を使わないから洗わずに食べられる。技術が標準化されたので素人でも作業ができる。作業環境が快適なので年寄りでも障害者でも働ける。初期投資には政府の補助金を利用すればよい等々、、、バラ色の歌い文句を真に受けた高名な評論家が、これで農業は土地から解放された。太陽の代わりにLEDを使えば都市の真ん中でも野菜が作れると堂々と語るのを見てぼくは引いた。詐欺とは言いたくないが、これでメシが食えるなら評論家ほど楽な仕事はない。

資本主義をぶっ壊すほどの補助率で立ち上げたといえ、自己負担分を償却するさえ只事ではない。恐ろしいほどカネを喰う完全密閉式の植物工場が費用対効果としてペイしないことは専門家でなくても分かる。太陽光型の何十倍にもなる電気代を払ってトマトやジャガイモを作るバカはいないので、完全密閉式の植物工場では主に葉物野菜を作っているが、ス―パーに葉っぱを並べて億のカネを回収するなんてできることではない。3.11の後、雨後の筍のように生れた植物工場は今どんどん閉鎖されている。

だから完全密閉型の植物工場に未来はないかと言えばそうでもなく、砂漠、高地、大型船舶あるいは中東や中国の特殊層には有効な技術だろう。近未来の宇宙パイロットは火星の往還機で田植えをしたりするのかも、、、

農にかぎらず、ぼくらの身の回りのほぼすべてが石油の海に浮かぶ楼閣だ。一説によると文明国の仕事の8割は、無くても生きられる仕事らしく、無くてもよいことのために死に物狂いでエネルギーを消費するのが文明の正体といえよう。多少の矛盾には目をつむり大らかに文明を享受すればよいという考え方もあるが、人生の目的が文化を愉しむことであれば必ずしも荒々しい文明は要らない。ヒントは江戸期にある。浅学非才の身をもって江戸文化を語るのは面はゆいので、ご関心の向きにはぜひ石川英輔の大江戸シリーズをご覧戴きたい。江戸の大衆は、過剰な文明に生活環境を圧迫されることなく、260年の長きに渡って豊かな文化を愉しんだのである。


スマホがなければ退屈だから江戸時代はイヤだという人もおられようが、江戸の遊びは今より多いというのが定説だ。お前を一度だけタイムマシンに乗せてやると言われたら、ぼくは迷わず18世紀の江戸に降り平賀源内の門を叩く。南は長崎から北は秋田まで歩き回り、キラキラしい文物を拾い上げては改造し、有名なエレキテルは彼が好奇の目を向けたほんの一例にすぎず、美術、戯作、演劇、鉱山学にまで手を染めたが、本当にやりたかったのは本草学(薬学)であったというから51年の生涯を息つく暇もなく愉しんだに違いない。話が逸れました^^!

 
180221記